第百九十六話 「無かった話にされる方が、ずっと辛い」
──翌朝。
俺は、昨日と同じ場所に立っていた。
そう、あの広間だ。二人の“幻影”──サイファー、レイアさん。それとベアトリスさんが並び立ち、まるで時間が巻き戻されたように、そこにいる。
「…………」
三人は沈黙を保ったまま、俺の言葉を待っていた。
──だが、だからこそ、口を開きづらい。
この沈黙を破ることは、昨日の夜に固めた俺なりの“答え”を口にするということだ。
戦うためじゃない。選ばれるためじゃない。
これは、俺の“拒絶”だ。
だから俺は、わざとらしく頭を掻いて、できる限り冗談っぽく口を開いた。
「……あのさぁ、俺なりに色々考えてみたんだけど……やっぱ無理だよ」
口角を引きつらせるようにして笑った。
どこか自嘲の混じる、乾いた笑い。
「魔族相手に戦える力なんてないし、世界なんてものを背負って戦える器も持ってない。……普通の村人には、荷が重すぎると思わないか?」
──持ち込んだのは、ただの言い訳。
“そりゃそうだな”って言ってほしかった。
“お前には荷が重すぎたか”って、笑ってくれてもよかった。
でも。
「ワシはそうは思わん」
その期待は、サイファーの軽い一言であっさりと断ち切られた。
──本当に、容赦がない。
隣に立つレイアさんも、ベアトリスさんも。
まるで俺の言葉が届いていないかのように、静かに視線を向けてくる。
「お主は、人族にそうそう扱えるものではない──神威を短時間で操り、魔物と心を交わすことのできる、稀有な“魔物使い”の素質を持っておる。そして、“魔素”を取り込み、魔物術さえ使いこなす……こんな奴はそうおらん」
……なんだよ、その分析。
「神威と魔物術、その二つの力を持つお主が、“魔石”をも使いこなすことができれば──」
──魔石?
その言葉に、思わず眉が動いたのは俺だけじゃなく、ベアトリスさんの瞳まで一瞬揺れるのが見えた。
「お主は、最強の戦士となる」
レイアさんの“断言”に、喉の奥がカラカラと乾いた。
……最強の、戦士?
そんなの、子供が夢見るファンタジーじゃないか。
「なんだよ、それ……。第一、神威や魔物術に関しては、俺なんかよりサイファーやレイアさんの方が強いじゃねーか」
「ふん、認めたくはないが、その二つを“同時に”有している者はお主しかおらん。ゆえに、エルジーナを倒す可能性を持つ者は──お主だけじゃ。フェイ」
俺だけ。
俺“しか”。
なに言ってんだよ。
俺はただの村人Aだぞ。
主人公の仲間ですらない、最初の村人ポジだぞ。
わけわかんねー。
説明不足だし、俺より強い奴がいることに対してはノーコメントだし、そもそも「やりたくない」って言ってんのに伝わっている気配がない。
…………なんか、イライラする。
「……魔石ってなに?」
聞こえるようにため息をつきながら、俺は投げやり気味に問い返した。
胸の奥がムカムカと泡立つように苛立っている。
息を吐くたび、その熱が喉を焼いていくような感じがした。
「…………お前がヴァレリスへ向かう時に、レイアが渡した“お守り”じゃ」
サイファーが、静かにそう返してきた。
俺は、思わず首元へと手を伸ばす。
長旅のあいだ、肌身離さず持っていた紐の先──今も胸元にぶら下がっている小さな石のペンダント。
……これかよ。
無事を祈ってくれた“贈り物”だと、ずっと思っていた。
あの時、言葉少なにレイアさんが手渡してくれたから、大切にしてたんだ。
それなのに──まさか、こんな“役目”に繋がっていたなんて。
じゃあ、あの日から俺は──“勇者候補”だったってわけか?
だったら……
「それはな──」
「勝手だよ………二人とも!!」
サイファーの説明を、怒鳴り声でかき消した。
感情の蓋が──外れた。
首からぶら下がるその“お守り”を、勢いよく引きちぎる。
パチン、という鈍い音とともに紐が切れ、俺の掌にその“魔石”が転がり落ちた。
俺はそれをギュッと握り込む。壊してしまいたい衝動を、どうにか押しとどめながら。
「……最初から、俺をそういう目で見てたのか? いずれ魔王と戦わせるために、勇者候補として俺を育てようって。……はは、マジでふざけんなよ」
吐き捨てるように言い放つと、三人は微動だにしなかった。
レイアさんの紅い瞳が、僅かに揺れたように見えたのは──たぶん気のせいじゃない。
「これが何なのかは知らないけど……そういうもんを、本人に何の説明もなく持たせんなよ!!」
声が、洞窟の静寂を破って反響する。
恩人に対して、なんて言い様だ。
サイファーにも、レイアさんにも、そして自分自身にも心底嫌気が差す。
──だが、俺は止まれなかった。
「それにさ、これまでの話も全部そうだよ! 俺の意思をガン無視で勝手に決めて、勝手に使命とか言い出して……!」
俺は拳を握りしめる。歯を食いしばる。息が荒い。
でも、止まらない。
「……今の俺の状況、知ってんのかよ? マリィだってすごく大変なことになってるんだ! クロードさんたちだって……俺が戻るのを待ってくれてる」
守りたい奴がいる。
待ってる人たちがいる。
その全員を放って、世界の命運を任されて戦ってくれだと?
