表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

180/227

第百七十四話 「レヴァンの長、ベアトリス」

 ゆるやかな坂を越えた先に、賑やかな声が混じり始めた。

 子供たちの、楽しげなはしゃぎ声だ。


「あっ、ツバキちゃーん!」

「ほんとだ!」


 雪の積もる石畳の脇から、耳のついた小さな影がわらわらと飛び出してくる。

 猫耳、犬耳、リス耳、ウサギ耳……ぴこぴこと賑やかに揺れながら、こちらに駆け寄ってきた。


「うむ……今帰った」


 ツバキが控えめに手を振ると、子供たちは一斉に飛びつく。


 誰かがツバキの袖を引き、誰かがしっぽをつかまえ、誰かが耳をつつく。

 それでも彼女は、静かにそれを受け入れている。


 どうやら愛想は薄いが、子供たちからの信頼は厚いようだ。


 ──その一方で。


「げ、ザリーナ姉もいんのかよ」

「あん? なァにが『げ』なんだァ?」

「ひぃいいいッ!!」


 こちらのウサギ女には、開口一番で警戒されていた。


「また弓の講習でしごかれるー!」

「耳引っ張られるー!」


 被害報告を口々に叫びながら、数名の子供が反射的に身を隠す。


 ……まあ、わからんでもない。

 怒鳴ると迫力あるし、物理で教育するタイプっぽいし。


「ったく、何が“げ”だ……」


 ブツブツ文句を垂れるザリーナの横で、ひとりの小さなリス耳の女の子が、俺をじっと見つめてきた。


「このお耳が小さい人はだれー?」

「む……?」

「ほんとだ、人族だー!」


 あちこちからわらわらと集まってきた小さな瞳が、一斉に俺を見上げてくる。


「ウチの客人だよ。大事なやつだから、失礼のねぇようにな?」


 ザリーナがそう言って肩を軽く叩くと、子供たちは「へぇ~」と感心したように頷き──


 クンクン、と俺の匂いを嗅いでくる。

 完全に犬猫のそれだ。

 なにこれ文化の違い? 


 思い返せば、ツバキと初対面の時もやたらと近かったし、気づけば手を握られてたり、顔を覗き込まれてたりもしたな。

 もしかして、獣人にはパーソナルスペースが存在しないのだろうか?


