第三十六話 「神威の光」
眠れないまま夜が明けた。
重い瞼をこすり、寝不足の頭を抱えながら道具屋を出る。
これからのことを考えようとするが、頭がぼんやりとしていて集中できない。
どこへ行くのかもわからず、ただ足を動かしているうちに、気づけば俺はサイファーの家の前に立っていた。
(何やってんだ、俺は……)
戻れるわけがない。
俺はもうクビになったのだ。
引き返そうと一歩を踏み出した瞬間──
「いくぞ、お前たち」
家の扉が開き、サイファーが魔物たちを引き連れて出てきた。
チェイシー、マルタロー、マンティクロス、ミストフレア……みんな揃っている。
慌てて木陰に隠れる。
「みんなで散歩するのは久しぶりじゃな」
「ピィっ!」
「こら、頭に止まるなミスティ」
「わん!」
「なんじゃ、そんなに楽しみじゃったのか? マルタロー……」
魔物たちはサイファーの周りを囲み、まるで子供たちのようにはしゃいでいる。
ミストフレアはサイファーの頭に止まってはしゃぎ、チェイシーは「早く行こう」とでも言わんばかりに彼の背に頭をを擦り寄せている。
マンティクロスは腕を組み、まるで親のような眼差しでその光景を見守っているようだった。
そしてマルタローは、誰よりも前に進もうと尻尾を勢いよく振り、地面を蹴っている。
(はっ……なんだよ、マルタローのやつ……)
それは、俺が見たこともない彼らの表情だった。
その輪の中には、確かに『信頼』があるのがハッキリとわかる。
まるで休日にキャンプにでも出かける家族のような光景だった。
「わふぅ……?」
ふと、マルタローが鼻をひくつかせ、地面の匂いを嗅ぎながらこちらに近づいてきた。
木陰から覗いている俺の存在に気づいたのだろうか。
「どうした、マルタロー?」
サイファーが声をかけるが、マルタローは耳をピクピク動かしながらそのまま近づいてくる。
(まずい……)
……さっさと立ち去ろう。
見つかりたくない。
ガサガサっ……
俺は彼らのその光景を、悔しさと羨望の眼差しを持ちながら、その場を離れた。
---
「あれ……どこだここ」
足を止めて周囲を見渡すと、眼前には森の中に少し拓けた広場と、ぽっかりと口を開けた洞窟が現れていた。
考え事をしながら歩いているうちに、道を外れてしまったのだろう。
崖の奥にぽつりとあるその洞窟に見覚えがあった。
「この洞窟……」
ゲーム内で訪れたことのある場所だ。
攻略ルートから外れた隠しエリアとして存在し、奥にはレアアイテムが隠されていた。
しかし、それなりに手強い魔物が出現する場所でもあり、準備が整わないと危険だった。
まぁ、俺一人でいけるような場所ではない。
洞窟の中には火竜の幼体がうようよしている。
ボスの火竜本体を倒せば希少なアイテムが手に入るが、それはゲーム内の話だ。
俺のステータスでは無謀もいいところ。
「引き返そう……」
重い足取りで来た道を戻ろうとした、その瞬間だった。
ガサガサッ──
草むらから不穏な音がした。
(しまった、魔物……!?)
反射的に体が緊張する。
クソ、ぼーっとしてた。
あたりを見回すと、草むらが揺れ、その奥から獰猛な目を持つ火竜の幼体が姿を現した。
・火竜
洞窟などに潜む竜系の一種。
竜系統全般に言えることだが、その数は少なく、基本的に成体を目撃することはあまりない。
幼体たちはある程度まで育つと進んで狩りに赴き、獲物を縄張りに持ち帰って群れで食べる。
幼体自体はギルド指定D~Cランク程度だが、成体にもなるとB~Aランクである。
「くそっ!」
振り向きざまに全力で駆け出そうとする。 だが、次の瞬間──
ズシャアッ!!
