第四十一話 「彷徨う魂」 【マルタロー視点】
時系列はクリスに拾われる前です。(胸糞注意)
気付いたら、ボクは森の中にいた。
けれど、ここがどこなのか、どうしてボクがここにいるのか、全然わからなかった。
目の前にはボクと同じくらいのサイズの「いきもの」が何匹かいる。
体は真っ白な毛に覆われていて、鼻をひくつかせながらボクを見ている。
耳を立てて警戒しているみたいだけど……そんなに怖いかな?
『ねぇ、ここはどこ?』
声を出してみたけど、彼らは答えない。
ボクをじっと睨みつけるだけで、少しずつ後退りしていく。
牙を剥いて、低い声で唸り声をあげている。
この"姿"が怖いのかな?
だからボクは、彼らと同じ"姿"になった。
目の前にいる、彼らの姿の真似をして。
毛並みを整え、耳を立てて、四本の足で立つ。
彼らと同じ動きをしてみると、少し警戒が和らいだみたいだった。
一匹が鼻を近づけてくる。
その匂いは、どこか安心できるものだった。
──こうしてボクは、群れの一員として受け入れられた。
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群れでの生活はとても楽しかった。
みんなで狩りをしたり、森を走り回ったり。
昼間は大きな木の陰でお昼寝をして、夜は一緒に丸くなって寝た。
「わふぅ!」
群れのリーダーが教えてくれた通りに、ボクも尻尾を振って仲間に合図を送る。
彼らは時々ボクをじっと見つめるけど、それは冷たい視線じゃなくて、家族みたいに優しい目だった。
ボクは、自分の居場所を見つけたと思った。
でも、その幸せは長くは続かなかった。
「ギャウゥッ!!」
「ワンワン!!」
森の中に突然、奇妙な音が響いた。
今まで聞いたことのない「ゴトゴト」という音。
木々を揺るがすような、重い足音。
そして、それに続く「ドン!」という大きな音。
見上げると、人族がいた。
彼らは手に奇妙な棒やギラリと光る鋭いモノを持っていて、何かを言いながら棒を振るたびに火が飛んできたり、地面が抉れたりしてボクの仲間が倒れていく。
群れのみんなが一斉に走り出す。
ボクもそれに続こうとしたけど、ボクの体は恐怖で動かなかった。
その隙に、一人が網をボクに投げつける。
網が絡まり、ボクは地面に転がされた。
「よし、依頼達成だな」
「ったく物好きだよな。プレーリーハウンドが欲しいとかいう貴族がいるなんてよ」
「まぁ、いいじゃない。報酬はいいんだから」
人間たちの声が聞こえる。
そして、ボクはそのまま檻に入れられた。
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ボクは大きな家に住む人のところへ連れて行かれた。
そのまま、その家の地下にある広い空間に運ばれる。
湿った空気に、奇妙な匂いが混ざっている。
耳を澄ませると、聞こえてくるのは低い唸り声や、断末魔のような鳴き声。
それに混じって人族たちの笑い声も聞こえた。
ここは……どこ?
そんな問いを抱える暇もなく、檻の扉が開かれ、無理やり引きずり出された。
「プレーリーハウンドか。可哀想になぁ、こりゃ賭けもクソもねぇ、ただのおもちゃにさせられるぜ」
その日から、ボクの地獄が始まった。
大きな家の地下にある、大きな広間で、ボクは煌びやかな装飾をした人族たちに見られながら、次々と魔物と戦わされる日々を送ることになった。
ある日、炎の息を吐く魔物と戦わされた。
「さぁ、やれ! お前も反撃するんだ!」
怒鳴り声が響く中、ボクは震えながらその魔物に向かって飛びかかった。
でも──
「グオォォォ!!」
一瞬だった。
魔物が大きく息を吸い込み、口から炎を吐き出した。
ボクの体はその炎に包まれ、何もできずに地面に倒れ込んだ。
「うおっ、死んだか!?」
「いや、生きてる生きてる!回復してやれ!」
別の日、ボクの何倍も大きい魔物と戦わされた。
ボクは必死に何度も突進してみたけど、簡単に跳ね返され、何度も石で出来た壁に叩きつけられた。
息もできないまま、ボクはまた動けなくなった。
「つまんねぇな。もっといい反応しろよ」
それでも人族たちは笑いながら、ボクに水をかけたり、棒で叩いたりした。
毎日がその繰り返しだった。
「戦え」と言われて檻から引きずり出され、勝ち目のない魔物と戦わされる。
