第三十九話 「深い心の傷跡」
俺は再びサイファーとカンタリオンの町に買い出しに来ていた。
買い出しに来るたびに思うが、サイファーやレイアさんが働いているところはあまり見ない。
まぁ、Sランクの冒険者ともあれば、それなりに貯金があるのだろうか。
「なぁ……マルタローって、やっぱり他の魔物と違って、人に対してトラウマとかあるんかな」
カンタリオンの中央通りを歩きながら、俺がそう聞くと、
サイファーはなぜか少しだけ嬉しそうな顔で笑った。
「ほぉ……わかるのか?」
「いや、気付いたって言うか、もしかしたら拷問を受けてたかもしれないってクリスから聞いてたから」
「ふむ……少し、話でもするか」
サイファーは立ち止まり、カンタリオン中央通りの脇にある広場のベンチに腰を下ろした。
俺も隣に座り、彼の話に耳を傾ける。
通りを行き交う人々のざわめきが、遠くに聞こえていた。
「そうじゃな……あれは、もう数年前の話になるが──」
サイファーは杖を軽く膝に立て、懐かしむような表情を浮かべた。
「あの頃、ちょっとした用事で遠出をしておったんじゃ。まぁ、たいしたことではなかったが……。 そんな道中でな、ある馬車とすれ違ったんじゃよ」
サイファーの声が低くなる。
「その馬車にはな、檻が積まれておった。それも一つや二つじゃない。中には魔物たちが閉じ込められていてな……見るに耐えん姿じゃった」
「魔物が、檻に……?」
俺は息を呑んだ。 それだけでも十分に不快な光景だ。
「その魔物たちは、ただ捕獲されただけではなかった。奴らは、『クソみたいな貴族』の娯楽のために利用されておったんじゃよ」
「どういうことだ?」
「要は、魔物同士を闘わせて楽しむだとか、拷問して泣き声を上げさせるだとか……。人族の娯楽のために、魔物たちを弄んでおったのじゃよ」
その言葉に、俺の胸は怒りで熱くなった。
やはり、前に聞いていたクリスの言葉の通り、そんな娯楽があったのか。
ということは、そこにマルタローも──
「……それで、サイファーは?」
「あぁ……黙って見ておれんよ。馬車ごと檻を破壊して全員解放してやったわ」
サイファーは淡々と言ったが、その目にはかすかに怒りの残滓が浮かんでいるように見えた。
「檻の中におった魔物たちは……ほとんどが怯えきっておったよ。ワシが声をかけても逃げるばかりでな」
「ってことは、マルタローも、その中に……?」
「そうじゃ。プレーリーハウンドもその檻の中におった。恐らく今のマルタローで間違いないと思う。相当酷い目に遭わされておったんじゃろうな。今はマシだが、その時はドス黒い目をしておったからな……」
サイファーは小さく息をつく。
「保護しようとも思ったが、ゴミに説教しているうちに散り散りに逃げていきおったわ。歳をとるといかんな……」
「そう……だったのか……」
「で、まぁアイツらも野生の魔物じゃ。一度姿を消すと見つけることは難しい。一応探しもしたんじゃが……ある日、レイアがプレーリーに買い出しに行った時にな、見つけたらしいんじゃ。道具屋の娘に引き取られたプレーリーハウンドをな」
「…………!!」
間違いなくクリスだ。
そうか、そんなところで話が繋がっていたとは……。
サイファーは視線を遠くに向けながら、懐かしむような声で続けた。
「ワシも見に行ったが、あの目つきの悪かったプレーリーハウンドが、まるで別の魔物のようになっておったからの。何も信用せず、怯えと憎悪だけで生きていたはずの魔物が、その娘を信じている目をしておったんじゃ」
サイファーはそう言って、ゆっくりと杖を膝の上で回した。
クリスとサイファーは顔見知りだったのか。
「その道具屋の娘……お前もよく知っているクリスがしっかりと面倒を見ておったようじゃの。レイアも、その時の様子を見て確信したと言っておった」
「確信……?」
「あぁ、この子はもう大丈夫だと。良いご主人が見つかったのじゃと。だから、ワシらは特に手出しせずに見守ることにしたんじゃ」
俺の胸が熱くなる。
俺が何も知らない頃から、クリスはあいつの痛みを知り、その心を癒していたのだ。
「やっぱり、クリスはすごいな……」
もし俺がその頃のマルタローと出会っていたら同じことが出来ただろうか。
きっと何も出来ない。
ただ逃げられて、彼は誰にも関わることもなく孤独に生きていくか、世界を呪いながら死んでいくのだろう。
そして、そんなプレーリーハウンドがいたことも、俺はいつの間にか忘れてしまうのだろう。
クリスの包容力があるから出来たことだ……。
でも、俺と同じだな。
この世界に訳もわからず飛ばされて、クリスに助けられ、サイファーに育てられている。
順序は逆かもしれないが、似たモノ同士なのかもしれない。
「そうじゃな。できればワシの後継に欲しかったんじゃがな。お前なんかじゃなくて」
