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第五十二話 「最強の王子」 【三人称視点】

 十年前


 遥か南の大陸に位置するアステリア王国。

 その王都は、煌びやかな宮殿と整然とした街並みが広がる美しい場所だった。

 だがその日は、その美しい都が「地獄絵図」と化していた。


 建物のいたるところで火が上がり、空を覆う黒煙が立ち昇る。

 人々の悲鳴と魔物の咆哮が入り混じり、恐怖と絶望が王都を埋め尽くしていた。


 その戦場の中心。

 瓦礫が散乱する広場で、二つの影が対峙していた。


 一人は、まだ幼い少年。

 ベルギオス・ル・エルド・アステリア。

 アステリア第一王子。

 彼の傍らには、巨躯のドラゴンが横たわっていた。

 その体は無惨にも裂かれ、完全に命を絶たれている。


 少年の正面には、白髪の魔族──ヴェインが立っていた。

 その肌は不健康なほどに白く、血のように赤い瞳が冷たく光る。

 黒い衣服をまとった彼の姿は、炎の中で不気味に浮かび上がる。


 ヴェインは狂ったように笑い声を上げた。


「ハハハハッ!! すげぇガキだなァおい!! まさか素手で竜を殴り倒す奴がいるとはよォ!!」


 ベルギオスは鋭い眼差しでヴェインを睨む。

 幼いながらも、その瞳には王族としての気高さと覚悟が宿っていた。


「あなたですか……国中に魔物を放ったのは……」


 ベルギオスは血に染まった小さな拳を構え、ヴェインを睨み据えた。


「魔族が、この国に何の用ですか?」


 その問いに、ヴェインは肩をすくめながらふざけた調子で答える。


「いやぁ別にィ? 今すぐ戦争をおっぱじめようってワケじゃねェ……ただちょ〜っと楽しみたかっただけだ。まぁ、もう用は済んだし、俺ァ帰らせてもろうぜ」

「待て!!」


 ベルギオスが叫びながら一歩踏み込む。

 だがその瞬間、黒い靄のようなものが彼の周囲を蠢き、ヴェインの身体を覆い始めた。


「逃しませ──」


 言い切る前に、ベルギオスの耳に轟音が響いた。

 城の高い位置にある壁が爆発し、燃え盛る瓦礫が降り注ぐ。


「なっ!?」


 思わず振り返るベルギオス。その一瞬の隙を逃さず、ヴェインは闇と共に姿を消した。


「じゃあな……機会があれば戦ろうぜ」


 ヴェインの声が、闇の中から虚空に響く。


「くっ……!」


 悔しさに拳を握りしめるベルギオス。

 だが、頭をよぎるのは、ヴェインの言葉だった。


(用が済んだ……?)


 その意味を考える間もなく、ベルギオスは嫌な予感に突き動かされる。

 爆発の位置は……母様の部屋……?


