第百六十七話 「上陸、東方ガルレイア大陸」
ヴォドゥンとの死闘を乗り越えた俺たちを待っていたのは、祝福でも穏やかな凪でもなく、連日の海魔襲撃祭りだった。
ガルレイア大陸に近づくほどに、海は荒れ、魔物の出現頻度は悪化の一途をたどった。
ひとつ倒せばまた一体、倒しても倒しても湧き出るように襲いくる──もはや、海の向こう側に何かの“意志”があるんじゃないかと疑うレベル。
船体はガタガタに軋み、あちこちに応急処置の木板が打ち付けられている。
帆もボロボロ。
もはや見た目だけなら難破船一歩手前だ。
やはり、魔物が激化している噂は本物だったということを体感する。
それでも──
「うおおおおおっ!! くらえぇぇぇぇっ!!」
ロイドは積極的に戦闘に参加し、体力も魔力も見違えるように増えていった。
「……大丈夫か、ロイド」
「大丈夫です……! 死ぬ気になれば、なんとかなるもんですね。へへっ……」
──ほんと、変わったなコイツ。
最初の頃は魔物の姿を見るだけで膝をついていたロイドが、今では戦闘のたびに最前線に立ち、魔力を枯らしながらも、決して後退しようとしない。
あれだけ消極的だった奴が、今では傷だらけになりながら、冒険者らしいセリフまで口にするんだから大したもんだ。
やっぱり、人ってのは“覚悟”一つで変わる。
一皮むけるってのは、こういうことなんだよな。
その成長は、他ならぬ俺自身が一番体感してきたのでよくわかる。
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そして、戦闘が終われば──海賊船恒例、毎夜のバカ騒ぎタイムが始まる。
「ん〜〜っ、おいひいっ!! レベッカさん、おかわりっ!」
テーブルの端で、星空の下に並べられた皿を爆速で空にしているのは、我らがマリィ。
──相変わらず、食う。
ひたすら食う。
幼女の頃も怪物のようなアップルパイを一人で制限時間内に完食したりと、もともと食欲旺盛な子ではあったが、成長して身体が大きくなった今、消費量は完全にバケモノレベル。
レベッカさんが魂込めて作った料理が、文字通り“吸い込まれる”ように胃の中へと消えていく。
にしても、マリィは極力戦闘には参加させてはいないハズなのに、なんで毎回誰よりも食うんだよ。
「もうないわよ! セロン、ガリユ! もっと釣って来なさい!」
「ぐうぅぅっ!! 釣れども釣れども間に合わないぃぃっ!!」
「俺たちの分まで食いやがってぇぇぇっ!!」
セロンさんとガリユさんが渾身の技で魚を釣り上げてはいるものの、マリィの胃袋という謎のブラックホールの前では焼け石に水。
「マリィ……その、あんまり食べすぎると……」
太るぞ? ──そう言いかけて、俺は言葉を飲み込む。
というのも──すでにこの量を日常的に食ってて太っていない時点で、何か常人やめてる気がしてきたからだ。
たぶん代謝の次元が違う。
まぁ、もともと魔物なんだけど。
「えへへ、だってなんか人の姿になってから、ごはんが美味しくて美味しくて止まんないんだもんっ」
頬をリスのように膨らませながら、そう言って笑う姿は微笑ましい。
人の姿になったことで味覚も変わったりもしたんだろうか?
うーむ、食費についてはこれからも考えることが増えそうだ。
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「うぃ〜〜〜〜ッ! ヒック! ふぅぅ〜っ……」
と、向こうではすっかりロイドが酒臭い息を吐きながらミランダ副船長に絡んでいた。
「副船長〜〜! 俺もっともっと頑張りますよ〜っ! どんな魔物が来ても、俺の最強魔術で、ばばばばーんとやっつけますからぁっ!!」
「ふーん」
──無反応。
むしろ冷たい目でロイドを見下ろしている。
酔ってるのに妙に冷静。
たぶん、ロイドのウザ絡みで逆に醒めてしまったのだろう。
「あれぇ? 何かあったんですかぁ? えへへ、そ〜んな時は、嫌なことをぜ〜んぶ忘れて飲みましょ〜!」
しかし、泥酔しているロイドにはミランダの気持ちなど伝わるわけもなく──
──ゴォンッ!!