「クリスにも勧誘してたのかよ」
「どこぞのバカのことが気になるからと断られ続けたわい。まったく……」
「あー……」
反応に困る。
恐らくその"バカ"とは俺でありフェイクラントのことだろう。
クリスは魔術だけじゃなく魔物使いの素質もあったのかもしれない。
さすがは俺が惚れた女だ。
──って、そうじゃない。
今はもうクリスはいないのだ。
俺が、彼女の代わりをしなくてはならない。
「どうした? 浮かない顔をして」
「いや……そりゃ、マルタローの話を聞かされたら、色々考えちまって……」
「…………」
サイファーはしばらく杖にもたれ、考えるように目を瞑ると、
「……本当はマルタローはワシらがこのまま引き取ろうと思っていたんじゃが、お前がやってみるか?」
俺はサイファーの言葉に驚き、顔を上げた。
そりゃ、マルタローにとっては今の俺よりも、サイファーやレイアさんと一緒に居続ける方が幸せなのかもしれない。
マルタローの心の傷は、ずっと深い。
"ラヴ"を芯から理解しているクリスやサイファーだからこそ、心を許しているのかもしれない。
でも、俺は──
『マルタローのこと、頼んでも良いかな?』
他の誰でもない、クリスに頼まれたのだ。
彼女が俺ならいけると信じて、託してくれたのだ。
それに、応えたい。
「やるよ、俺」
「……そうか!」
俺の一言に、サイファーは目を細めてニカッと笑った。
それに、マルタローは俺の命を救ってくれた。
命の恩人のためにも、何かしたいと思うのは当然のことだろう。
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次の日から、俺はサイファーに頼んで、マルタローの世話のみに集中させてもらった。
以前より近づくことが出来るが、頭を撫でたり、触ろうとするとすぐに逃げ出そうとしてしまう。
恐らく過去の嫌なことを思い出すからだろう。
とにかく俺は根気よくマルタローに接しようとした。
エサの時は食べ終わるまで大人しく待つ。
散歩の時はなるべく自由にさせて、最低限指示を出す程度。
言うことを聞かなくても、キツく叱ることはせず、できる限り優しく注意することにした。
とにかく俺という人間をマルタローに『信頼』されることが重要だと思った。
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夜。
俺は相変わらず魔物たちと同じ檻の中で寝ている。
前と違うでいえば、毛布を持ち込んでいるので、多少は寝心地がよくなったくらいか。
あと、別にチェイシーやティクロが近くで寝ても気にならなくなった。
「ぐるぅ……がるる……」
「…………ん?」
夜中に唸り声のようなものが聞こえ、目を擦りながら見渡すと、端っこで寝ているマルタローが全身を震わせながら呻き声に近い鳴き声をあげている。
嫌な夢でも見ているのだろうか。
「……にゃあ」
「うお」
突然耳元で鳴き声が聞こえ、驚いてしまう。
その主はチェイシーだった。
のびーっと猫のように欠伸をしながら、マルタローに近づいていき、そのまま全身でマルタローを包み込むようにして添い寝をし始めた。
俺はこの状況に既視感があった。
まだここに来て日も浅い頃、毎日のようにクリスが消えていく悪夢を見ていた。
悪夢にうなされながら汗だくで目覚めると、何故かチェイシーやティクロが触れ合うほど近くに来ていることが毎度お決まりだった。
「そうか……気を遣ってくれていたんだな……」
チェイシーがマルタローに寄り添い、その金色の毛並みで全身を包むようにして眠り始めても、マルタローの震えは完全には止まらない。
俺はいたたまれない気持ちになってマルタローの隣に行き、チェイシーと共に添い寝をする。
そして普段は触らせてくれない頭を軽く撫でてやると……
「……ゎ……ふ……」
マルタローの表情が和らいだ。
チェイシーもぼんやりと一瞬だけ目を細める。
「よかった……」
俺は安心して、隣に寝転がる。
チェイシーがくるりと丸くなり、俺とマルタローを包むような姿勢で再び眠り始めた。
悪夢は嫌だよな。
俺も未だに見ることがある。
ビルさんやみんなの無惨な死体、目の前で燃やされた建物、球体の中で助けを求めるあの悲鳴。
そして、クリスの──
「大丈夫だ……」
きっといつか傷跡は……消えないかもしれないが、その傷を受け入れられるくらい強くなれる日が来る。
そう信じるしかない。
「クリスの代わりにはなれないかもしれないけど、少しでもマシな存在になれるよう、頑張るよ」
マルタローの小さな体が、俺の手の下で落ち着きを取り戻していくのを感じながら、俺もそのまま目を閉じた。
その夜は、俺も久々に安らかな眠りについた。