「う、がぁッ……!」
背後から飛びかかってきた火竜の幼体が、鋭い牙で俺の肩を食いちぎる。
焼けるような痛みが肩から背中に走り、地面に叩きつけられた衝撃で視界が揺れた。
「ぐっ……!」
何とか組み付きから逃れ、立ち上がろうとするが、見上げた先にはさらに2体の火竜の幼体が等間隔で俺を囲んでいる。
「なんでだよ……洞窟の中だけじゃなかったのか……」
ゲームの知識を過信していた自分を呪った。
洞窟内でしかエンカウントしない火竜たちは中に入らなければいいと思い込んでいたが、
そりゃそうだ、彼らも獲物を狩るために外に出てきてもおかしくはない。
じりじりと囲いを狭めてくる火竜の幼体たち。
その小さな体からは信じられないほどの殺気が溢れ出していた。
とにかく突破口を開かなくては。
帰り道を塞いでいる一匹に突進しながら、必死に詠唱を口にする。
「吹き荒れる力よ、刃となりて顕現せよ──『風刃』!」
風の刃が火竜の幼体に向かって放たれる。 だが、幼体の一匹が口を大きく開いたかと思うと、火のブレスを吐き出した。
「なっ……!」
熱閃が風の刃を容易く消し去り、そのまま俺に向かって迫ってくる。
咄嗟に横へと飛びのくが、地面に着弾したブレスが土煙を巻き上げ、俺の体を吹き飛ばす。
「ぐぁあっ……!!」
肩の痛みが全身に広がり、体が痺れるように動かない。
起き上がろうとするが、視界の端にまた別の幼体がブレスを吐こうとする姿が映る。
(クソッ……やられる……!!)
目を瞑り、覚悟を決める。
意味無いと分かっていても両腕でなんとか身を守ろうと構えた──その時だった。
「わおぉおおおおおん!!!」
鋭く響き渡る遠吠えが森全体を震わせた。
その音は空気を切り裂き、火竜たちの殺気を一瞬にして塗り替える。
(……!?)
目を開けると、そこにはマルタローが森から飛び出し、火竜の幼体達に威嚇するように唸っていた。
「なんで、こんなところに……」
マルタローは鋭く唸りながら、尻尾を激しく左右に振っている。
一番近い火竜の幼体に突撃し、その小さな体当たりは火竜の横腹に直撃する。
だが──
「グルルルっ……!」
火竜は反撃するように尻尾を振り上げ、マルタローを弾き飛ばした。
マルタローの体が地面を転がり、苦しそうに体勢を立て直す。
無理だ……幼体とはいえ、火竜にプレーリーハウンドが勝てるワケがない。
「マルタロー!」
俺は肩の痛みを堪えながら、何とか立ち上がろうとする。
だが、マルタローは俺の方をチラリと見て「わん!」と一声鳴いただけで、再び火竜たちに向き直った。
「……なんで、俺を助けようとしてんだよ……!」
俺の声は震えていた。
それでも、マルタローの目には迷いがなかった。
──次の瞬間、火竜の一体がブレスを吐く体勢に入る。
「……ッ! 避けろ!!」
俺が叫んだ時には、もう遅かった。
火竜の口から放たれた炎の閃光が、真っ直ぐマルタローに向かって飛ぶ。
ドゴォォォッ!!!
土煙が舞い上がり、マルタローがその中に飲み込まれる。
心臓が潰れるような感覚に襲われ、思わず膝が折れそうになる。
だが──
「わおぉぉん!」
土煙の中から、マルタローの小さな体が再び飛び出してきた。
真っ白の毛並みが煤で黒く汚れているが、その目にはまだ闘志が宿っている。
「……ッ! バカ、無理だ!」
俺が止める間もなく、マルタローは再び突進を仕掛ける。
その勢いは、さっきよりもさらに力強く見えた。
ゴォンッ!!
マルタローの一撃が火竜の横腹に再び直撃する。
先程の一撃とは違い、今度は火竜側が吹き飛び、岩に叩きつけられた。
「え……」
自分の何倍も質量のある竜を弾き飛ばしたマルタローは、威嚇したまま立っている。
その小さな体は、薄ぼんやりとした光で包まれていた。