第三十七話 「S級魔物使い VS 火竜の親玉」
岩壁に叩きつけられた火竜の幼体はぐったりとしていた。
完全に戦闘不能ではないが、立ち上がる気力を失ったのか荒い息を吐きながら地面に横たわっている。
どうなってる……?
たかがプレーリーハウンドが、末席といえど竜を吹き飛ばすなんてことが本当にあり得るのか?
しかし、残りの二体は明らかに態度を変えた。
仲間を傷つけられた怒りか、あるいは目の前の小さな敵を強敵と判断したからか──火竜たちの瞳には、先ほどとは違う鋭い殺意が宿っている。
それでも、マルタローは突進を仕掛けた。
だが、火竜はその動きをあざ笑うかのように軽々とかわし、尾を一閃させた。
マルタローの体が宙を舞う。
さらにそれを目掛けてもう一体の火竜がブレスを吐き放った。
轟音とともに小さな体が俺の方へ吹き飛んでくる。
「マルタローッ!!」
反射的に手を伸ばし、俺はその体を抱きとめる。
「……大丈夫か!?」
「……くぅ……ん……」
マルタローの体には生々しい火傷が広がっている。
毛は焼け焦げ、呼吸は浅い。
なのに、マルタローの目にはまだ闘志が灯っていた。
「……お前、バカかよ……なんで……」
俺の胸が苦しくなる。
いや、バカなのは俺だ。
マルタローがこんなに傷つくまで、何も気づけなかった自分が許せない。
──サイファーのところで上手くいかなかったのは、マルタローたちのせいじゃない。
俺が、あいつらを"分かろう"としなかっただけだ。
言葉が通じない、感情が伝わらない──全部、俺の勝手な言い訳だった。
マルタローは俺には懐かない?
違う。
俺の気持ちだけ勝手にぶつけて、見返りだけを求めて、上手くいかなかったら全部相手のせいにしていた。
「……ごめん……ごめん、マルタロー」
俺は震える手でその体を抱きしめる。
その瞬間──
ズガァァッ!!
背中に激痛が走った。火竜のブレスが、俺の背中に直撃したのだ。
「グっ……あァッ……!」
俺はそのまま前のめりに地面に倒れ込む。
だが、マルタローだけは庇うように抱え続けていた。
「癒しの力よ……今こそ……治癒の恩寵を──『ヒール』」
俺は、自分ではなくマルタローに治癒魔法を使う。
白い光がマルタローの体を包み込み、火傷が少しずつ癒えていく。
「……マルタロー」
「……わふぅ?」
マルタローは小さく鳴き声を上げた。
走れるくらいには回復してそうだ。
「助けてくれてありがとう。お前、すごかったな。でも、無茶しすぎだ……こんなこと、二度とすんじゃねぇぞ」
俺はよろよろと立ち上がる。 目の前には、火竜の幼体が二体。
どちらも俺を狙い、じりじりと距離を詰めてくる。
「……って言っても、言うことは聞いてくれないか」
マルタローがあれだけ勇気を出して俺なんかを守ろうとしてくれたんだ。
今度は、ちゃんと俺が返さないと。
「でも、これだけは聞いてくれ……俺が突っ込むから、その隙に逃げろ。いいな?」
息が詰まるほどの恐怖が胸を満たす。
だが、俺は振り返らない。
マルタローに背中を向けたまま、足を一歩踏み出す。
「行け!! 逃げるんだ!!」
俺のスタートダッシュと共に、二体の火竜も一斉に動き出した
何も考えずそのまま前に突っ込んでいく。
衝突するかと思ったその瞬間、視界から火竜の幼体の姿が消えた。
否、吹き飛ばされたのだ。
まるで横から突風が吹き荒れたかのように、一体の幼体が地面を転がっている。
「何だ!?」
呆然とする俺の視界に、黄金の毛並みが映り込む。
鋭い牙を剥き出しにし、威嚇するかのように低く唸る姿──
「……チェイシー!?」
状況を理解する間もなく、今度はもう一体の火竜が突進してくる。
だが、その突進は途中で止まった。
「グルルッ……!」
火竜の幼体に四本の力強い腕が絡みつき、その動きを封じ込めている。
それは、いつも威風堂々とした佇まいを見せていたマンティクロスだった。
ゴォッ──!
