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第十六話 「クリスという人物」【三人称視点】

三人称視点でのお話です。

 二十三年前。


 ヴァレリス王国北端に位置する海辺の港町「サン・クリル」。


 この街は北方に吹き付ける冷たい潮風のもと、長く冬が続き、豊富な魚介資源に恵まれた土地であった。

 港には大小さまざまな漁船が行き交い、住民たちは日々の糧を海に頼っている。

 質素で厳しい生活の中、どこか閉鎖的で保守的な人々が多いこの土地は、王都から遠く、異質な存在や怪異が忌避される風潮が根強かった。


 そんなサン・クリルの外れにある、小さな屋敷に一組の辺境貴族が住んでいた。

 彼らは長い間子を望んでいたがなかなか恵まれず、ついにある嵐の夜、待望の赤子が産声を上げる。

 夫婦にとって、その少女は愛おしい“宝”であり、ようやく訪れた幸福の象徴だった。


 ──だが、その幸福は儚くも崩れ去る。


 産声を聞きつけ、真っ先に駆けつけた医師が赤子を抱き上げた瞬間、彼は悲鳴とともに倒れ込み、青白い顔を晒して全身から生気を失ったかのように見えたのだ。

 呆然とする者たちの中で、夫婦は恐怖に身を震わせる。

 しかし不思議なことに、母も父も、赤子の小さな手を握っても同じ現象は起こらなかった。


 とはいえ、周囲はその事実を信じようとはしなかった。

 “呪われた赤子”と噂は広がり、夫婦がいかに「私たちには何も起こらない」と釈明しても、町の者は耳を貸すことはなかった。

 むしろ、「母親も同じ魔の力を持つ魔女だから呪われないのだ」「父親もそれに毒されているに違いない」と嫌悪と恐怖を煽り立てる始末であった。


 夫婦は赤子を救うため、名だたる魔術師や神官を呼び寄せ、解呪の手段を模索した。

 だが、誰一人としてこの呪いを解くことはできず、ついには「悪魔の子」「呪われた一族」として呪詛の言葉を吐き捨てられる。

 唯一、神聖魔術で清められた布を赤子の手に巻くことで生気吸引の力を弱められるとわかったが、それも根本的な解決にはならなかった。


 赤子はまるで「自分を愛して」とでも言うようによく両手を掲げていた。

 しかし、屋敷にいる誰もがその行為には目を背けた。

 唯一、それに対応できる両親が抱き上げる。

 小さな手でしがみついてくる娘の姿は、確かに母性を呼び覚ます愛らしさがあった。

 それでも、町の人々の眼は冷たく、迫害の声は日を追うごとに増していく。


 やがて、ついに悲劇が起こる。

 異端と呪いを毛嫌いする町の男たちが結託し、父親は“断頭台”へと連行してしまった。

 王都から遠く離れたこの地では、町の裁きが絶対であり、容赦というものはない。

 父親がいかに「我が子は悪魔ではない」と訴えても、その声は暴力の渦にかき消され、結果、命を奪われてしまった。


 夫を失った母は深い絶望に陥る。

 生まれたばかりの娘をどう守ればいいのかわからない。

 町の連中は彼女を魔女呼ばわりし、わが娘の呪いは母親ゆえに効かないのだと噂をますます広める。

 いつ暴徒が自分と娘に刃を向けるとも知れない状況で、母親は周囲から追い出されるようにして屋敷を手放すことになってしまった。


 ──この子がいる限り、もう平穏はない。

 そう思いたくなくても、嫌でも脳裏を過ぎる劣情。


(違う、私はこの子を愛している)


 そう思っていても、奪われた最愛の夫、とどまることを知らない迫害の嵐に精神は徐々に蝕まれ、とうに限界を迎えていた。


(このままでは、いつか私はこの子を殺してしまう)


 思い詰めた母は、ある夜、娘を連れて馬車に乗り、国境を越えた先の小さな村「プレーリー」を目指した。

 そこには孤児を引き取る物好きな神父がいるという話を耳にしたからだ。

 この子にほんの少しでも生きる道が開ければ──その一心だった。



---

 


 夜更けに到着した小さな村は、噂に違わずのどかな田舎の風景を湛え、ごくわずかな人々が穏やかに暮らしていた。

 そこにひっそりと建つアルティア教会には、三十ほどの男性・イザール神父がいた。

 もとは冒険者だったという彼は戦災孤児を救って以来、冒険の道を離れ、孤児たちと暮らしているのだという。

 笑顔ではしゃぐ子どもたちの様子を見て、母はほんの少しだけ胸を撫で下ろした。


(ここなら、あの子も少しは幸せに過ごせるかもしれない……)