 軽く文化ショックを受けていると、リス耳の子がぽつりと呟いた。


「なんか、弱そうだねー」

「なぬっ」


 ぴしゅっ、と鋭利な言葉が突き刺さる。


 ぐぬっ、小僧め……。

 この俺を前にして、臆面もなくそんな評価をしてくるとは……。


 ──だが、今はマリィのことが先だ。

 ここでムキになっても、大人気ない……フェイ様の器が疑われる。


 許してやろう。

 今だけはな。


 内心で静かにキレながらも、俺は穏やかな笑顔を浮かべた。

 うん、我ながら大人になったもんだ。えらいぞ俺。


「こら、失礼なことは言うな。お客さんだって言ったろ?」


 ザリーナが苦笑しながら、近くの子供の頭をわしゃわしゃと撫でる。


 すると子供たちは「はーい!」と元気に手を振り、

 「またねー!」「ツバキちゃーん、お話してねー!」と口々に言いながら、通りの奥へと駆けていった。


 その間もツバキは、道ばたの竹垣をぼーっと眺めていた。

 お前はお前でなにしてんだよ。



---



 ……そうして通りを抜けると、ついに辿り着いた。


 石段の先に構える、風格のある屋敷。


 朱の瓦、白銀の柱、巨大な門構え──

 神殿のような荘厳さと、どこか人を拒むような静謐さがそこにはあった。


「ここが、我々の屋敷だ」


 ツバキが静かに呟き、ザリーナが先に門を押し開ける。


 そこからはまるで別世界だった。


 ──靴を脱がなければならない玄関。

 柔らかな光が差し込む回廊。

 壁にかけられた書画、かすかに香る白檀の香。


 この世界に来て以来、初めて味わう“和の空気”。


 元々、東方ガルレイアがこういう雰囲気なのは知っていたが、やはり元日本人としては感動せざるを得ない。

 鶯張の廊下を、きしりと音を立てながら進む。


「奥へ。師がお待ちだ」


 ツバキの短い言葉とともに、最後の障子がすぅと開かれた。


 畳の広間の中央。

 上座の一角に、ひとりの老女が正座していた。


 肩まで流れる艶やかな白髪。

 紅と黒の織り込まれた、格式高い装束。

 年老いた顔立ちには深い皺と風格があり──そして、右目の下に走る大きな切り傷。


 かつてはきっと、圧倒的な美貌を誇ったに違いない。

 だが今は、その瞳の奥に──幾多の修羅場を潜ってきた“覚悟”が宿っていた。


「……どうぞ、こちらへ」


 静かに、しかし重みのある声が空間を満たす。


 ザリーナに手招きされ、俺はその前に置かれた座布団へと腰を下ろす。

 正座しようかとも悩んだが、目を覚まさないマリィをもたれさせながら、あぐらをかかせてもらうことにした。

 その両隣に、ツバキとザリーナもそれぞれ座る。


「──はじめまして。ようこそ、我が里へ。私が、この霊峰レヴァンの里長──ベアトリスです」


 その声は静かで丁寧。

 けれど、底知れない迫力があった。


「あなたが……フェイクラントさんですね?」

「は、はいっ……あの、サイファーから手紙を渡せとの命で馳せ参じましたっ」


 咄嗟に背筋が伸びる。

 自分でもびっくりするくらいカッチカチな敬語が飛び出した。


 ……屋敷を外から見てたときから思ってたけど、どんだけ重圧感のあるバアさんだよ。

 手紙ひとつ届けに来ただけのはずなのに、まるで王の御前に立たされてるような空気じゃないか……。


「これは……ご丁寧に、ありがとうございます」


 静かに微笑みながら、ベアトリスさんは俺の差し出した封筒を受け取った。

 両手を添えて、大切なものに触れるように、慎重に。

 そして、膝の上でそっと封を解き、中に挟まれていた便箋を取り出す。


 ──その所作ひとつひとつに、圧倒的な品格が滲んでいた。

 たとえ一枚の紙を開くだけでも、彼女の仕草には無駄がなく、凛とした佇まいが崩れない。


 ボロ家に引きこもっていたサイファーやレイアさん。

 変人街道を爆走していたサイラスや、よく分からんジジイ代表のブリーノ。

 ──そんな面々の“旧友”とは到底思えないほど、彼女の纏う空気は異質だった。


 ……あれから、もう二ヶ月か。


 手紙を渡す──それだけの目的でここまで来た。

 たったそれだけの話が、どれほどの波乱と混乱に彩られてきたことか。


 サイラスと脱衣ポーカーをやって、勝ったと思ったらまさかのクロードさんとの命がけの一騎討ち。

 海に出れば、魔族の襲来に巻き込まれ、そしてこのカイエン山脈を登ってきた。

 氷に爪痕を刻むような過酷な旅の果て──ようやく、ようやくたどり着いた。


 手紙一通届けるだけで、どんだけかかってんだよ……。


 今さらながら、地球の現代文明の偉大さを骨の髄まで思い知る。

 文明ってすげぇな。ポストに入れたら三日後には届くもんな。うん、マジで偉大。


 そんなくだらないことを思いながら、俺はふと、ベアトリスさんの指先に目を向ける。

 彼女は黙って、ただ静かに、封書の中身を読み進めていた。

 筆跡をなぞるように視線を這わせ、眉一つ動かさず、微動だにせず、丁寧に。


 その姿勢には、まるで書かれた“言葉”と対話するかのような敬意と集中があった。


 そういえば、中身はどんなことが書かれているんだろうか。

 俺はこの手紙の内容を一度も見ていない。

 サイファーもレイアさんも、ただ「届けてくれ」としか言わなかった。

 でも──サイラスがあの時、あれだけ驚いていたということは……かなり重要な話が書かれているのだろう。


 てか、そもそもなんで俺が呼ばれたんだ?


 普通は手紙を“送る側”が相手を探し、「ベアトリスさんを知らないですか?」とか呼ぶものじゃないのか?

 なのに、なぜか“俺が来ること”まで織り込み済みで話が進んでいた。

 話があるって言っていたが、大事な用でもあるのだろうか?


 ベアトリスさんが、す──と手紙を読み終える。

 そして、ゆっくりと視線を上げると、こちらを穏やかに見つめてきた。


「……あ、あの」


 我慢できず、俺は声を出してしまう。

 自分でも意外なほど、情けないトーンだった。


「あの……聞いていいのかわからないんですけど……その、どんなことが書かれてたんですか……?」


 喉の奥が乾き、胸がざわつく。

 まるで自分の命運がその便箋に書かれているような気さえして、恐怖と興味が入り混じっていた。


 しかし──


「ふふ……」


 ベアトリスさんは小さく笑った。

 それは、年相応の穏やかさをたたえた微笑──けれど、その奥には、確かに“なにか”を見通す者の気配があった。


「そうですね、あなたを迎えるためにツバキとザリーナを向かわせたことへの説明もありますし、話したい本題も山ほどありますが、まずは──」


 そう言いながら、彼女の視線がゆっくりと、俺の胸元へと移動する。

 ベアトリスさんが、俺の胸にもたれかかるマリィへと目を向ける。


「──そちらのお嬢さんを、診ましょうか」

「……!」


 まるで最初から「それが気になるでしょう」と言わんばかりに俺の無意識の心を読まれた感覚に、背中がぞくりとした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
あれ、ケモミミワールドの中で一人だけ獣人じゃない…? と思ったけどあのジジババ集団の友人なら種族も獣人とは限らんかぁ。 老いて矍鑠たる清楚な美人さん…これもまたよし!リアルにもいるんですよね美しく老い…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