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第二百十九話 「私だから分かる」【マリィ視点】

 私は──とある朝焼けの浜辺に立っていた。

 髪は白ではなく太陽のような亜麻色で、服は薄い布みたいなものを巻いているだけ。

 記憶にないはずなのに、”彼女”の思い出が私の中に溢れ出る。

 これも合わせ鏡の影響だとすぐに分かった。


 目の前には黒い外套を深く着込んでいる男が一人。

 その吸い込まれそうな深緑の瞳で私を見据えていた。


『あなたに恋をした』


 なんの外連もないその直言に、私は驚いて硬直する。


『跪かせていただきたい。あなたこそが新世界の女神に相応しい』


 当時は意味がわからなかった。

 でもなんとなく嬉しかった。


 きっとこの人は何かが違う。

 自分が知っている諸々とはかけ離れていて、私が知らないことを教えてくれる人なのだと直感した。


 それは実際、楽しかったと思う。

 世界中を一緒に旅して、色んな人と出会って、別れて、決して私に触れてくれることはなかったけれど、私に笑顔ではなしかける──というか笑顔しか見せない人だったけど、そんな人物は彼だけだった。


 包まれているような、存在を許されているような、そうした柔らかい気持ちを常に教えてくれていた。

 居心地が良かったという事実は否定できない。


 でもね、違うよね。アルティア。

 私はクリスでもアルティアでもないけど──(マリィ)だから、分かる。


 あれは言うなれば、雛鳥の盲愛。

 初めて見た相手を特別だと信じ込んでいただけのこと。

 数少ない対人経験で、当時彼女のことを理解してくれようとしたのは彼とルドヴィクという人くらいしかいない。

 だから当然、比べる相手がいないのだから彼は彼女の中では最上位。


 たとえ戦争が起こっても、彼がかつての”仲間”と殺し合いを始めても、彼女の心はぴくりとも動かなかった。

 結局、彼女は彼を封印したけれど、”なぜ”そうしたのかまでは、考えてもずっと理由がわからなかった。


 ただ──”抱きしめたい”。

 そう思っていたことは鮮明に覚えているということだけ。


 だけどね、アルティア。

 クリスが生まれて、あなたはクリスの経験したことを通じていろんなことを知った。

 そして私がクリスの魂も受け止めて、たくさんの思い出が出来た。


『そのプレーリーハウンドとは、別れた方がいい』

『串刺して引き裂いて、吊るして晒して吸ってやらァ!!』

『どこの世界にもいるのよねぇ……“役に立たないゴミ”って』


 それは恐怖──


『みんなで散歩するのは久しぶりじゃなぁ!』

『やーん! もう駄目! 駄目よそんなこの子ったら可愛すぎーっ!!』

『わかったわ!! 成長期ねッ!!』


 それは楽しさ──


『フェイ……愛してる──』

『俺と、家族になってくれないか?』

『お前のことが好きなんだ!』


 そして胸が苦しくなるこの甘苦さを。


 “彼”と一緒に旅をして、見たいものが増えた。

 知りたいものが増えた。

 触りたくて触って欲しくて、経験したいことが止め処なく溢れてくる。


 同時に、絶対避けなければならない絶望という存在も。

 乗り越えなければならないという脅威も。


 奪われるという怖さ、手からこぼれ落ちる切なさ。

 私とクリスはあなたの代わりに、いろんなものを知った。

 けれど、それを失う恐ろしさを理解した。


 失わないように頑張るという覚悟も。

 そして、あなたとクリスの感情が私の中でごちゃごちゃになっても、私は”彼”を選びたいという覚悟も。


 目の前の男は、砂浜に腰を降ろして震えている。

 私と同じで、彼の中で自分じゃない心の声が溢れ出し、迷子になっている。


 ねぇ……そんな顔をしないで、フェイ。


 私、嬉しかったよ。

 誇らしかったよ。

 あなたが与えてくれたものは、こんなにもこの胸を溶かしている。


 クリスじゃないなんて言ってごめん。

 私の感情じゃないなんて言ってごめん。


 アルティアの心まで分かる私が言うんだから間違いないよ。

 あなたは”あの人”とは全然違う。

 フェイはフェイだよ。


「だけど……」


 いつも強くて、気楽で、自信に満たされたフェイの瞳が揺らいでいる。

 道に迷った子供のように、彼が彼であるための大事な何かを見失っている。

 まるで、少し前までの私みたいに。


「俺は、誰なんだよ。どうしたらいいんだ……」


 フェイの爪が、彼の顔に食い込んでいく。


「やらなきゃいけないことは分かってる。分かってるさ、魔王どもをぶっ倒して、ついでに大魔王も食い止めて、エミルもなんとかするんだ。今さら引けない。選択肢がないんだよ。そうするしかないんだから迷っているわけでもない。ただ……」


