第五十話 「円卓会議」 【三人称視点】
そこは「魔界」と呼ばれる、決して人族が立ち寄ることのない地。
豊穣の女神アルティアが、大魔王オルドジェセルを封印するため、大陸を分断したと語られる地。
その中心には、今なお続く大陸規模の結界が張り巡らされている。
誰も近づけない。
いや、世界より隔離されたこの場所は、本来近づくことすら不可能だ──とある一部の存在を除いて。
その結界の外縁にそびえる、巨大な城。
そしてその中、すり鉢状に広がる闇の空間には、微弱な光源こそ存在しているが、その光を駆逐するかのような濃密な闇が支配していた。
それはつまり、そこに存在する者たちがそれほどの強い負の属性を保有しているに他ならない。
広大な円形のホールの中央、漆黒に濡れ光るような円卓が鎮座している。
その周囲には、六つの席が置かれていた。
"狩りの魔王"ザミエラが、ホールの扉を押し開けて現れる。
深い傷跡があったはずのその身体は、何事もなかったかのように完治している。
円卓の席の一つに腰を下ろした瞬間、響く不遜な声。
「よォーザミエラァ! 随分と遅かったなァ……いやぁ、村一つ滅ぼしに行ってボロボロになって帰ってきやがった時は何の冗談かと笑わせてもらったぜ。それに、セシリアの子の痕跡を見つけたと言ってた割に、何の収穫もねぇと来たもんだ。魔王様の威厳ってもんが聞いて呆れるねぇ? クハハッ!」
声の主は、真っ白な髪を持つ男の魔族。
その肌も病的なほど白く、まるでアルビノのようだ。
黒い衣服を纏ったその姿は、濁った闇のようなこの場で妙に浮き立って見える。
しかし、血のように赤い瞳と鋭い犬歯が、不気味な存在感を漂わせていた。
「……ヴェイン、お前はどうやら死に急いでいるらしいな」
ザミエラが低く唸るように呟く。
「おおっと、そう怒るなよザミエラァ。んんまァいいぜ、俺ぁどんな形でも死ぬのは構わねェよ。死って概念はここじゃ何の意味もねぇんだからなァ」
ヴェインと呼ばれた男は、挑発的な笑みを浮かべながら、円卓に身を乗り出す。
ザミエラの周囲に張り詰める空気。
次の瞬間には何かが起こる──そう思われたその時。
「おやおや。いけませんねぇ、あなた方が死ぬのは別に構いませんが……ここは"彼の方"のお膝元ですよ?」
張り詰めた空気を一瞬で引き裂いたのは、静かで滑らかな声だった。
誰もいなかったはずの席に、いつの間にか一人の魔族が座っている。
いや、最初からそこに居た──そう錯覚させるほど自然に座していた。
黒ずくめの衣服に、薄い笑みを浮かべる中性的な男。
褐色肌と、その目には冷徹さと狂気が交差しており、どこか空虚な雰囲気を纏っている。
「……おい、ロータス。テメェいつから来てやがった」
ヴェインが眉をひそめて問いかけるが、ロータスと呼ばれた男は笑みを崩さない。
「ふふ、ヴェイン君が席に着いた時には既に居ましたがね? さぁ、ザミエラも来たことですし、話を進めましょうか」
「チッ……相変わらず気持ちの悪ィ野郎だ……」
「その点については同意だな」
ロータスが席から立ち上がりもせず、長い指を軽く打ち鳴らす。
その仕草だけで、部屋に漂っていた緊張が一気に霧散するようだった。
席は六つ、空席が三つ。
それでも進めると言うならば、元々この会議は三人で行われるものだったのだろう。
「我らが君、オルドジェセル卿の封印を解く巫女──セシリアは既に手中にあります。だが、彼女の協力を得るのは難しい……今もなお一切手を貸さないと抵抗なされてます……なので──」
「彼女の子であるエミルとベルギスを狙う……だろう」
ザミエラが腕を組みながら低く唸る。
「その通り。まぁやり方は小悪党のようでいささか腑に落ちかねますが……彼らどちらかの存在でもあれば、セシリアの心を屈服させる手段になる。それで、ザミエラ、例の情報提供者から聞き出したという彼らの居場所について、詳細を教えてくれないか?」
「……奴らはヴァレリスにいる」
ザミエラが静かに答える。
「おいおィ、どこまで信じれんだよその情報」
「この目で確認したわけではないが、あの村で会った男は、そう涙ながらに話した。愛する者を守りたいが故の言葉だった。少なくとも……嘘をつけるような目ではない」
「愛だァ?」
ヴェインが鼻で笑う。
ザミエラが見た彼の涙は、たしかに嘘をつけるようなものではなかった──その表情。
それは、彼女が長き時の中で一度も触れたことのない感情だった。
愛。それがどのようなものであるか、彼女には理解できない。
けれど……どこか、胸を刺すような感覚があったのは確かだった。
「随分とまァ信用しきってるんだなァ……そんな確信もねェ言葉で」
ザミエラはその挑発に乗らず、冷たく目を細めただけだった。