「はぐあっ!?」
当然、ミランダさんの鉄拳制裁が炸裂した。
「アンタ、本当に反省してんの!?」
……まぁ、今のはロイドが悪い。
少なくともまだミランダさんからの評価が上がったわけではないのに、『嫌なこと忘れろ』は地雷だろう。
「クロード! コイツにヤキ入れてやって!」
「ん?」
「ちょっ!?」
ミランダさんの指令で、クロードさんのメイルシュトロームが炸裂し、ロイドは文字通り夜空の星になる。
──やれやれ、立ち直るのが早いのは良いが、もう少し反省も必要なようだ。
船の上では、楽しくも波瀾万丈な日々が続いた。
そして──
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一ヶ月後
「……すげぇな」
「うん…………」
言葉を失ったのは、俺だけじゃなかった。
──ついに、ガルレイア大陸北部の港に到着。
眼前にそびえ立つのは、東方ガルレイア大陸最大の難所──カイエン山脈。
その頂は雲を突き抜け、まるで天を貫く剣のように立ちはだかっていた。
ゲームの中で見ていたはずの風景。
だけど、こうして“現実”として目にしてみると、もはや荘厳の一言である。
ロイドなんて別に登るわけでもないのに、隣でうっすら冷や汗かいてる。
──いや……正直、大陸に着いたらあとは楽勝だと思ってましたよ、えぇ。
海魔も倒した。
魔族もひとまずは退けた。
だからこの先は、山道とはいえ普通の陸路で進むだけ──そう考えていた。
だけど目の前の現実は、そんな淡い期待をことごとくへし折ってきやがる。
山は高い。
高すぎる。
まぁ、考えてみるとそりゃそうだ。
ゲームのように山とは言え二次元だから平面というわけにはいかないのだ。
「……人類の侵入拒んでるレベルだろ……これ…………」
呟いた俺の声が、風に乗って消えていく。
冗談じゃなく、本当に“行きたくない”という感情が、身体の奥底から沸き上がってくる。
この先に手紙の届け先であるベアトリスがいるのか……?
「はぁ……マジでふざけんなよ、サイファー」
なんちゅうとこに"おつかい"させてくれるんだ。
あのジジイの依頼内容を思い返すたびに、殺意に似た感情がこみ上げてくる。
そう毒づいたところで、この現状が変わるわけじゃない。
──まぁ、今更後戻りなんてできないが。
「あっちゃー……」
後ろから聞こえてきたのは、どこか間の抜けたミランダさんの声。
振り返れば、クルーたちがレベッカさんの氷魔術で凍らせた波打ち際に船を押し出し、破損状況を確認していた。
「外から見ると……想像以上だな……」
クロードさんが低く呟く。
その横顔は、いつものように涼しげで、どこか寂しげだった。
──分かってたことだけど。
こうして改めて船体を眺めると、胸がきゅっと痛くなる。
あちこちに打ち付けられた木板、帆の裂け目、船底からにじむ浸水の痕……。
これでもまだ持ち堪えた方なのかもしれないが、次に同じ衝撃を受けたら間違いなく沈む。
それは、素人目にも明らかだった。
正直、俺も罪悪感はある。
元々は俺がアステリアに行きたいと彼らに頼んだのが原因の一つでもあるし、サイファーからの手付金も彼らは受け取っていない。
彼らの元締めであるサイラスが俺との賭けに負けたから──といえばそうなのだが、それにしても平気な顔ができるはずもない。
「……あの、俺が転移魔術でグランティスまで戻って、修理に必要なものを持ってきましょうか?」
せめてもの償いのつもりだった。
転移なら俺一人で即座に戻れるし、修理の材料くらいならどうにか調達できる。
けれど──
「前にも言ったが、船の破損は君のせいじゃない。それに、海賊の船なんだ。こんな経験は初めてではないし、その度に俺たちはどうにかしてきた」
クロードさんは、船体を一つ叩きながら、そう俺に言ってくれる。
「ダメなら諦める。修理が難しければ、また船を探す。それだけの話だ。幸い、輸送品はここからそう遠くない街に届ける手筈だし、そこでならどうとでもなるだろう」
「ですが……」
「そうそう! フェイくんがそんなことで気に病む必要なんてないのっ!」
言いかけた俺の前に、ミランダさんが割り込んできた。
強い海風に、桃色の三つ編みが舞う。
「船がなければ奪えばいいし、最悪、船が沈んだら町までクロードに歩いてもらうから大丈夫っ!」
「おまえな……」
呆れたように苦笑いするクロードさん。
そして笑いながら肩をすくめる仲間たち。
その逞しさに、俺は安堵する。
「……ありがとうございます」
だから俺はそれ以上、何も言わなかった。
