第百九十四話 「全部無理だろ」
語られた真実が、魂の奥に沈み込んでいく。
それは冷たい石を落とされた泉のように、静かに、水底の澱を揺らす。
洞窟に満ちていた空気は凪のごとく静まり返り、水音すら消え失せていた。
喉がひりつく。
息を飲み込むたび、心の内側に痛みが残る。
──神話、千年前、三魔王。
まるで現実感がなかった。
言葉だけが宙を舞い、思考はそれに追いつけない。
再会した時は、あれほど心がはしゃいでいたはずなのに。
まるで親に会えた子どものように、俺は嬉しくて、安心して、胸が熱くなったのに。
……それが今じゃ、ただ呆然と、呑まれるだけ。
っていうか、結局なんなんだよ。
まるで話が整理できていない。
「そして三魔王を倒した後は、歴史にも載っている通りじゃ」
サイファーの口調は淡々としていた。まるで年表の続きを読むように。
「黒幕である大魔王オルドジェセルを──女神アルティアが、その身をもって封じたのじゃ」
その瞬間、泉の水面が、ふわりと揺れた。
ベアトリスさんがそっと目を閉じ、何かを思い出すように短く息を吐く。
洞窟の奥に、風が吹き込んだ気がした。
それは、かつて誰かが命を懸けた戦いの名残が、今もここに漂っているかのような──そんな気配だった。
「英雄ルドヴィク様と女神を同時に失ったワシらは、エルジーナを封じた壺の管理を、ルドヴィク様の子孫へと託した」
どこか、遠くを見つめるように。
レイアさんの視線が、岩壁の向こうに投げ出される。
「そしてワシらは……師との約束を果たすために、封印が解けるその日まで、“奴”を倒す方法を探し続けた。そうして、月日は流れ──今に至るというわけじゃ」
言葉の余韻が、静かに、静かに、洞窟の隅々へと染み渡っていく。
──ええと、つまり。
女神アルティアが持っていた“封印の力”を、ルドヴィクはその時だけ“借りる”ことができた。
だが彼自身が女神ではない以上、その力は完璧には扱えず──
結果、オルドジェセルは完全に封印されたものの、エルジーナに対しては“未完全”な封印になったと……。
未完成の結界。
壺に閉じ込めた、と言っていたが──つまり、いつかは、必ず解ける。
その時のために、千年も戦い続けてきたというのか、この人たちは。
「……話早じゃが、こんなところかの……げほっ、げほ、……ん、んん……」
そう締めくくったサイファーが、咳き込む。
それは、どこか痛々しい咳だった。
肺の奥から引き剥がすような、乾いた咳。
いかにも年老いた者のそれ──だが、ふと我に返って違和感が胸をよぎる。
──いや、この爺さん、千年前から生きてるんだよな?
だったら、そんな「歳相応」の咳ってどういうことだ?
そういえばプレーリーに戻ったときも、なんか調子が悪そうだったっけ。
考えが過ぎる中、サイファーは俺の心を読んだかのように口角を上げた。
「先ほど、ワシが何歳かと聞いたな?」
「あ、ああ……」
なんだか嫌な予感がする。
でも、聞かずにはいられなかった。
再び、短い沈黙。
それはあたかも“生の重み”を量るような、慎重な間だった。
「普通に考えて、ワシが生まれた歳から数えると──千と、何十年かは超えておるかの」
言葉を聞いた瞬間、俺の呼吸が止まった。
千年──。
人の身体が、そんなに保つわけがない。
寿命の限界どころか、もはや常識を完全に逸脱してる。
「じゃが、今のワシは……七十くらいじゃ」
そう言った彼の表情は、どこか苦笑混じりで。
「“今”は、って……?」
思わず聞き返した俺に対し、サイファーはちらりとレイアさんへと視線を送った。
それに気づいた彼女は、ふぅとため息をつきながら、頷く。
「……ワシの神威、《独奏》の力じゃ」
レイアさんが、一歩前に出て水面に声を落とす。
「簡潔に言えば、“時間の流れを遅延させる”能力じゃ。……それも、己だけでなく、空間ごとであったり、対象ごとであったりな」
俺の眉がぴくりと跳ねる。
ということは──レイアさんの第四位階の能力というわけか?
時間を遅延させる能力って……どんな渇望持ってたら出来るんだよ。
「ワシが力を使えば、対象の時間はゆっくりと流れるようになる。永久展開は無理じゃが……サイファーやベアトリスたち限定ならばワシも苦にならん程度には扱える。実際、ワシらはおおよそ二十分の一程度の速度でしか歳を取らん」
「二十分の……一!?」
言葉の意味が、理解に追いつかない。
──つまり二十年過ぎても、一歳しか歳を取らない肉体?
