第四十九話 「旅立ち」
俺は今、山奥の家の庭にて最後の荷物のチェックをしている。
庭には、サイファーとレイアさん、そして魔物たちもみんな集まっていた。
俺は、ここから旅立つ。
一時期は居心地が良過ぎてずっと一緒に居たいとも思っていたが、やはりエミルやベルギスのことも気になるし、その為の力もついたと思ってる。
「…………いくのか?」
「あぁ……ごめん。せっかく雇ってもらったのに」
俺は荷物を背負い、視線を落としたままサイファーに向かって呟いた。
皆の視線が俺に向けられている。
その中で、俺の声はどこか小さく、重く響いていた。
「気にするな。強くさせてやると言ったのはワシじゃ。それに、お前にはまだ、やらなければならんことがあるのじゃろう?」
「俺がやらなければならないことなのかは、わからない。でも、ここで学んだことを試してみたいし、ベルギスのことも気になるし、罪悪感もあるし」
その言葉に、サイファーが静かに目を閉じる。
俺は彼の表情を窺ったが、何を思っているのかまではわからなかった。
彼は軽く頷き、いつものように飄々とした笑みを浮かべる。
「ま、最初はどうなることかと思ったが、まさかここまで立派になるとは思ったなかったわい。行くからには、ちゃんと胸を張って名を上げてこい」
「……あぁ」
「お前のポンコツっぷりが見れなくなるのは、寂しくなるがの」
そういうサイファーの顔は、どこか本当に寂しげに見えた。
「そんな顔すんなよ、サイファー」
俺は苦笑いを浮かべながら、彼の背中を軽く叩いた。
「たまには顔くらい見せに帰ってくるからさ」
「ふん、生意気言いおって……まぁ、生きているうちに弟子の旅立ちに立ち会えるだけでもヨシとするか」
サイファーは肩をすくめて、寂しさを隠すようにいつもの軽い調子で答えた。
けれど、少しだけうるんだ瞳が、彼の本当の気持ちを物語っているようだった。
「……レイア、お前も何か言うことあるだろ?」
「別に……」
レイアさんは素っ気なく言い放ちながらも、ちらりとこちらを見た。
その表情には、言葉には出さない彼女なりの優しさが滲んでいた。
「何度も言うが、ワシが教えた……というより、お主が持っていた神威は己の渇望で大きく変化する。そのことを覚えてけ。お主がその才能に目覚めれば、どんな逆境でも覆せるほどの力になるだろう……」
「ああ、わかってる」
神威については、あの後もレイアさんからずっと教わった。
顕現位階から向こう側の世界は、本当に次元違いの力になってしまうと。
逆境を覆すとは言うが、その力は体への負担も大きいらしい。
なるべく、体のガタが気になるお年頃の俺には頼りきりにはなれない力だ。
「……それと、これをやる。もってけ」
「おっ?」
レイアさんが投げてきたものを片手でキャッチする。
宝石が付いたペンダントのようだった。
「なんだこれ?」
「肌身離さず持っておれ……まぁ、お守りみたいなもんじゃ」
「ふーん?」
ぷらぷらと手にぶら下げながらまじまじと見つめる。
親指サイズくらいの宝石は深い緑色をしていて、まるでエメラルドの原石のようだ。
なんだかそれなりに価値もありそうだ。
「……売るなよ?」
「売るかっ!!」
なんか心を読まれた。いや、売るつもりは流石にないが。
そんなやりとりをしながらも、俺は肩に荷物を背負った。
そのリュックの上にちょこんとマルタローが飛び乗ってくる。
いや……まぁまぁ重いんだけど?
