第百八十二話 「円環する想い」
「ばかっ!! 放してよっ!!」
激しい抵抗。
腕を振るい、身体をねじり、俺の胸から逃れようと必死だった。
だけど、それでも──俺は離さない。
体格差にものを言わせ、強引にその華奢な肩を抱きしめたまま、マリィの顔を胸に押し付ける。
今まで、ずっと彼女の心だけを聞いてきて、俺の心はマリィに打ち明けないでいた。
それは俺に対する罪悪感もあったし、伝えて幻滅されると思ったから。
俺にとって、クリスは特別な人で、何者にも変えられない運命の人だと今も思ってる。
けれど、その想いがあるからこそ、マリィはそれを気遣って自分の想いを拒絶してくれていることが痛いほど伝わっていた。
俺だって嫌だった。
まるで、クリスがいなくなったから、今度はマリィが好きになってしまったみたいで。
いや、事実、そう思っている自分が存在していることが、本当に好きになれない。
「私はクリスじゃないの!! これを機に手を出して来たって、私は絶対に相手にしてあげないんだから!!」
ぐぐぐ、と覚醒した神威の力が無理やりにでも俺を引き剥がしにかかる。
その力は圧倒的で、体格差があるにも関わらず俺の力をものともしない勢いだ。
けれど、もはやなりふりなんてどうでもいい。
マリィは拒絶したくても"好き"が溢れてしまっているのに、俺だけが黙っているだなんて、卑怯すぎる。
「──嫌ってくれていい!!」
咄嗟に叫んだ。
頭の中で考えるよりも先に、感情が口をついて出ていた。
「それでも……俺は、お前のことが、好きなんだッ!!」
「…………っ!?」
胸の奥から噴き出した熱が、そのまま言葉になった。
クリスを裏切ったという罪悪感と、告白した焦燥と熱情が、ぐちゃぐちゃになって交差する。
俺は、誰よりもクリスを愛していた。
それを否定するつもりなんて、これっぽっちもない。
マリィの中にクリスがいるから好きになったという理由は……正直否めない。
けれど、少なくとも“マリィ”という存在に、確かに惹かれている自分だっている。
お前と冒険していく中で、ずっと惹かれ続けていた。
マリィと同じく、どこまで"クリスと似ているから"なのか、どこから"マリィだから好き"なのかわからなくなる。
きっと不恰好で、情けない、あまりにもロマンスとはかけ離れた告白。
告った本人ですら、明確に"マリィだから"と言えない気持ちの悪さ。
「好きなんだ……マリィのことが。クリスと似ているから、同じだからってのももちろんあるかもしれない……でも、それでも……」
情けない俺の隣で、いつも一緒にいてくれるのが嬉しかった。
嬉しい時は笑い合って、傷ついた時は寄り添い合える関係が、いつまでも続いて欲しいと望んだ。
自分自身の矛盾をさらけ出すようで、吐き気がするほど情けなかった。
でも、言わなきゃいけなかった。
マリィにだけ、苦しい想いをさせたくない。
「俺は今、お前が好きだ。クリスじゃない……マリィのことが好きだ」
しがみつくように吐き出した言葉だった。
胸を張って告白するような、堂々としたものじゃない。
最低で、矛盾だらけで、自己中心的で──それでも、今の俺の“本音”だった。
愛情と共に、嫌悪感が増幅する。
この矛盾だらけの気持ちを笑ってくれ。
最低だと罵ってくれ。
いくらなんでもそれはないだろうと、引っ叩いてくれ。
ぎゅ、っとマリィの体を全身で抱きしめる。
「…………ぁ…………」
マリィの抵抗が止まる。
暴れていた腕が、ふっと力を失う。
その小さな背中に、俺の体温がじんわりと染み込んでいく。
「ずるい……ずるいよ……そんなのってない………………」
「ごめん……」
「ダメ……好きじゃないのに……愛したくなんかないのにぃ……私は、私はダメだよ……魔物だし、クリスじゃないし…………」
ぽつりと、こぼれた呟き。
彼女の混乱が、俺の胸に直に伝わってくる。
「大丈夫だ……マリィ、お前が嫌でも、俺はずっとお前のそばにいる……」
どこまでも青臭くて、最低で、見ようによっては最悪のセリフ。
だが、それでも──この時の俺には、これしか言えなかった。
「……ぐすっ……フェイのクズ……どうせ、クリスの代わりだと思ってるくせに……」
「……………」
「なのに……なんで私、ホッとしちゃってるの?」
マリィの声が、震えている。
けれどその身体は、もう俺を押しのけようとしなかった。
──もう、限界なんだ。
俺が手を離せば、マリィはそのまま崩れ落ちてしまう。
それが、分かってしまうほどに、彼女は壊れかけていた。
「あ……ごめん、またぐちゃぐちゃになっちゃった……」
ようやく、また理性の灯が戻ってきたのか。
マリィは、俺の胸に額を預けたまま、震える声で謝ってきた。
「ごめん。せっかく心配してくれてるのに……ごめん……ごめんなさい」
「いいから黙って抱かれてろ……」
そう告げると、マリィは観念したように力を抜いて、俺の胸元に顔を埋めた。
お互いの体温が交わり、呼吸が混ざり、感情の温度が静かに揺らいでいく。
「ぐすっ……どこからが私の気持ちで、どこからがクリスの好きなの……? わからないよぉ……」
「いいから、しゃべるな」
「はあっ……、はぁっ……」
マリィが大きく息を吐き、それに合わせて胸のふくらむが上下する。