「愛に生き、愛に死んだ者の気持ちなど、お前には一生理解できんだろう」
「ハッ、微塵も女っ気の無いお前が言っても説得力がねェぜ? なんだオイ、ついに女としての自我でも出来たか? 劣等な人族の純愛を見せつけられでもしたか!? 俺が抱いてやろうかァ!?」
「……墓石でも抱いてろ」
「ククッ……おいおい、ザミエラ! 俺にそんなモンを担げってか? ははっ! 強ェ女はいいねェ……屈服させた時の顔が一番面白ェ。お前もそう思わねぇか? ロータス」
ヴェインが隣のローエンを軽く肘で突くが、ロータスは気に留めた様子もなく静かに続ける。
「ベイ、世の中の女性は等しく愛されるべきです。ザミエラは少々品位に欠けるとこもありますが……」
「もういいだろう。さっさと続けろ」
「ふふ、では……もし仮に、全てが上手く行き、セシリアを屈服させたとしても、それだけでは"足りない"のですよ」
「……封印された魔王か」
ザミエラが目を閉じる。
「かつての英雄たちによって葬られた、我らが同志。奴の封印が、そろそろ限界を迎えるとは踏んでいるのですが……場所は掴めたのです? ヴェイン……」
「まぁ、だいたいな」
ヴェインが薄く笑いながら腕を組む。
「まぁアイツに関しては、オルドジェセル卿より封印歴だけで言えば長ェ。薄々だがアイツの神威も漏れつつもあるしな……そいつを手掛かりに探せば、時間の問題だ」
「たしかその封印には君の姉も関わっているはずですが……それで手がかりは探せないので?」
ロータスが穏やかな口調で尋ねる。
「……さぁなァ」
ヴェインは肩をすくめ、けれどその目には一瞬鋭い光が宿った。
「ねーちゃんがどこにいるかは知らねェし……まぁ封印が弱ってるてこたァ、ねーちゃんもそろそろ寿命かもしれねェな……もし目の前で弱ってたら利用するまでよ」
「……下衆め」
ザミエラが吐き捨てるが、ヴェインは意に介さずに続ける。
「ハッ、姉弟にも愛情くらいあれってか? 何にせよねーちゃんはこっち側じゃねェ……千年も前に決別した……ただの敵よ。どうせ、人族の町にも居つけず、山奥にでも潜んでるとは思うがな」
「まぁいいでしょう、あとは私ですが、進捗は順調そのものですよ。現在、アステリア王国北部の山脈にて塔の建設を進めています。魔族の同志が小物も合わせて約三千名、さらに捕縛した人族の奴隷を加えて作業を進めていますが……完成まではあと2年、長くて3年といったところでしょうか」
ロータスは腕を組みながら、淡々とした口調で進捗を報告する。
その言葉に、ヴェインがあからさまに眉をひそめる。
「……まだそんなにかかるのかよ。手間だな、オイ。ババッと押し込んで、適当に制圧しちまえばいいだろうが。何が塔だ、時間の無駄じゃねえか」
「はは……確かに、ヴェイン君らしいお考えです。しかし、そうもいきませんよ。人族一人一人は矮小で愚かですが……群れれば厄介なのですから」
ロータスが穏やかに言い返すと、ザミエラが腕を組んだまま静かに同意を示す。
「確かに……人族は侮れない。特に、奴らの中には我々に匹敵する力を持つ者もいる。そういった脅威を無視するわけにはいかないだろう」
「チッ……」
ヴェインが苛立たしげに吐き捨てるが、ロータスは涼しげな笑みを崩さない。
「ヴェイン君。例えば……セシリアの子。ベルギスがまさにその例です。彼らを簡単に侮ると、我らの計画に致命的な障害となるでしょう。人族のみならず、妖精王や精霊たちもどこかで動きを見せるかもしれませんからね……」
「……めんどくせぇな」
ヴェインは不機嫌そうに舌打ちしながら椅子に深く腰を沈める。
ザミエラが視線を鋭くロータスに向けた。
「……では、塔さえ完成すれば、お前の錬金術でどうにかなるのか?」
「もちろんです。オルドジェセル卿の封印を解き始めれば、あとは私の黄金錬成で塔の機能も劇的に向上する。人族の支配は時間の問題となるでしょう」
ロータスが冷静に説明すると、ザミエラはしばらく考え込み、やがて小さく頷く。
それぞれの進捗報告は済んだ。
ロータスが立ち上がると、冷たい微笑みを浮かべながら宣言する。
「ではザミエラ、君はエミルとベルギスを追ってヴァレリスへ。そして私はアステリア王国の制圧及び、塔の建設を進めましょう」
「ザミエラァ……今度は失敗しねェだろうなァ。そもそも、村一つ滅ぼすのにボロボロになった奴がベルギスに勝てるのかねェ。寧ろアイツは俺たちを探してるまであるからなァ……代わってやろうか?」
「……二度も失態は見せん。お前はお前のやるべきことをやれ……というかお前は、適当な理由をつけて暴れたいだけだろう」
「否定はしねェよ……まぁ、俺ァアイツの手掛かりを探る、と。……くぁ〜……」
