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第百八十三話 「海賊団と暴虐の魔王」【三人称視点】

 ガルレイア大陸・中央部、セイゲツ港──


 東方様式の町並みが美しく整ったこの港町は、石畳の路地と朱塗りの灯籠が連なる趣深い街並みで知られていた。

 潮の香と共に漂う白檀の香りは、異国から訪れた旅人たちの心をどこか落ち着かせる。

 港を望む木造の桟橋には、今、やたらと上機嫌な女海賊が腰を下ろしていた。


「くぁ〜っ!! やっぱガルレイアといえば地酒ッ!! あの鼠の船大工、わかってるわねぇ〜!! 淡麗で、芯があって〜、も〜最高ッ!!」


 豪快に喉を鳴らし、空になった杯を片手に高らかに笑うのは、副船長・ミランダ。

 桃色の髪を風になびかせ、傍らに置かれた竹の籠には、これでもかと地酒の瓶が詰め込まれていた。


 見るからに酔っているのに、声も目元もしっかりしているあたりはさすがと言うべきか。

 海上で鍛え上げた体は、並の酒にはびくともしないようだ。


 彼女の数歩後ろ、いかにも気を使うような歩き方でついていくのはロイド。

 その手には、すでに紙袋と木箱がいくつもぶら下がっており、その荷のほとんどがミランダの「お土産」であることは言うまでもない。


「副船長……大丈夫ですかね? 随分飲んでますけど。東方のお酒って、結構強いんじゃ……」

「まぁ、こう見えて意識だけはハッキリしてるからな。船酔いまではしないだろう」


 ロイドの心配に、淡々と答えるクロード。

 深く被った黒の海衣の下、その眼光は未だに鋭さを失っていない。


 彼もまた、両手にいくつもの包みを持たされていたが、微塵も不満は見せない。ただ、どこか思索に沈んでいるような、静かな顔をしていた。


 フェイクラントとマリィと別れた後、彼らは移動に三日、運搬と修理に三日、ここガルレイア中央都市・イザナに滞在していた。

 それも、まもなく終わる。


 積荷はすでに港の倉庫に収められ、船底に空いた大穴も、イザナ屈指の船大工の手によって完璧に修復されている。

 現在は残りのメンバーに船の留守を任せ、ミランダたち三人は最後にお土産を大量購入していた。

 