火竜が反撃のブレスを吐いたが、それはマンティクロスのたてがみがほんの少し焦げただけだった。
対して怯ませることもできず、そのまま地面に叩きつけられる。
俺は呆然と立ち尽くすしかできなかった。
そして最後に、茂みから静かに人影が現れる。
世にも珍しい鳥の魔物『ミストフレア』が止まる杖を片手に、威風堂々とした足取りで近づいてくる魔物たちの総統者──
「サイファー……?」
思わず名前を口にすると、彼は一瞥もくれずに杖を地面に突き、周囲を見渡した。
「なんで……こんなところに──」
俺が続けようとしたその瞬間だった。
「グギャァアアアアアア!!」
高く響き渡る咆哮が洞窟から轟き、空気が震える。
倒れていた火竜の幼体が力の限り空へ向けて声を張り上げ、助けを求めるような叫びを上げたのだ。
「……親玉か」
サイファーが体長5メートルはありそうな存在を見上げながら言う。
洞窟の奥から姿を現したのは、圧倒的な存在感を放つ巨体だった。
成体の火竜──ギルド指定Aランク、洞窟の主だ。
「グォォォォォッ……!」
親火竜がサイファーたちを睨みつけ、その目には怒りと威嚇の色が浮かんでいる。
一歩踏み出すたびに地面が揺れ、辺りの空気がじりじりと焼けるような熱を帯びていく。
サイファーは親火竜と真っ直ぐ向き合い、その威圧感にも微塵も怯む様子を見せない。
親火竜がさらに大きな咆哮を上げ、空間全体がその声で震えた。
「……いいだろう。ワシが相手をしてやる」
その言葉と同時に、ボキボキと肩を鳴らすサイファー。
空気が変わる──サイファー自身が纏う雰囲気が、瞬時にそれまでの飄々としたものから圧倒的な威圧感へと変わった。
親火竜が口を大きく開き、その内部で火花が散り始める。
地鳴りのような低音が洞窟周辺に響き渡り、灼熱のブレスの予兆が空気をさらに熱くする。
「グォォォォォッッ!!」
親火竜の咆哮と共に、真っ赤な炎の奔流がサイファーを目がけて吐き出される。
周囲の木々が一瞬で燃え上がり、地面が焼け焦げ、熱波が押し寄せる。
「くっ……!」
俺はマルタローを抱きかかえ、必死にその場を離れる。
猛々しい炎の勢いに押されながらも、転がるようにして距離を取った。
炎が彼を完全に飲み込んだかに見えたその瞬間、静寂が訪れる。
灼熱の中心に立つサイファーの姿が、ぼんやりと見え始めた。
「……ただでさえ暑いのに、こりゃいかんな」
サイファーはゆっくりと息を吸い込み、その背後でミストフレアが静かに翼を広げる。
冷気が空間全体に広がり、炎の揺らぎが凍りつくように消え始める。
「スゥッーーーーッ!!」
『魔物術・凍てつく息吹!!』
彼が口を開いた瞬間、まるで嵐のような凍てつく吹雪がその小さな体から放たれた。
ミストフレアの翼がさらに強く羽ばたき、冷気の勢いを加速させる。
ゴォォォォッッ!!
親火竜がさらに炎のブレスを吐くが、サイファーの冷気がそれを飲み込み、押し返していく。
炎が消え去り、代わりにその流れは全て氷へと変わる。
凍てつく嵐が親火竜を包み込み、その巨大な体が瞬く間に氷の彫像と化していく。
「……どうじゃ?」
サイファーは余裕の笑みを浮かべながら、最後に杖を地面に突き立てた。
親火竜の体が完全に氷に覆われ、静かにその場に動きを止めた。
「真夏の暑い時期には、これくらいが涼しくて心地よいじゃろ?」
「グ……ォオ……」
わずかに聞こえた親火竜の呻き声が、氷の中で反響する。
その目にはかつての威圧感はなく、完全な降伏を意味する光が宿っている。
「グゥ……」
「ふむ……いいだろう」
サイファーはまるで魔物と会話をするかのように軽く頷いた。
そして、指を軽く鳴らすと共に、親火竜を覆っていた氷が砕け散る。
親火竜はそのまま前のめりに倒れ込み、荒い息を吐きながらも戦意を完全に失っている。
「ふ……別に命まではとりゃせんよ。だが、長生きしたければ、もう人は襲うな。子竜供にもそう言っておけよ」
「グルル…………」
親火竜が倒れ伏した後、辺りは一瞬静寂に包まれた。
俺はその場にへたり込むしかなかった。
全身の痛みがじわじわと広がる。息を吸うたびに肺が焼けるように苦しい。
「……こっぴどくやられたようじゃな」
杖を突きながらゆっくりとこちらに歩み寄ってきたサイファーの声が耳に届く。
彼の顔には、いつもの飄々とした笑みはなかった。
代わりに、どこか冷たい眼差しが俺を射抜いていた。
「……あ、ありがとう。助けてくれて……」
俺は視線を地面に落としたまま、震える声でそう呟いた。
だけど、サイファーに対して目を合わせることができなかった。
出て行ったのは俺の方だ。
それをこうして助けられるのは、なんとも情けない。
「勘違いするな。お前を助けたんじゃない。ウチのマルタローを助けただけじゃ」
「…………」
「……まぁ、お前の手当もしてやる。来い」
そう言って背を向けたサイファーの言葉に、俺は一瞬迷った。
いや、俺なんかがついて行ってもいいのか。
こんな醜態をさらしておいて、まだ甘えるつもりか。
「で……でも、俺……」
「返事!!」
「は、はい!!」
言い訳めいた声を漏らす俺に、サイファーは振り返りざま、杖を地面に叩きつけるようにして叫んだ。
その怒声に反射的に体が跳ね、言葉を絞り出す。
気づけば立ち上がり、サイファーの背中を追いかけていた。
体中が痛むのも忘れて、杖をついた老人の後ろ姿を見つめていた。
でも、老人にツンデレは似合わないぜ……。