第二百四話 「一度だけ」
レヴァンの里・訓練場──
昼を済ませたあと、俺はまた白砂の地面に立っていた。
ちなみに食事は別。
マリィは部屋に籠り、ザリーナが彼女の部屋まで盆を運ぶ。
わかっていた動線なのに、意識して切り離されると胸のどこかが疼いた。
「はぁっ!!」
踏み込みと同時に、柄から鍔、鎬へと魔力を唸らせる。
神威を纏わせるのと同じ“癖”で、火の魔術を刃に宿す──そのつもり、だったのだが。
ボシュゥゥ……。
「あっ……」
根本で萎えた火が、湿った紙みたいに消えた。
どうやら、俺は魔術剣を舐めていたらしい。
想像以上に指先の精度を要求してくる。
神威は形を変幻自在にできるものだから、剣に纏わせるのもなんとなくでやれていた。
だが、「じゃあ魔術でやれ」と言われると、コツが違う気がする。
「ふむ」
腕を組んだツバキが、白砂に影を落としながらこちらを見ている。
「貸した剣では、上手くいかないか?」
「いや、そんなことはない。こだわりないし……」
グランティスで買った俺の剣は、今やボロ雑巾。
今持っているのはベアトリスさんから借りている一本だ。
屋敷の奥、半ば小さな武器庫みたいな部屋には、刀槍弓に古式の魔具まで並んでいた。
きっと、"役目"のことでベアトリスさんが蓄えていたものなのだろうか。
「お前は私の見立てでは、そんな初歩で躓かないと思っていたのだが……」
「…………」
うーん、と彼女が喉の奥で唸る。
どうやら彼女もミランダさんと同じで、俺の評価は少し高いらしい。
ありがたいけど、プレッシャーでもある。
――けど、みんなして一体、俺のどこを買ってくれているんだろう。
トレーニングは続けているから体は仕上がってきたとはいえ、ステータスの伸びは並。
ひいき目に見ても“万能型の凡人”だし、過大評価じゃねぇかと思う自分がいる。
「まだ、魔術を“放つ”意識が抜けていないな。剣に“宿す”つもりでやれ」
「あぁ……」
それが最初からできりゃ苦労しねーよ。
っていうか俺、この魔術剣の特訓だってそうだし、サイファーから教わった魔物使いも、クリスから教わった魔術だって、俺はすんなりと上達した試しがない……。
はは、思い出してると本当になんの才能もねーな、俺。
「魔術は火が得意か? それとも別が得意か?」
「あぁ…………」
「…………?」
それなのにみんな、俺には期待してる。
そりゃ、俺にしか出来ないのは理解してるけど、やはりどこか決断し切れない自分がいる。
これならツバキに魔物術を教えた方が、まだ可能性があるんじゃねぇか?
思考が勝手に渦を巻いた、その時。
ツバキが無言で一歩詰め、両手で俺の頬をむにっと掴んだ。
「むぅ!?」
「こら、フェイクラント。全然訓練に身が入っていないぞ」
真顔。無表情。
なのに、わずかな怒りの熱が混ざる声音。
鼻先が近い。
吐息がかかって、目の前で紅玉色の瞳がじっと揺れない。
サイファーによってケモナーに堕とされた普段の俺なら確実に赤面してパニックだが――今は別種のざわめきの方が胸を占めていた。
「失礼だが、これでは時間の無駄だと言わざるを得ない」
紅の双眸に射抜かれて、言葉が喉で転がった。
「…………そう、だな。ごめん」
午前からずっと、彼女には迷惑をかけっぱなしだ。
謝って、深呼吸――乾いた空気が肺をひやす。
ツバキは頷くと、手を離し、少しだけ視線を落として言った。
「……悩み事か?」
「まぁ……」
午前も聞かれたけど、やっぱり言葉にはできない。
けど、午後のツバキはひと味違った。
「だったら、私が相談に乗ろう」
「へっ?」
「このままでは師の命を果たせない。『お前に魔術剣を教えてやってくれ』と言われたのだ。任された以上、責任がある。私に非があれば正す」
言葉は端的、姿勢は一直線。
つまり――強引に来た。
「え? いや、別にツバキに非があるとかじゃ──」
「だったら、なんなのだ!?」
ぐ、と腕を掴まれ、距離がさらに詰まる。
和装越しでも分かる柔らかな双丘。
さらさらの黒髪が肩に触れて、かすかに薬草の匂いがした。
「ちょ!? ツバキ!?」
わざとじゃないとわかっているからこそ、そこが一番やばい。
こいつ、間違いなく男の感情を何も考えてないだろ。
「べ、別に俺は……」
引き離そうとした腕が、逆に逃げ腰を悟られたのかもしれない。
ツバキがはっと目を見開き――みるみる頬が赤くなる。
「……な、なるほど。そういうことか」
「うん……?」
どういうこと?
と、俺の脳が疑問符で埋まる。
「ここには成人の男性がいないから気づけなかった。すまない。殿方特有の悩みというわけだな?」
「えっ?」
ちょ、まっ、何をどう解釈したらそうなる。
ていうか、お前と密着した時の俺の心だけ読んだろ!?
絶対に何やら盛大な勘違いをしている。
ツバキは俺の狼狽を、別の種類の照れと受け取ったらしい。
こくりと真顔で頷き、やけに納得した調子で言う。
「準備をする。少し待っていてくれ」
「ちょ、ちょっと待て。一体なんの準備なんだ!?」
問いは最後まで届かない。
彼女は胸に手を当て、すう、はあと深呼吸を数回。
頬に熱が差し、瞳に覚悟が灯る。
「……い、一度だけだからな……」
声が一段低く、妙に色っぽい。
耳の先が恥ずかしそうに伏せ、視線がふっと逃げて――
トテトテ、と軽い足音を残して屋敷の方へ駆けていった。
「………………は?」
白砂に残る足跡だけが、現実味を帯びている。
置いていかれた俺は、剣を持ったまま棒立ち。
まさか――転生して初めてのエロ展開……?