周りに視線を向けると、チェイシーやティクロ、ミスティたちが心配そうな目でこちらを見ている。
「お前らとも、またどこかで会えるだろ。そんな悲しい顔すんなよ。サイファーが死にそうになったら、よろしく頼むな」
「ピピィっ!」
「がう」
「にゃあ……」
「ワシを勝手に死にかけの老人みたいに言うでないわ」
サイファーにどつかれる。
魔物たちもそれぞれ小さく鳴き声を上げ、見送る準備をしてくれていた。
チェイシーがそっと俺の肩に頭を乗せ、軽く喉を鳴らした。
『寂しくなるわね』と、そんな声が聞こえた気がした。
ティクロは無言で俺に背を向けたが、その四本の腕はいつもより大きく振れていた。
「なぁ、サイファー、レイアさん」
最後にもう一度、俺は二人に向かって言葉を紡いだ。
「今まで、本当にありがとう。俺はここで……本当に大事なことを学ばせてもらった」
「……!」
サイファーが慌てたように言いながら、俺に背を向けて杖を振る。
「ばかもんが、年寄りを泣かせるんじゃないわい!」
けれど、その動きが少しだけ震えているのを、俺は見逃さなかった。
「……ワシらのことなんぞ気にせんでよい。行け。お主の道は、これから自分で切り拓くものじゃ」
レイアさんの言葉に俺は深く頭を下げ、振り返ることなく歩き出した。
背後で聞こえる魔物たちの声や、サイファーたちの気配がだんだんと遠ざかっていく。
マルタローの体温を頭越しに感じながら、俺は上を向いて山を降りていく。
涙がこぼれないように……。
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山道を降りていく俺の背中に、遠くで魔物たちの遠吠えが響いていた。
「わふぅ……」
マルタローがリュックの上で鼻を鳴らす。
振り返らないように、ただ前を向いて歩く。
この道を抜ければ、いよいよ俺の新たな旅が始まる。
──その瞬間、空が一瞬にして夜になった。
続け様に、その夜空の中で、真っ赤な光が背後で輝く。
「……!?」
俺は反射的に振り向いた。
家がある方の崖の上では、まばゆいほどの炎が渦を巻きながら大きく広がっていた。
その炎は空中で炸裂し、無数の輝きとなって夜空に散っていく。
音もなく広がる光の粒は、花火そのものだった。
山奥の静寂の中で、その一瞬一瞬が胸を打つ。
その後も次々と、夜空に花火が打ち上げられる。 炎の赤だけじゃない。 青、緑、金色──見たことのない色彩が空を埋め尽くしていく。
山頂にある家の庭先が、炎の光に照らされて見えた。
そこには、レイアさんが何かを詠唱しながら『夜』を展開していて、その背後でサイファーが炎を吹き出し、花火として打ち出す。
二人はこっちを見ていない。
俺に向かって手を振ることもない。
ただ、いつも通りの佇まいで、空に向かって炎の花火を打ち上げているだけだった。
チェイシーたちもそこにいる。
ティクロは四本の腕で何かの合図をしているように見えた。
ミスティが羽ばたいて空を飛びながら、花火の間を舞い踊る。
ゴランが重い体を揺らしながら静かに頭を下げている。
まるで俺の新たな旅立ちを祝福してくれているようだった。
俺は立ち止まり、しばらくその光景を見つめていた。
遠くからでもはっきりと伝わる、彼らの想い。
『気をつけて行ってこい馬鹿弟子』
『もしもこんなことが出来るように魔物使いや神威を極めたくなった時は戻ってこい』
『マルタローを大切にしろよ』
そんな想いの数々が、言葉も無く伝わってくる。
「…………」
俺は少し涙を堪えながら、もう一度崖に向かって深く頭を下げた。
マルタローが小さく鳴いて同意するように尾を振る。
空に残る花火の輝きを背に、俺はまた一歩、歩き出した。
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山を降りるにつれ、空が次第に明るくなっていく。
あの夜空がレイアさんの神威で作られたものだっただとすれば、すごい技だ。
顕現位階であれをやれる気はしない。ということは、より上位の技なのだろう。
空が夜から昼に戻る瞬間は、少しだけ寂しさを感じた。
それでも、心の奥底に燃えるような温もりが残っている。
彼らが背中を押してくれたんだ。
だからこそ、俺は前に進まなくちゃいけない。
「わふ……」
リュックの上で揺れるマルタローが、くぐもった声を上げた。
俺は彼の頭を軽く撫で、少し笑みを浮かべる。
「お前も、寂しいよな……」
そのまま村にある小さな墓地へ向かう。
そこにはクリスの墓がある。
俺はその前で膝をつき、静かに手を合わせた。
「クリス……俺、行くよ」
声に出してみると、改めて心が引き締まる。
ここでの思い出が一気に頭を駆け巡る。
クリスの笑顔、彼女の声、そして、俺に託されたマルタローの姿。
隣でマルタローも静かに尻尾を揺らしている。
クリスの存在が、俺たちをここまで導いてくれたんだと実感する。
その時だった。
「わふっ!」
マルタローが突然動き出し、墓のそばに飾られていたものを咥えて持ってきた。
それは、クリスがいつも使っていた手袋だった。
「おい、それ……」
マルタローが手袋を俺の足元に置くと、何度も鼻先でつついてくる。
その目は、はっきりと俺に語りかけていた。
「……そうか」
俺はその手袋を拾い上げ、じっと見つめる。
擦り切れた部分があるけど、まだ使えそうだ。
いや、使えるかどうかなんて関係ない。
「わかったよ。クリスも一緒に……だよな」
そう言って、俺はその手袋をリュックの外ポケットに丁寧に差し込んだ。
マルタローは満足そうに尻尾を振りながら、再び俺のリュックに飛び乗った。
その目には、どこか誇らしげな光が宿っている。
プレーリーの外れに立ち、再び振り返る。
静かな墓地、そして周り広がるあの幸せだった村が、遠くに見える。
「みんな……行ってくる」
その言葉を最後に、俺はプレーリーを後にした。
向かう先は……ヴァレリス王国。
まだ、間に合う。
クリスの手袋が、リュックの傍で微かに揺れているのを感じながら、俺は前を向いて歩き続けた。