反撃しても歯が立たず、ボクの体は傷だらけになるだけだった。
「もっとやれ! 噛みつけ! 噛みちぎれ!」
木の棒に噛みつく練習を何度もさせられた
でも、いくら噛みついてもご主人の顔には不満げな表情が浮かぶだけだった。
「どうしてそんなに弱いんだ! 雑魚め!」
殴られ、蹴られる。
ご主人の怒りはいつもボクに向かってきた。
痛い。怖い。
どれだけ頭を下げて顔を地面に埋めても、ご主人は正確にボクの頭を殴った。
わけが分からなかった。
いつしか、ボクは痛みにも何も感じなくなっていった。
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ある日、ご主人が誰かと話す声が聞こえた。
「もうそいつは用済みだ。最近は殴ってもまるで反応しねぇ。ヴァレリスにある魔物商にでも売りに行くぞ」
「しかし、こんな低級な、しかもぼろぼろの魔物、値がつくでしょうか」
「構わん構わん。どうせあと何体か売る予定だ。値がつかなければそのへんに捨てればいい」
何を言っているのかは分からなかったけど、ボクはもう何も感じなかった。
檻に入れられ、馬車に乗せられたボクはただ揺れる馬車の中で震えていた。
馬車が揺れる音の中、不意に外から大きな音が響いた。
「何事だ!?」
「襲撃だ! 魔物の檻を守れ!!」
檻の中から外を覗くと、赤い炎が周囲を包み込んでいた。
そして、その炎の中から現れたのは、一人のおじいさん。
白髪で鋭い目をしたその老人は、手に杖を持っていた。
「……ッ! 可哀想に……」
その人が杖を振ると、次々と檻が砕け散った。
隙を見て、他の魔物たちが一斉に逃げ出していく。
ボクもその中に紛れて、必死に森の中へと走った。
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足を引きずりながら、懐かしい匂いのする場所を探し歩く。
しばらくして、あの群れがいた場所に辿り着いた。
まだそこにみんながいる。
少しホッとしたボクは、弱々しく声を上げた。
群れの中から、一匹が近づいてきた。
見覚えのある仲間だ。
ボクが初めてここに来たとき、最初に鼻を近づけてくれた、優しい目をした仲間。
「わふぅ?」
その仲間がボクをじっと見つめる。 ボクは尻尾を少しだけ振ってみせた。 もしかしたら、また受け入れてくれるかもしれない──そんな淡い期待を抱いて。
でも、奥にいたリーダーが低く唸り声を上げた。
「グルルル……ッ!!」
牙を剥き、怒りに満ちた目でボクを睨みつける。
その声に反応して、仲間たちが次々と距離を取っていく。
さっきまで近づいてきてくれていた仲間も、リーダーの指示に従うように後ずさりしていく。
『え……?』
何が起こったのか、ボクにはわからなかった。
リーダーはボクに向かってさらに唸り声を上げ、地面を強く前足で掻く。
明らかな威嚇。
どうして……?
その時、わかった。
群れの仲間たちが鼻をひくつかせながらボクを避ける理由。
ボクには、ボクを捕らえた人たちの匂いが染み付いているのだ。
檻に入れられ、殴られ、蹴られ続けたあの日々。
その中で、人の匂いがボクの体に染み込んでしまった。
ここにいる彼らにとって、その匂いは「敵」のものだった。
言い訳をしようとしたけど、声は出なかった。
ボクの行動を見て、リーダーが一層威嚇の声を強める。
「グルアアッ!!」
その声に群れの全員が呼応するように吠えた。
一瞬で理解する。
ここにはもう、ボクの居場所はないのだと。
ボクは逃げた。
追いかけてくる仲間はいない。
むしろ彼らは、ボクが離れていくことを望んでいるようだった。
足を引きずりながら、ボクはただ森の中をさまよった。
ここにはボクの居場所があると思っていた。
でも、それは間違いだった。
群れに戻れないボクは、今度こそ本当に一人になった。
森の中は暗く、冷たい。
星が光っているけれど、その光はボクの傷ついた体を暖めてはくれない。
耳を澄ませば、風の音すら誰かの嘲笑に聞こえる。
そのまま、ボクは倒れ込んだ。
冷たい土の上で、瞼を閉じる。
人族はもういない。もう叩かれることはない。
……でも、身体中が、まだ痛い。
……逃げたのに、まだ怖い。
ボクの周りは、全て"敵"なんだと思った。
真っ黒な感情がボクを支配する。
寒い。
暗い。
怖い。
痛い。
憎い。
「…………」
さみしい。