表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

183/227

第百七十七話 「告白されました」

 ──朝。


 窓の外には、白銀の世界が広がっていた。


 静かな風が吹き、積もった雪の上に細かな波紋を描いている。

 そのすべてが、まるで凍った絵画のように、ひとときも乱れることなく穏やかで──


 やがて、山の稜線から、金色の陽がゆっくりと顔を出す。


 淡く、柔らかな光が、粉雪を亜麻色に染めながら静かに広がっていく。

 冷えた空気を包み込むように、あたたかな朝が、里全体をそっと撫でていった。


 その光の色を見る度、あの笑顔を思い出す。


 かつて、俺が恋をした彼女。

 誰よりも優しく、誰よりも強く、誰よりも誰かの幸せを願った──クリス。


 彼女は、もうこの世界にはいない。

 けれど……彼女の面影は、確かに今もマリィの中で生き続けている。


 その証拠に、マリィの寝顔は、今でもあの道具屋で見たクリスの面影を宿していた。

 同じ頬のライン、同じまつげの影、同じ安らかな吐息。


 まるで、あの頃が続いているかのように。


 夜中、俺は何度も目を覚ました。

 心配で、苦しくて、何度も彼女の額に手を当て、呼吸を確認して──


 でもマリィは、ずっと静かに眠っていた。


 ……変わらぬ寝顔。

 だけど、それをじっと見つめていると、胸の奥がざわついて仕方がなかった。


 吸い込まれそうな感覚。

 心を奪われそうな感覚。


 その度に、俺は慌てて頭を振った。


「……何度も言わせるな。マリィは、家族だろうが」


 ──そう。

 顔が似ていようと、過去に恋した人に似ていようと……これは違う。


 それと、マリィがなぜ倒れたのか、その理由はわからないままだ。

 いくら考えても、糸口すら見つからない。


 一つ思うのは、マリィとクリスの感情が、共有されている節があるということ。

 思えば、それは一体どんな感覚なんだろう。


 俺はフェイクラントの身体を借りている……というか、乗っ取っている状態に近いから、二つの感情が交錯しているわけではない。

 あるのは俺の感情だけで、フェイクラントの感情などは無い……いや、もしかしたらソレ事態が既に交錯している状態なのかもしれない。

 俺とフェイクラントの魂は"同じ"らしいから、機械などでいうところの互換性があるという状態なのだろうか……。


 だが──こう考えてみるのはどうだろう。

 マリィの魂に、クリスの魂は"互換性が無い"。


 …………嫌な言い方だが、それで苦しんでいる可能性だって考えられる。

 例えばクリスのツンデレは、最初はマリィにとって苦痛だった。

 俺と話し合うことで考えを改め、適応するに至ったが、ソレ以外にもあるとしたら……?


「辛い……よな」


 神威で望んだ肉体へ変身したとて、元は魔物と人族。

 何の負担も持っていないハズがない。

 もし俺の中で、別の人格が常に声をかけ続けてくるなんてあったら……考えるだけでおぞましい。


 クリスの魂が今もマリィの中で生き続けている。


 言葉としては美しいが、それはマリィにとって、苦しいことなのだろうか……。

 手のひらの呪いだってそうだ。

 あれは恐らく、マリィが望んだものではない。

 