 積荷の輸送で得た報酬としては少々損失が大きすぎるほどだったが、それでもクロードは一度も後悔の色を見せなかった。


 なにせ、今回のメインはそれではない。

 利益というより“縁”のためのものだった。

 ──フェイクラントと、マリィ。

 彼らをこの東方大陸へ送り届けるのが本来の仕事。


 積荷の運搬はオマケで手に入ったようなもの。

 故に、寧ろ修理費が浮いたと喜んでさえいるくらいだった。


「それにしても、あれからもう一週間くらい経つわね〜! フェイ君たちは、もう帰って来てるかしら?」


 ミランダが口元に笑みを浮かべながら、ふと空を見上げる。

 雲ひとつない晴天。

 まるで何もかもが穏やかに流れていくような、平和な日だった。


「どうでしょうね……。カイエン山脈、めちゃくちゃデカかったですし、手紙を届けるだけとはいえ、その山の中で特定の一人を見つけるなんて……本当にできるのでしょうか」


「そぉんなの、らいじょーぶよ! フェイ君だもん! ねっクロード」


 唐突に笑って言い放ったミランダは、ぐいっとまた地酒を煽る。まるであらゆる不安を吹き飛ばすかのような屈託のなさで。


 その隣で、クロードは目を閉じたまま、彼女の声に返事をすることはなかった。

 ミランダは気にせず笑っていたが、ロイドだけはその沈黙に小さく首を傾げる。


「船長……?」


 クロードは答えない。

 だが、歩を止めることもなく、淡々と船へと続く坂を登っていく。


 やがて、港の端に彼らの船が姿を見せ始めた。

 整備を終えたばかりのその船体は、青銅の船飾りが陽光を受けてきらめき、まるで再び海に飛び立つ鷲のようだった。


 あの船に乗れば、カイエン山脈までは三日ほどの航路。

 手紙の受け渡しを終えたフェイたちと合流し、今度は南方──アステリア大陸への航海が待っている。


「また、フェイ君たちと旅ができるわね。楽しみ〜。今度はマリィちゃんとも、もっと仲良くしたいし、いろんな話をしたいなぁ〜」

「そうですね! 俺ももっと頑張りますよ!」


 何も知らぬように、屈託なく未来を語る二人。

 その足取りは軽く、心からの笑顔だった。


 しかし──


「止まれ。ミランダ、ロイド」


 港へ続く坂道の中腹で、クロードが鋭く言い放った。


 まるで何かを見透かしたような声音。真っ直ぐに前を見据えるその眼差しは、わずかに細められている。

 その一言に、ふざけていたミランダも、軽快に歩いていたロイドも、ピタリと足を止めた。


「……どうかした? クロード」


 ミランダが、酔いの残る笑顔を引きつらせる。

 だが、その言葉に含まれる違和感に、彼女自身も気づいていた。


 いつの間にか──港に人影がなくなっている。


 さっきまで、干物屋の軒先で猫耳の獣人が昼寝していたはずだ。海辺では釣りをする老人がいた。

 向かいの茶屋では、旅人らしき者たちが昼飯を取っていた。

 その誰一人として、今はそこにいない。


「な、なんですか、コレ!?」

「……………」


 クロードが空を見上げて目を細める。

 いつの間にか──太陽が、どこにもなかった。


 先ほどまで晴れ渡っていた空が、知らぬ間に昏い雲に覆われていた。

 いや、それどころか、頭上には漆黒の天幕が広がっていたのだ。


 まるで、夜が突然、世界を呑み込んだかのように。


「お、おかしくない!? もう夜!? アタシ、そんなに飲んでないわよ!? せいぜい二合……いや三合は飲んだけど、でも四合は行ってないし……!」


 冗談めかしてミランダが笑うが、その笑顔もどこか引きつっていた。

 笑い声は、静寂の中へと吸い込まれ──反響しなかった。


 港の波音が、止まっている。

 木造の桟橋が、まるで呼吸を止めたように、軋み一つ立てない。


「いや、一瞬で夜になったのは間違いない。俺たちがこの桟橋に足を踏み入れた瞬間からな」


 クロードの言葉に、二人がはっとする。

 ──確かに、思い返してみれば、船が見えたあたりからだ。

 周囲の空気が重たくなり、肌にまとわりつく湿気が増していた。


 それは気のせいではない。


 次の瞬間、船の方角から──地の底から響いてくるような、重低音が港全体を震わせた。

 振動と共に、空気がぴしぴしと裂けるような圧を帯びてゆく。


 そして──


「────────」


 同時に──絶叫が響いた。


「ッ……!? 船のみんながっ!!?」


 ロイドが紙袋を落として駆け出す。

 クロードとミランダも、同時に反応し、声をかける間もなく、港の坂を駆け上がっていった。


 月が、空に浮かんでいる。

 先ほどまでなかったはずの、禍々しいまでに濃い色を湛えた月が、港の真上に、異様な輝きを放っていた。


 ──まるで、この惨劇を照らし出すためだけに、夜がやってきたかのように。


 港を走り抜け、視界に船が大きく映る。

 整備されたばかりの青銅の船体、その美しかったはずの甲板には、何かがこびりついていた。


 ──黒い、染み。

 いや、これは……血だ。


「…………嘘……だ……」


 ロイドが立ち止まる。


 そこには、惨劇が繰り広げられていた。


 倒れ伏すガリユ。身動き一つせず、背中には巨大な切り傷が刻まれている。

 ルーフスが新たに購入したはずの大剣は、粉々に砕けていた。

 レベッカは、既に意識を失い、呻き声すらあげられず横たわっている。


 そして、セロン。

 彼は首を片手で掴まれ、宙に持ち上げられていた。


 黒い衣。黒い手袋。全身を包む黒の風。

 ただ一つ、白髪だけが夜の闇に目立ち、まるで月光を吸い上げたように冷たく光っている。


 魔族。


 そう直感できるほどの、濃密な“異質”が、そこにあった。

 自らの船へと戻って来たクロードに、その“殺意”が向けられる。


「よォ……お前がァ、なんだ? キャプテンクロードとかいうガキかよ?」


 その声は、まるで耳元で囁くように──ねっとりと、嘲るように響いた。

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