そりゃ千年も生きれる訳だ……。
「奴を封印し続けるには──ワシら自身が“生きて”いなければならなかった。人族の寿命では到底足りぬ。ならば、時間をねじ曲げてでも生きるしかなかった。……それが、師との約束を果たすための“代償”だったのじゃ」
静かに語られるその言葉は、どこか、命の重さを量るようだった。
理解はできる。理屈としては、わかる。
けれど──
それが、どれほど果てしない“選択”だったのか。
俺の想像は、まるで追いつかなかった。
時間を歪めて生き続ける?
千年も?
たった一つの約束のために……?
そんなの……そんなの、あまりにも──
「……どうした? 信じられんか?」
ふいに、サイファーが穏やかに問いかけてきた。
……ああ。
たしかに、あまりに呆然としすぎていた。
「いや、なんというか……サイファーたちが昔、一緒に旅をしてたとかは前に聞いたけど、想像の……遥か上をいってたからさ」
言葉を選びながら、俺はそっと頭を掻く。
旅仲間? 冒険者?
そんなレベルじゃない。
もはや“生ける神話”じゃねぇか。
「ふむ、まぁ騙す気は無かったがな。話の方は理解できたか?」
「…………一応は」
話としては、理解できた。
けど、頭の芯がふらつく。
現実味がなさすぎて、地に足がつかない。
……ルドヴィクの子孫って、たしかシュベルツ領主・ロベルト伯爵がそうだったはず。
娘のアーシェも、それっぽいことを言っていた。
でも、ゲームのメインヒロイン──セレナだって、そんな過去や設定なんて語ってなかったし……。
……ていうか、もしそれが本当なら、なんでエミルが絡んでこなかった?
セレナとエミルが主軸にいたはずのゲーム展開で、一切語られていない裏設定?
だとすれば──じゃあその問題……誰が解決すんの?
エミルじゃないなら……。
冷たい汗が、首筋を伝った。
「よし。では──本題に入ろうか」
「……?」
言葉の調子が変わった。
映像のサイファーがふわりと空中に浮かび上がり、組んだ両手を口元に添えながら、重々しい目で俺を見つめる。
「フェイ……世界のために、戦ってくれ」
「…………は?」
脳が一瞬、処理を拒否した。
「さっきも言ったが──お前の力が必要になったんじゃ。力を貸してほしい」
心臓が跳ねた。
──いや、跳ねたというか爆発した。
ドクン、ドクン、と鼓動が耳を打つ。
鼓膜が破れそうなくらい、血が騒いでる。
冗談であってくれとも思ったが、サイファーの目は本気だった。
ベアトリスさんも、レイアさんも、沈黙を保ったまま、まっすぐ俺を見ている。
その目に、微塵の揺らぎもない。
「えーっと……まさか……」
半笑いが浮かぶ。
否、浮かばせるしかなかった。
「話の流れ的に……俺が、そのルドヴィクさんが封印した“エルジーナ”って魔王と──戦えってこと?」
自分で言っておいて、心が引き裂けそうだった。
「一つはそうじゃ。そして──もう一つ、別にやってもらいたいことがある」
「…………別で?」
まだあんのかよ!?
この話、何段構えなんだ!?
「今、お前が向かっているアステリアがどういう状況かは、もう知っておるじゃろう」
「あ、ああ……魔族が攻めてきて、戦争状態だって、どこもかしこも噂してるけど……」
……って、あれ?
脳が、妙な静けさに包まれる。
「そう、状況は芳しくない状態じゃ。……千年前にワシらが打ち倒した魔王たちすら、とある神職者によって復活させられ、今また……人族に牙を剥いておる。あの時は嘘をついたが、ザミエラもそのうちの一人じゃ……」
「そ、そうだったのか。なんか空気的に確かに知ってそうな感じはあったけど……」
……あれ? …………アレ?
「奴らは各地から子供たちを攫い、巨大な塔を建設しておる。……この塔が持つ装置が起動すると、アステリアは滅びる……魔界の瘴気によってな」
「塔……あぁ……」
あぁ、エミルすら囚われているアソコか。
思えば、ベルギスにはこのことを言っておけばよかったと思っていた場所。
変な未来になることを恐れて、何も言うことはできなかったが……。
「そして、その聖職者も噂では新魔王となり、新たな勢力を孕み続けているらしい」
「…………そんなことが」
……ちょっと待て。
なんで俺、冷静に受け答えしているんだ……?
「だからフェイ、お前には──」
サイファーが、厳かに口を開く。
「復活した魔王。並びにその元凶である神職者、新たな魔王を倒し……そして、建設中の塔の破壊を託したいのじゃ!」
「………………………………」
頭が、真っ白になる。
え? えーっと……落ち着け整理しろ?
つまり……神レベルの人たちでも手を焼いた最強格の魔王“エルジーナ”を倒すのと、それとは別で戦争真っ只中のアステリアに行って、復活した魔王をぶっ倒して、ついでにその魔王を復活させた謎の“元・神職者”もぶちのめして、あと、エミルが囚われてるゲームでも出てきた“あの塔”も、物理的にぶっ壊してこいってこと?
「はぁぁぁぁあああああッッ!?」
今言ったやつ、全部無理だろJK!!