 それが紛れもなく自分の意志なんだと信じられずにいる。


 選択肢がない道は彼の望みで、そして私のこれまでと一緒で……。

 だけど大元にあるべき意志を確信できないから、彼はその結果を恐れている。


「私ね、フェイに聞きたいことがあるの」


 だから、彼に知って欲しい。

 私がどれだけ、あなたを特別に見ているか。

 どれだけあなたの意志を信じているか。

 ううん、というより信じて欲しいの──私のことを。


「私のことが、邪魔じゃない……?」


 彼が居続けたい日常に異物を混ぜたのは私が原因でもある。

 私こそが彼の嫌う非日常そのものなのに。

 千年前のことが無ければ、”あの人”がいなければ、彼はこんな目に会う必要もなかったのに。


「怖くて、痛くて、苦しいよね。全部やめて、無かったことにしたいよね」


 わかるよ。

 私、やっと分かった。


 彼が愛している日常とは、クリスやサイファーおじいちゃん、レイアおばあちゃんとの生活、ミランダやクロードや仲間たちとの冒険、アーシェやセレナとバカやって笑い合うこともそう。


 そして彼が嫌う非日常とは、血臭、喪失、戦争、命のやりとり。


 どちらが好ましく尊いかなんて、今さら考えるまでもない。

 だって私も彼といて、彼の日常を魅力的に思った。

 彼の非日常に恐怖した。


 家族になりたい。

 プレーリーでまた一緒に彼と道具屋をしたい。

 全部が終わったら、ザリーナがいうパーティで騒ぎたい。


 そう強く感じた今だからこそ、自分がどれだけ彼の毒になっていたかということにも理解できる。

 クリスの代わりにはなれないし、アルティアのように力ずくでこの闘いに終止符を打つことも出来ない。


 だから──


「私なら、泣いちゃうよ。恨み言が言いたいよ。だって、こんなの酷すぎるよ。

 俺が何をしたんだって、お前なんか関係ないって、怒って文句言って関わりたくない。それが当たり前だしそれが普通。なのに、どうして?」


 どうしてあなたは……


「どうして、ずっと私に優しいの?」


 どうして私を責めないの?


「どうして……」


 今も自分を責めているの?


 私を見捨てれば、彼に再び日常が訪れる。

 "あの人"は興味を無くして、”元の世界”っていうところにだって帰れるかもしれない。


「教えてよフェイ……ちゃんと聞くから」


 合わせ鏡で全部分かるはずなのに、ここだけは分からない。


 血が怖い。

 戦いが怖い。

 殴られたら痛いし殺されたくない。


 そして殺すのはとてつもなく辛い。

 日常に戻れなくなる。

 非日常に変わる気がする。


 女神の存在は、殺しなんてしたこともないあなたを変えてしまった。


「フェイは……こんなにも私を変えてくれたよ。人の姿になって、たくさんの人と友達になれて……。全部、全部フェイがずっと傍にいてくれたからだよ。

 ミーユとまた遊びたい。アーシェとアップルパイが食べたい。ミランダと喧嘩したい……」


 全部、フェイがいてくれたから私は変われたんだよ。


 彼は私を真の女神化させるための道具。

 “あの人”はそう言ったけれど。

 違うよ、フェイはモノなんかじゃない。


「俺は、別に……」


 戸惑うように目を伏せて、フェイはぽつぽつ話しだす。

 まるで言い訳するみたいに。


「俺は別に、何も考えてなかったよ……そんな余裕、なかったんだ。状況が目まぐるしく変わりすぎて、言い訳ばっかりしてきたけど。ただ、じっとしてるわけにはいかないし、あとはその都度なんとなく覚悟を持ってきただけで、単に俺は……」


 死にたくなかったし、死なせたくない人がいる。

 だから否応もないとフェイは言う。


「結局、利用したんだよ。お前は俺が好きな人そっくりだし、戦いでも俺より強いから、機嫌取ってただけかもしれない」

「嘘だよ」

「そうかな。そうかもしれないけど……そういう打算も、確実にあったと思うよ。マリィがいなけりゃ、レヴァンにすら来れてないし」

「でも……」


 でもあなたは、私の在り方を気にかけてくれたじゃない。

 単に道具として、戦力として私を見るだけなら、そんなのどうでもいいはずなのに……。


「そりゃお前、そこんとこは犬の頃から分かるだろ。道具として見る奴の目くらい」

「そうだけど……」

「いや、どのみち俺はあんまり頭良くないからさ、卑屈なこと言う気もないけど」


 自嘲するように苦笑して、フェイは軽いため息をつく。

 その仕草も、私に気を遣った痩せ我慢ということが痛いほど分かった。

 本当は、今にも叫び出してしまいたいほどに混乱しているはずなのに。


「やっぱり、少しおかしいのかな。たしかに、普通は文句の一つや二つ言うか。クリスとかサイファーには、マジで怒るもんな、俺」

「そうだよ……私には出来ないの?」

「…………なんかさ、お前の世話をし始めた時、一度だけキレそうになった時があってさ。その時クリスに止められてから、お前に怒るってことが出来なくなっちまったのかも」

「ふふ…………なにそれ」


 そんなことも、あったような気がするな。


「じゃあ、言っていいかな」

「うん、言って」


 恨み言でも、罵倒でも、今あなたを不安にさせてる全部を私にぶつけてほしい。

 そうして楽になってほしい。


「できることなら、なんでもするよ。なんでも受け止めてあげるから」


 私の言葉に、彼はちょっと困ったような、驚いたような顔をした。

 そんなに変なこと言ったかな。


 そして──


「あのさ、マリィ……」


 瞬間、私は抱きしめられていた。

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