上気した頬が、涙と汗に湿っていて……。
……愛したくなる。
「はあっ……あ……ふぇい……?」
そして、視線を感じたように、そっとマリィが目を開いてくる。
「……はっ……はぁっ……」
「…………っ……」
互いに目を離せず、少しの間、目を合わせ合う。
収まりかけた胸の鼓動が、また早くなっていく。
頭が何も動いていない。
マリィも同じなのがなんとなくわかる。
……なんか、不意に恥ずかしくなってきた。
思った途端、マリィが恥ずかしげに目をそらしてしまった。
「…………ばか……」
マリィがツンデレな毒を吐く。
その感覚が、妙に新鮮で心地よくて……。
勝手にどくどくと胸が高鳴ってしまう。
俺の息苦しさは増す一方だ。
"愛している"のは間違いないのだが、どこか違和感が拭えない感覚。
…………ふと、ベアトリスさんが言っていた"合わせ鏡"という言葉が浮かんでくる。
「……まさかな」
俺に起きるはずがない。
そう想いながらも不安は募っていく。
不安に思っているはずなのに、胸の高鳴りと高揚感が頭の別の部分で続いている感覚。
まるで二つの感情が同時に発生しているみたいだ。
感情の不協和音が抑えようもなく高まっていく。
『ほう……私の心にまで影響するか。では……いいだろう、受け取るがいい』
「……っ!?」
不意に、忌々しい声と共に頭がズキンと痛んだ。
愛しさと甘い気分が続いている。
その一方で不安と恐怖が高まっていく。
視界が、白く明滅する。
脳が熱い。思考がぐらぐらと揺れ、現実感が遠のいていく。
……なんだ、これは。
「どうしたの……フェイ?」
マリィが不思議そうに見ている。
いや、わかる、不思議じゃない。不安に思っているんだ。
《俺が黙っていたことに不安を感じ、つい『ばか』と言ってしまったことを後悔して、黙っているのが耐えられなくなって口を開いた》
なぜか、マリィの顔を見ただけで理解できてしまった。
「まさか……嘘!?」
マリィも直感的に、俺が"ソレ"を感じたのを理解する。
──というのが分かる。
彼女もまた、驚き思わず口に手を当て、俺の顔を見つめている。
《フェイに心の中を見抜かれている。こうして抱かれて、"本当の気持ち"が伝わっちゃったらどうしよう?》
「は、ははは……」
「フェイ!? フェイ!!」
頭の中に、勝手に高密度の観念が湧いてくる。
誰も触れられない女神に触れているという状態が、俺の中の何かをくすぐる。
そうか、"あの野郎"は…………彼女に抱かれたかったのか…………。
ラスボスのくせして、根っこは純情なのかよ……笑わせてくれるぜ。
マリィの神威と、俺の神威が混ざり合い、その"想い"が伝播する。
神威は"想いの力"。
なるほどなぁ……そりゃ伝わっちまうわけだ……。
「だめ! フェイ! 考えちゃダメ!!」
不安と恐怖とマリィの心が見えてしまう俺をみて、彼女すら不安で怯えている。
それが"合わせ鏡"となり、俺はもっと不安を募らせ──
「あ、ぁああああああッ!!?」
恐怖が培養されていく。
このままじゃ精神が壊れると本能でわかる。
マリィは、ずっとこんなのが頭の中で暴れ回っていたというのか。
はは、ははははははは、そりゃ無理だ、うん。
大魔王が無限ループの中で見て来た全景など、余裕で俺の脳の許容範囲を超えている。
〈あなたに恋をした、アルティア〉
《だいすき、フェイ》
〈神こそが呪われるべきだ〉
《ずっと会いたかった》
〈勇者エミルは自滅因子〉
《うん、必ずまた会える》
思考の連鎖が止まらない。
愛情と後悔、幸福と絶望が、繰り返し押し寄せてくる。
白く明滅する視界の中で、俺は自分が何者かさえ分からなくなっていた。
──そして。
「フェイっ!!」
不意に体が温かく包まれ、驚きにループが停止した。
いつの間にか、俺はマリィに抱きしめられていた。
顔を覗き込む目は、俺のことを案じてくれていて……。
「これはね……考えちゃダメ。落ち着いて……」
マリィもホッとしながら、我に返っている。
抱きついた俺の体の感触に、悲しみが湯発され、目尻が熱くなる。
「ごめんね……フェイ。そばにいて……私もそばにいてあげるから……」
「う、うぅっ……マリィィィィっ!!
泣きたいはずのマリィが泣くのを反射的に我慢したから、俺はさらに悲しくなる。
マリィを抱き返し、声を上げて涙を流す。
「ううっ、うあぁっ、ぁぁあああっ!!」
マリィも反射された俺の感情を受け取り、抱き合ったまま、俺たちは号泣する。
一緒に悲しみを共有することに、慰め合う感覚を共有しながら。
互いの神威が混ざり合い、感覚が共有される。
これはマリィの力なのか、大魔王と合わせ鏡になっている状態だからかはわからない。
けれど、お互い皮膚に爪を立て合う勢いで抱きしめたまま、俺たちの涙はまるで止まることを知らなかった。
──異変を感じたザリーナが助けに来てくれるまで、俺たちは延々と泣き続けるしかできなかった。
2日も更新空いたのは初めて……超久しぶりくらいですかね(´;ω;`)
朝から晩までの仕事が多くて、15話分くらいは溜めてるのですが、投稿時間の19時には疲れすぎて爆睡してました。
読者のみんな……オラに元気を分けてくれさい(´;ω;`)