 そう思い、母は村の宿を取り、その夜を娘とともに過ごす。

 真夜中になると、小さな籠床に赤子を入れ、教会の前へ向かった。


「ごめんね……。お母さん、これ以上あなたを守れない……」


 教会の扉にそっと籠を置く。

 娘は母の声に目を覚まし、また小さな両手を伸ばした。

 母親はその光景に唇を噛み、ボロボロと涙を零す。


 ──誰にも愛されなかったわけではない。

 両親にだけは呪いは通じなかったし、だからこそ夫も命をかけて娘を守ろうとした。

 自分も心から娘を愛したかった。

 それなのに、何一つしてやれなかった。

 町から追われ、夫を殺され、恐怖に耐え切れず、ついにはこの子を捨てる自分自身を、母は深く呪った。


「……せめて、幸せになって……」


 そう呟くと、最後にそっと娘の手を握る。

 何度手を握っても、呪いなど感じられない──母親である彼女から見て、ただの"普通の子"に相違無い。

 娘は微睡みながら、小さな力で握り返す。

 その柔らかな温もりに、母は最後の涙を流した。


 その母親は、罪悪感と絶望に耐えきれず、人知れず命を絶った。



---



 プレーリー・アルティア教会。


 いつしか、子供がよく捨てられる場所として知られるようになっていたその教会には、三十代ほどの男・イザールが神父として勤めている。

 彼は数年前までは冒険者で、戦場で親を亡くした子供を拾って以来、冒険者を辞めて孤児を育てる神父となっていた。

 子供たちにとってイザールは温かく、頼もしい存在だった。


 ある日、イザールは教会の前で鳴り響く声に気付き、ため息をつきながらドアを開けた。


「またか……」


 彼は教会の前で泣いている小さな赤子を見つけ、顔を覗き込む。


「あぅあぉお〜あう〜」


 その赤子はイザールを見つめるなり、両手を掲げた。

 両手には黒い生地の布が巻き付いている。


「おぉ、よしよし。元気な子だなぁ。名前は……プレートはなしか……。よし、今日から君の名前はクリスだ!」

「だぁう! おうぉぅお!」

「なっはっは! 気に入ったか! どれ、手に布が絡まっているぞ」


 イザールは布を外そうとしたが、その瞬間、小さな手が覗き、彼が無意識にその手を握ると──


「ふぬぉわぁぁぁあああああ!」


 イザールは顔を歪ませ、目を見開いて痛みに震えた。体の中から、まるで生命そのものが抜き取られるかのような感覚が全身を貫いた。

 反射的に手を離し、彼は倒れ込むようにその場に膝をついたが、やがて浅い息を整えながら、床に座り込む。


「なんということだ……この子は……」


 イザールは震える手で立ち上がり、深いため息をついた。


「……なるほど、どうやら君はただの子ではないらしいな。この布で効力を抑えているのか…?」


 だが、彼はその後も立ち去ることなく、クリスを籠ごと抱き上げた。

 彼の腕の中で安心したように彼女は笑った。

 その愛おしい顔を見て、イザールは静かに微笑む。


「なになに!? 新しい子供!?」


 イザールの大声を聞きつけたのか、六歳ほどの少年が扉から飛び出してくる。

 金髪で、瞳は緑。

 わんぱくな印象を持つ子だった。


「へぇ、かわいいじゃん!」

「あ、コラ! フェイクラント!」


 クリスは小さな瞳でじっと少年を見上げ、同じく嬉しそうに両手を伸ばした。


「手ぇ、ちっちぇ〜! お前の新しいお兄ちゃんだぞ〜」


 無垢な表情で、クリスに手を伸ばした瞬間──


「触るなっ!!!」

「……っ!?」


 突然の怒号に、フェイクラントは咄嗟に伸ばしかけた手を引っ込めた。


「な、なんだよ、そんなに怒ることないじゃん…」

「す、すまん。い、いやぁ、お前の手はあちこち触りまくってて汚いからな。赤ん坊にバイキンが付いては大変だからな……」

「ちぇ〜」


 それはイザールの"優しさ"だった。

 子供達の中で、彼女だけが呪われていると知れば、この子は笑って暮らせないだろう。


 イザールはその日から、クリスが持つ他者に触れるたびに生気を奪う「呪い」をどうにか抑える術を探し始めた。

 解呪法は見つからなかったが、唯一彼女の呪いを隔てることが可能な布に目をつけ、彼は慣れない手つきで刺繍を施し、その布を使って手袋を仕立てた。


「これで……少しは楽になれるはずだ。……ちょっと無骨だが、うん、そこは愛だ愛」


 手袋をクリスの小さな手にはめると、イザールはそっと微笑んだ。

 小さな手袋を身につけた赤子は、特に違和感を感じることもなく、落ち着いた様子で眠り始めた。


 イザールはその様子をしばらく見つめた後、深くうなずき、自分自身に言い聞かせるように呟いた。


「これで君も“普通の子”だ」


 そうして、イザールはこの赤子を他の子供たちと同じように、教会の一員として受け入れることに決めたのだった。

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