第二百十三話 「そういうとこだよ」
「結局、全部食っちまった……」
椀の底が見える。
粥のとろみはきれいに消え、干し魚の香りだけがほのかに残っていた。
生姜が舌の奥をやさしく叩いて、腹の底に小さな火を灯している。
実際、マリィが頑張って作ってくれた昼食は美味に他ならなかった。
野営の時の彼女は、塩と水と根菜で作る簡素なスープが関の山。
それがどうだ、今日は塩の角が立たず、だしが丸く、根菜は角が融けて“ほぐれて”いる。
ザリーナ仕込みか、あるいは──あいつ自身が「作りたい」と思って火に向かったのか。
しかし──
「お前ら……せっかくマリィが手伝ってくれたんだから、アイツの気持ちも考えてやれよ……」
「うぅ……」
鍋の向こうでザリーナが眉をしかめ、ツバキはおとなしく椀を抱え直した。
飯を作ってもらっておいて、礼どころか怒らせる。
誤解だなんだと弁解が浮かぶが、今の彼女には通じないだろう。
「一緒に飯を食うことはできねえからって、お前のために作ってくれたってのに」
「そうだな……謝っておかないと」
会いに行くことはできないので、心の中で謝罪の想いを重ねる。
現在、俺とマリィは合わせ鏡の影響で心が通じ合っている。
ある程度近くにいれば、声を出さなくても考えていることくらいはなんとなく伝わってしまうのだ。
まぁ、だからと言って……これではメールで謝っているような気分で、直接言っているわけじゃないから、なんとも罪悪感が高まる。
──当然、俺とツバキにはそういった男女関係の気持ちなんて全く無い。
それもマリィには伝わっているはずだ。
だが、それでも怒ったということは、きっと理屈とかではないのだろう。
理由がどうであれ、一組の男女がベタベタとゼロ距離で身体を触り合っていたのだ。
これが仮に──マリィと……例えばロイドが同じことをしていたらどうだろう。
……うん、嫉妬するな。
「ロイドなんて別になんとも思ってない」とか説明されても、納得しないだろう。
「はぁ、もう。ちゃんと謝っとけよ。せっかく引きこもりやめて、あんなに楽しそうに料理してくれたってのに」
「…………はい」
小言が続くザリーナだが、頭は上がらない。
わざわざ引きこもりのマリィを外に出してくれたのに、これじゃ逆効果だ。
マリィだってここ最近はずっと部屋に篭りっぱなしで、いい刺激と体験になったはずなのに。
ちらりと隣の席に座っているツバキを見る。
「む、なんだ?」
鋭い感性で気づき、振り向いてきた。
頬にはご飯粒が付着している。
頬の感性は鋭くないのか。
ていうか、お前のせいでもあるんだからな。
「ツバキ……俺にもそうだが、もうちょっと異性の距離感を考えた方がいいぞ」
「なぜだ?」
「なぜって……男は単純なんだよ。美人に距離を詰められると、それだけで“自分のことが好きだ”って勘違いするやつもいるんだ」
「それは悪いことなのか? 好かれるならば良いことではないか」
「…………」
ダメだ、軽く抑止力にする程度に思って言ってみたのだが、根から理解してない。
なんというか、説明するのもまた疲れる。
ザリーナを確認すると、「意味ねーよ」と言わんばかりに気怠げな顔をされた。
もう何度か試みたらしい。
諦められている。
「はぁ……ま、なんにせよ、さっきのマリィみたいに怒る人だっている。理由がわからなくても、人が嫌がることは、しちゃダメだってベアトリスさんも言うだろう?」
「……う、む」
まるで子供に無理やり納得させるためだけの酷い説得だが、まぁこういうのの方が効いてくれそうだ。
案の定、ツバキは瞬きを二度した後、こくりと頷いてくれた。
指で、頬の米粒を摘んで取ってやる。
「わかってくれればいいよ」
無意識に、その米粒を口へ──
入れた瞬間、「しまった」が喉に引っかかった。
「おめーのそういうとこもだよ、フェイ」
ザリーナの箸が卓をコツンと叩いた。
軽い音なのに、胸骨の裏まで効いた。
「……すみません」
「それ、人の“距離感が〜”って諭した直後にやるムーブじゃねぇから」
「はい」
気をつけなければならないのは、俺もだった。
「わかった。フェイクラントには金輪際接触しない」
うーん、確かにそう捉えられる言い方をした自覚はあるけど、いざそういう感じで言われると少し悲しい。
「ゼロじゃなくて、適切な距離な。訓練は必要があれば触れてくれても良い。けど、ベタベタしない。それでいこう」
「……適切、か。難易度が高い」
「やればできる。お前、刀使うんだろ。間合い管理の修行だよ」
「なるほど……これもまた"武"か」
とにかく、昼食も無事(?)済んだことだし、午後からも特訓がある。
マリィは──会えるかわからないけれど、一応心の中で謝罪し続けよう。
……怒ってるかもしれないけれど、悲しいかな、午後もツバキと一緒にいなければならない。
すまん。マリィ。