ふざけるな。
「俺を評価してくれるのは嬉しいけど、魔王を倒すなんて無理だって! サイファーやレイアさんには、そりゃ感謝してるさ! ダメな俺の面倒を見てくれたし、鍛えてもくれた……」
気がつけば、声が震えていた。
肩も、僅かに震えていた。
「でもな──俺は、アンタらに使われるために強くなったわけじゃねぇよ」
沈黙が、空気を濃密にする。
「俺は……世界を守るために旅をしてたわけじゃない。鍛えられて強くなったのも、使命とか責任を背負うためじゃない」
そう──
サイファーにラヴを教わった。
レイアさんに神威を教えてもらった。
全部、大切な経験だった。
でも、それは“勇者”になるためじゃない。
俺が、俺として“ちゃんと強くなりたい”って、そう思ったからだ。
ただ──それだけなんだ。
「俺は……俺は、戦うのとか、そんなに好きじゃないんだよ……」
声が小さくなっていく。
「強くなるのが嫌いなわけじゃないさ。自分の成長を感じるのは嬉しいし……誰かを守れる力があるって思えるのは、誇らしいとも思う。でも……それに役目や使命を与えられて戦える人なんかじゃない」
魔王と殺し合うための力なんて、欲しくなかった。
血を浴びて、骨を折って、命を削って──そんな非日常を生きるために、俺はここにいるわけじゃない。
「ただ、俺は平和に……面白おかしく、冒険していたいだけなんだ。マリィと──みんなと一緒にさ……」
その瞬間、胸がキュッと締めつけられる。
“願い”を口にしたはずなのに、それがいかに脆く、遠い夢であるかを自覚させられるから。
目を閉じる。
しばらく、誰も何も言わなかった。
だからこそ、俺は──その沈黙に、自分の意志を乗せる。
「だから、他を当たってくれ」
その言葉を吐き出した瞬間、空気がふっと凪いだような気がした。
静けさが、痛い。
風ひとつ吹かず、水音ひとつない。
──それでも、返事は来ない。
逃げ道を作るために背中を向けたのに、その沈黙が、逆に俺の背を刺してくる。
けれど、ようやく。
「……そうか」
静かに。
まるで、誰かの死を悼むような口調で、サイファーが呟いた。
その一言が広間に落ちた瞬間、空気が決定的に変わった。
それは怒りでも悲しみでもなく──“諦め”だった。
「……わかった。それじゃあこの話はこれで終わりじゃ」
「サイファー……!」
弾かれたように、レイアさんが彼を振り返る。
その表情には、隠しきれない焦りが滲んでいた。
けれど──サイファーは、首を横に振るだけだった。
無言の、拒絶。
もう、これ以上は言わないという意志の表明。
その仕草に、レイアさんの肩が僅かに落ちた。
観念したように、紅の瞳がゆっくりと伏せられる。
「……悪かったの。何もかも黙っていて」
その声は、思っていたよりも穏やかだった。
そして──意外なことに、次に発された言葉には、乾いた笑いが混ざっていた。
「確かに……じゃな。都合のいい、勝手な話じゃった」
今までの話が夢だったかのように、二人は肩の力を抜いた。
あの、張り詰めた空気はもうどこにもなかった。
静かな水面のように、凪いだ時間がそこにあるだけ。
サイファーは軽く笑いながら、ふらりと歩み寄ってきた。
そして、俺の肩にぽんと手を置く。
……その幻影の手に、温かみはなかった。
質量も、感触もない。
ただ、そこにあるという存在の重さだけが、ずしりと肩にのしかかってきた。
「この問題はワシらだけで解決する。この話は忘れてくれ。悪かったな」
あっけらかんと笑って見せるその顔を、俺は直視することができなかった。
──そんな風に、何もかもなかったことにされる方が、ずっと、痛かった。
レイアさんも、どこか無理に作ったような笑みを浮かべて、微笑んでいた。
その口元は穏やかだったけれど、眉は僅かに下がり、表情の端々に“悔い”が滲んでいた。
「……お前はこのまま、自分の旅を続けろ。アステリアに着いても……戦いに巻き込まれる前に、目的を果たして去るんじゃぞ」
そう言って、サイファーは静かに背を向けた。
俺は──何も言えなかった。
叫びたくなるくらい、喉の奥が熱くなったのに。
拳を握りしめるほど、何かが込み上げてきていたのに。
それでも、動けなかった。
何ひとつ言葉にできなかった。