せめて、この人たちに恥じぬように、俺も前へ進もう。
マリィと共に荷をまとめ、俺たちは旅の準備を整える。
再びちょうど船を降りたときだった。
「ロイドっ!」
「は、はいっ!」
浜辺にいたのは、緊張に顔を引き締めたロイドと、彼を取り囲むように立つ仲間たち。
そしてその中心で、腕を組んで睨むように立っていたのは、ミランダさんだった。
──そうだ。
ロイドは、ここガルレイアに着いたら“船を降りる”つもりだった。
信用を失い、迷惑をかけた自分はパーティに残る資格がないと……そう、言っていた。
だが──俺の介入で、あの日の結末は一度変わった。
それでも、彼が仲間として認められたわけじゃない。
この一ヶ月間の“猶予期間”が終わりを迎える今、果たして彼の答えは──
「……会った時より、いい面構えになったじゃない」
ミランダさんの低い声が、静かに響いた。
「実力もまだまだ。でも……お前の想いは、少しは伝わってきた」
ロイドの肩がびくりと震える。
その目に、涙が浮かぶ。
「副船長……」
「これで“正式な仲間”とはまだ言えないけどね? でも、船を降ろすのは……今回は勘弁してあげるわ」
ふっと笑うミランダさんは、ほんの少しだけ優しげだった。
腕を組んだまま、顔をそらして──けれど、声だけはまっすぐに。
「傍で見といてやるから、頑張りな」
「はっ……ハイッ!!」
ロイドは顔をくしゃくしゃにしながら頭を下げる。
きっと彼の中で、この一ヶ月は“生まれ直し”に等しい日々だったのだろう。
──いい顔になったな、ロイド。
俺も小さく微笑む。
それから──別れの時が、静かに訪れる。
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「フェイくんたちはおつかいでしょ? なら、それが終わったらそこの宿に戻ってくる感じで」
ミランダさんが氷を砕きながら、港にポツンとある建物を指さす。
あそこは宿や酒場などが一体になった旅人たちの中継地点だ。
「こっちは仕事してる間に船も直しておくから! 先に戻った方が宿で待ってましょ! ガルレイアの酒は美味しいのよ〜!」
要するに、待ち合わせだと。
俺とマリィはベアトリスさんに手紙を渡して戻ってくる。
クロードさんたちは輸送の仕事ついでに船も修理して戻ってくる。
まぁ、どちらが早いかは正直わからない。
手紙を渡してくるだけと言えばそうなのだが、入山してどれくらいかかるのだろうか。
「……了解です。先に戻って来ても、飲みすぎないでいてくださいよ?」
笑いながらそう言うと、みんなの笑い声が重なった。
「フェイ! また二人で一緒にがんばろうね!」
マリィが手を差し伸べてくる。
その掌を、俺はしっかりと握り返した。
「フェイクラントくん」
振り返れば、クロードさんが真剣な表情でこちらを見ていた。
「……魔族の動きも気になる。君たち二人なら、よほどの敵が来ない限りは大丈夫だろうが……それでも、用心してくれ」
その鋭い眼差しは、冗談や戯れの欠片もない。
それだけ、今回の航海で起きた襲撃に何かを感じ取っているのだろう。
海魔たちの襲撃。
魔族の暗躍。
それらは偶然ではないのだ。
マリィを攫おうとしたという、絶対的な悪意はまだ解決していない。
「はい……クロードさんたちも、気をつけてください」
俺は真っ直ぐに返す。
その返事に、クロードさんはわずかに目を細め、満足げに頷いた。
そして──
「フェイクラントさんっ……」
最後に、一歩踏み出してきたのはロイドだった。
「……俺、本当に……ありがとうございましたっ」
そう言って、彼は深々と頭を下げる。
顔を上げた時には、もう瞳が赤くなっていた。
「俺、まだまだですけど……でも、今回の航海で、たくさんのことを学びました。怖がってばかりだったけど、ここまで来られたのは……フェイクラントさんのおかげです」
「……」
「だから、俺、もっともっと頑張ります! フェイさんが戻ってきたとき、びっくりするくらい強くなってますから!」
拳を強く握りしめるロイドの姿は、もう以前の彼ではなかった。
頼りなかった背筋が、今は確かに“冒険者”のそれになりつつある。
「あぁ……期待してるよ」
俺も拳を上げて、軽く“コツン”とロイドのそれとぶつけ合う。
「じゃ、行ってきます!」
「行ってらっしゃーい!」
「無事に戻ってこいよ!」
「魔族にだけはくれぐれも気をつけるのよ〜!」
仲間たちの声が背中に降り注ぐ中、俺はマリィと共に、一歩ずつ新大陸の大地を踏み締めていった。