ヴェインがつまらなそうに伸びをする。
「では、これにて──」
「……待て」
ロータスを止めたのはザミエラ。
「……戦力を補強したい」
「……ほぅ?」
ザミエラが静かに、しかし毅然とした口調で言葉を発する。
その言葉に、ヴェインは一瞬目を丸くし──そして次の瞬間には大爆笑していた。
「ハハハハハハッ!! 戦力を補強だとォ!? おいおいザミエラ! ほとんど単独行動のお前が、いつからそんな腰抜けになりやがった!? テメェらしくもねェ……ああ、分かったぜ……村一つ襲うだけでヨロヨロになったんじゃ、そりゃ怖ェかァ! クハハハッ!!」
ザミエラはヴェインの挑発に乗ることなく、ただ冷静な眼差しを彼に向ける。
その瞳には、どこか深い思索が宿っていた。
これは、普段の彼女には見られない兆候だった。
当然、本来の"予定調和"に、彼女のこのような台詞は含まれていない。
しかし、それでもザミエラが慎重にならざるを得ない理由があった。
余裕で殲滅させられるはずだった辺境の村を襲撃した際に、"予期せぬ事態"が起きた。
小さな犬を連れた、本来何の脅威でも無かったはずの男と、死んでも生き返った魔術師の女。
彼らとの戦闘を経て──何か違和感が、ザミエラの胸中を今もわずかにざわつかせていたのだ。
「好きに嘲笑うがいい。だが慎重さを欠いた者が敗北を喫するのは、貴様も知っているはずだ」
ザミエラの言葉には微かな苛立ちが滲むが、感情的な態度には出さない。
それを見たヴェインは肩をすくめながら、さらに笑みを深めた。
「君が必要ならば、私の配下からいくつか貸し出しても構いませんよ」
静かな声が場を支配する。
ロータスが、冷徹な微笑みを浮かべながら言葉を紡ぎ、ゆっくりと右手を掲げて指を鳴らした。
その音がホール全体に響くと、闇がぐらりと揺れるように歪み始める。
次の瞬間、ホールの片隅に漆黒の魔法陣が浮かび上がり、そこから二体の巨大な魔物が現れた。
三メートルは優に超える巨体。
全身を包む筋肉は鋼のように硬く、目は血のように赤く光っている。
鋭利な爪と、獰猛な牙を持つ二体のオーガが、場に不穏な気配を漂わせた。
「どうぞ。彼らは私の忠実な部下で、戦闘能力には文句のつけようがありません。少なくとも、Aランク以上の冒険者が相手でも無い限りは……まぁベルギスと正面からやり合うのは向いてないかもしれませんが」
「これでいい……借りていく」
その言葉に、ヴェインが腹を抱えて笑っていた。
「好きに笑え、ヴェイン……」
ザミエラが冷ややかに言い放つ。
しかしその目は、目の前のオーガたちを冷静に見定めていた。
ロータスは穏やかな笑みを浮かべながら、再び席に座り直す。
「それぞれがその役割を全うすれば、大魔王オルドジェセルは復活を果たし、この世界に再び闇の時代が訪れる」
ロータスがゆっくりと手を掲げ、黒い袖をまくり上げる。
その腕には、複雑な文様が刻まれていた。
「我々は選ばれし魔族……その先駆者オルドジェセル卿に仕え、彼に絶対の忠誠を……」
ヴェインとザミエラも同じように腕をまくり、己の"聖痕"を見せ合う。
「我々の聖痕は、彼の神威にて貫かれた証であり、服従の印です。ゆえに、破る者を許さない」
「いいから、ささっとやれ」
「やれやれ、確かに我々三人しかいないこの場であなた方にそのような心構えを説くのもまた、今更な話ですね。となれば御二方、これより先、我らの勝利を願って祝詞を」
「当然──」
分かりきったことを訊くなと言わんばかりに鼻を鳴らし、答えたのはヴェイン。
「我ら魔族による支配のために──」
「忠義のために──」
「理想郷のために──」
続けてザミエラ、ロータスと、それぞれが低い声で語りかける。
「勝利万歳!」
最後に三人が同時に声を合わせ、その言葉を放つ。
その声が響き渡る中、それぞれの魔王は闇の中へと姿を消した。
円卓には、ただ一つ──豪奢な王座だけが他の席には無い輝きを放っていた。
まるで、復活を待つ大魔王オルドジェセルの威光を、静かに見せつけるように。
ここまでのご愛読、誠にありがとうございました!
この話で第二章は完結となります。
次回以降は第三章を是非ともよろしくお願いいたします。
また、この作品を少しでも気に入っていただけましたら下部にあります☆評価をいただけると励みになります。
最近カクヨムの方でも連載をはじめました。
あちらでのタイトルは「王道RPGのモブに転生した俺は、【道具屋店員】【魔物使い】【船乗り】【etc】と転職を繰り返し、原作知識を駆使して世界を『改変』する!」
となっております。
コンテストにも参加しておりますので、よろしければ応援お願いいたします。
神田義一