 元々クリスが持っていた悩みや葛藤さえ、マリィは一人で背負っているのだとしたら……。

 それに──女神アルティアとの因果が関係しているのだとしたら……。

 だとすれば、きっとその問題は一筋縄ではいかない。


 ……けれど、ベアトリスさんは言っていた。


「彼女から直接、聞きなさい」と。


 ……それならば、マリィ自身がきっと理解しているということだ。

 大事に至ることではない……そう、信じたい。


 なにより──サイファーとレイアさんの友人というあのベアトリスさんが、そう言うのなら。

 ……ブリーノとサイラスの友人と言われるとちょっとアレだけど……。


 思わず脳裏に浮かぶ奇行の数々を頭から振り払う。


 ……早く目を覚まして欲しい。

 自分勝手だが、早くどんな状態なのか聞いて、安心したい。


「ん…………」


 不意に、隣から小さな吐息が漏れた。

 マリィが、寝返りを打つ。


 その顔はまだ眠ったままだが──何かにうなされるように、苦しげに眉をひそめていた。


「……ぅ、う……ぅぅ……ふぇ……ふぇい……」


 か細く、震えるような声が漏れる。

 肩が、小さく震えていた。


 マリィの体が、わずかに丸まっていく。

 布団を抱えるように、ぎゅっと小さく、自分自身を守るように。


「マリィ……?」


 その姿に、胸の奥がざわついた。


 息が浅く、早くなる。

 まるで夢の中で怯える小動物のように、彼女は震え続けている。


「あっ…………あぁあああっ…………」

「マリィ!? おい!!」


 俺は咄嗟に、腕を伸ばした。

 細い肩を抱き起こし、胸元に引き寄せる。


「マリィ! おい、大丈夫か!?」


 体が熱い。

 額は汗ばんでいて、吐息も乱れている。


「ふぇい……っ、ふぇ……い……」


 抱き寄せた腕の中で、マリィはうっすらと瞳を開く。


 潤んだ瞳。

 頬は朱に染まり、まるで恋する少女のようなソレ。

 だが、焦点の合わないその目には、明らかな“怯え”が混じっていた。


「おい! マリィ! マリィ!」

「だ、大丈夫だから……気にしないで……」

「そんなの、無理に決まってんだろ……っ!」


 思わず声が荒れる。


 わけがわからない。

 どうして怯えている。

 なぜこんなにも苦しそうにしている。


 抱き寄せた彼女の体は、異様なほど熱くて、脆くて。

 まるで、壊れそうなガラス細工のようだった。


「マリィ……!」


 俺の腕の中で、彼女がぎゅっと目をつむる。

 次の瞬間──その華奢な手が、そっと俺の服を掴んだ。


「……あぁっ……」


 押し殺した声が漏れる。

 その声音に、心臓が跳ねた。


 抱きしめる腕に力を込める

 なぜだかわからないが、マリィもそれを望んでいる。

 触れ合った胸を挟んで、俺たちの心臓が歩調を合わせて高鳴っていく。


 彼女の鼓動は、まるで何かを訴えるように激しく。

 けれど、それは恐怖ではなく──別の、もっと切実な感情のようにも感じられた。


「マリィ……大丈夫だ。大丈夫……」

「あ…………」


 か細く零れた声と共に──


 マリィの手が、ぎゅっと俺の背を抱きしめてきた。


 華奢で、震えるようなその腕は、

 つい昨日まで、いや、それ以前の数日間──決して俺に触れようとはしなかったその手は、

 今、まるで迷子の子供のように、必死にしがみついてくる。


 俺が触れることで、彼女が意識を失った。

 そのことが、どれだけ俺を縛っていたか。


 だけど今、この瞬間は。

 そんな不安すらも、頭から追い払われていた。


 ただ、マリィの手が俺を求めている。

 それだけで、胸の奥がいっぱいになっていく。


「……大丈夫だ、マリィ。もう大丈夫だからな……」


 そっと、彼女の髪を撫でる。

 額に張りついた汗をぬぐい、優しく耳元で囁くようにして。


 マリィの呼吸が、少しずつ整っていくのがわかる。

 あんなにも乱れていた鼓動が、ゆっくりと落ち着いていく。


「あ……ぁ…………」


 細く掠れた声が、耳元で揺れた。

 そのまま、俺は震える肩を掴むようにして、そっと身体を支える。


「マリィ……なにがあったんだ……?」


 ようやく絞り出した問い。

 けれど、返ってきたのは──言葉ではなかった。


 ぽかんとした瞳。


 マリィは、まるで初めて俺を見たかのように、ぽつりと俺の顔を見つめていた。

 その表情には、怒りも、恐れも、悲しみも──なにも、なかった。


 ただ、呆然と。

 潤んだ瞳に光を宿したまま、俺を見ている。


「……マリィ……?」


 何かがおかしい。

 彼女を蝕んでいたのは、呪いでも熱でもない。

 きっと──もっと深いところにある、何かだ。


 じゃあ、それは一体何だ。


 何が彼女を貪っている。

 その理由は──


「…………フェイ」


 ふいに、マリィが唇を開いた。


 声は、かすれ、震え、たどたどしく。

 だけど、確かに彼女自身のものだった。


「……私……」


 じっと、俺の目を見つめて。

 そのまま、唇をぎゅっと噛みしめて──


「…………フェイが好き…………かも……どうしよ……」

「はぁ!?」


 思わず間の抜けた声が出た。

 いや、これはさすがに、反射だった。


 おかしいだろ。

 ついさっきまで、熱にうなされてたやつが、第一声でそれかよ。


 だが、マリィの瞳は真剣だった。

 照れも、演技も、気を引こうとしている風でもない。

 本当に、どうしたらいいのかわからないというような、迷いと戸惑いが入り混じった“本心”。


 彼女の中で、何かが溢れたのだ。

 堰を切ったように。


 俺は──思わず、言葉を失った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