 ひきつった顔で全力疾走する。

 城内は兵士たちが魔物の侵入を食い止めようと奮闘していたが、破壊と暴虐の爪痕はすさまじい。


 ベルギオスの脳裏に、出発前の母との会話が蘇る。


『ベル……今日はお出かけじゃなくて……お母さんと遊ばない?』

『どうしてですか?』

『えっと……上手く言えないんだけど、なんだか胸騒ぎがして……一緒にいてくれない……? ほら、エミルも生まれたばかりだし、ね? お兄ちゃんとして……』

『はは、そうですね。確かにその時間も必要かもしれません。でも、兵長との約束もありますので……』

『そう……よね……ごめんなさい。ベルもまだ小さいのに、本当に偉いわ。今日も頑張ってね』

『いえ、できるだけ早く帰ってきます。母様の頼みですし』


 ベルギオスはこの日、幼いとはいえ凄まじい戦士の才能を買われ、いつものように兵士たちの訓練に同行していた。

 今日も何も起こらない"平和な一日"だと思い込んでいた。


 あの時、自分が訓練ではなく母の傍にいたなら──

 後悔が胸を締め付ける。


「ベルギオス王子!! セシリア様が……!!」

「誰か! 中級以上の水魔術を使えるものは──」


 断続的に各所で叫び声があがっていた。

 ベルギオスの足がさらに速くなる。


 玉座の間を抜け、その裏にある階段を駆け上がる。

 母の部屋の扉を見つけると、迷わず蹴破った。


「母様!! エミル!!」


 視界に飛び込んできたのは、地獄のような光景だった。

 部屋の一角が崩壊し、炎が立ち昇っている。


 爆発で空けられた大穴の向こうにある外を見やる。

 もはや空の遥か彼方には、赤い髪の魔族が母を抱えて飛び去っていく姿が見えた。


「くそッ……!」


 思わず追いかけようと身を乗り出すが、足元の血溜まりに気づき、足が止まる。

 大量の血溜まり……その先には、深い傷を負い、血にまみれた父が倒れていた。

 父の傍には魔物の屍が山のように積み上がっている。

 おそらく、彼が奮闘した証だろう。

 しかし、もはやかつて強く優しかった王の面影はなく、虚ろな瞳が空を見つめている。


「父様! しっかり!!」


 ベルギオスは必死に叫ぶが、その声に応える者はいない。

 強かったはずの父が、守護者であったはずの王が、目の前で命を落としたという現実に、ベルギオスの心は砕けそうになる。


 父がどれほど必死に戦ったか、想像するだけで胸が締めつけられる。

 ……父は殺されたのに、なぜ母は攫われたのか。

 そんな考えは、もはやこの少年の頭には無い。


 一瞬にして家族が目の前で奪われた。

 父を殺され、母を奪われ、心の支えを失った。


「あぁ……ぁあぁあああああぁ……」


 平和だった日常が、半日も経たずに消え去った。

 優しい母の笑顔、父と王の在り方について語り合った夜……

 すべてが崩れ去り、胸の中が空っぽになっていく。

 どれだけ肉体が強くても、その苦しみは今年八歳を迎える少年程度が耐えられるものではない。


 しかし、その時だった。


「おぎゃぁ……おぎゃぁ……」


 微かに聞こえる泣き声が、ベルギオスの耳に届いた。

 その声に、失いかけた理性が戻る。


「エミルっ!!」


 声のする方へ走り寄り、ベッドの下を覗き込む。

 そこに、小さく縮こまる弟の姿があった。

 怯えた瞳が兄を見上げる。


「そこか……っ!」


 ベルギオスは震える手でエミルを抱き上げた。

 唯一残された家族のその温もりに、ベルギオスの目に再び涙が溢れる。


「大丈夫だ……俺が守る。絶対に……!」


 涙が零れるのも構わず、ベルギオスはエミルを強く抱きしめた。



 ---



 プレーリー・"彼"がこの世界に来る初日にて──



「……また、あの夢か……」


 ベルギオスは目を覚まし、目の前のテーブルを見つめた。

 そこには広げられた地図と紅茶のカップ。

 どうやら椅子に座ったまま居眠りしてしまっていたようだ。


「……あれから、もう十年になるのか……」


 静かな部屋に彼のため息が響く。

 彼の心には、未だあの日の記憶が鮮明に焼き付いていた。


「にいちゃん! 暖炉の薪がもう無くなりそうだよ!」


 弟エミルが扉を開けて声をかけてくる。

 ベルギオスは一瞬、夢の余韻に囚われたような表情を浮かべていたが、すぐに我に返った。


「わかった。すぐ切ってくる」


 ベルギオスは立ち上がり、部屋の隅に置いてあった鉈を手に取り外に出た。



 外は冷たい風が吹き抜け、草木がささやき合うように揺れている。


 彼の脳裏には、父王が倒れ、母が奪われたあの日の記憶が再び蘇る。

 ベルギオスは、あの日から弟エミルを連れて国を出た。


「セシリア母様……あなたは今どこにいるんですか……」


 あの日から、大臣や親戚たちの声を無視して半ば無理やり国を出て、身分を隠し、"ただの冒険者ベルギス"として名を変えた。

 それから十年も経つ。

 世界中を飛び回り、母の行方を探し続けたが、未だ手がかりは何一つ見つかっていない。


「くそっ!」


 苛立ちを抑えきれず、落ちていた石を拾い、遠くの空へと力任せに投げつけた。

 石はベルギスの異常な身体能力により、恐ろしい速度で飛んでいく。


 やがて、茂みの中に鋭い音を立てて突き刺さったかと思うと、そこから声が上がった。


「痛っ!!」


 驚いて顔を上げると、茂みからこの村の住人である金髪の男が飛び出してきた。

 石が頭に直撃したらしく、頭を抑えながら何やら苦しんでいる。


「あぁっ!? すみません!!」


 思わぬ事態に、ベルギスは焦って駆け出した。

 辿り着いた先には、確かこの村に以前からいる男。

 茂みをベッド代わりにしていたのか、全身草まみれで、服も汚れている。

 

 しかし、ベルギスにとってそんなものはどうでもいい。

 丁寧に謝罪をし、治癒魔術をかける。

 男は石をぶつけられたというのに奇妙な顔をして、何やらよくわからないことを叫んでいた。


(変な人だな……)


 だが、この"出会い"から、ゆっくりとベルギスの運命が変わつつあるのだった。

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