第百六十三話 「役立たずの裁定①」
ロイドが、わずかに震える足取りで部屋へと入ってきた。
生唾を飲み込む音が、場違いなほどにはっきりと耳に届く。
おそらく俺が気を失っていた間、ミランダさんあたりに「あとで話がある」とでも告げられていたのだろう。
「……ロイド」
俺がその名を呟くと、彼はピクリとも反応を見せず、ただ黙って俯いたままだった。
──言葉はいらない。
これから話す内容なんて、全員がもう察している。
彼は戦闘の最中、ほとんど役に立てなかった。
怯えて、甲板の隅で身を縮め、ただ事態を見ているだけだった。
マリィを助けるための火球を放ったのは事実だが、それはたまたま、怯えたロイドが甲板にいたから出来た一手なだけだ。
それだけで免罪にはならない。
Sランクパーティであるクロード海賊団において、足を引っ張った責任は重い。
……俺としては、かばってやりたい気持ちもある。だが、それは「フェイクラント」という部外者の甘えた感情にすぎない。
ここはクロード海賊団の場だ。
俺が意見を述べる資格は無い。
「……………」
「……………」
クロードさんもミランダさんも、ロイドも、誰一人として言葉を発しない。
空気が地獄のように重たい。
──……っていうか、そもそもこの場面、俺とマリィがいちゃダメだったのでは?
完全に退室タイミングを逃した俺は、マリィの肩越しに無言の祈りを捧げる。
ふと横を見れば、マリィも不安げにロイドを見つめていた。
あの大人びた目が、今はどこか少女のように揺れている。
「……何か言ったら?」
ようやく沈黙を破ったのは、ミランダさんの低く乾いた声だった。
その一言に、ロイドの肩が跳ねる。
まるで職員室に呼び出された小学生のようだ。
クロードさんは腕を組み、壁にもたれたまま目を瞑っている。
もし俺がロイドの立場なら、たぶん泣きながら脱走している。
だがロイドは、膝をつき、頭を深々と下げた。
「…………ほ、本当に……申し訳ありませんでした……ッ!!」
声が震えている。けれどその言葉には、覚悟があった。
床に擦りつけた額。絵に描いたような見事な土下座。
それをミランダさんは見下ろしながら、冷たく言い放つ。
「謝られても困るのよね。敵が出るたびに怯えられてたら、守るこっちの命も危うくなりかねないんだけど? アタシ言ったよね? アンタは見たところ、冒険者には向いてないって。そしたらアンタ、なんでもするって、必ず力になるって。アンタは一度信じたウチらを裏切ったのよ?」
少々語気が強いが、彼女の言葉は正しい。
情に流されるわけにはいかない。
仲間というのは、信頼に足るからこそ背中を預けられる。
甘えと覚悟が混在するロイドの行動は、致命的な綻びとなる。
それでも、彼は頭を下げたまま続けた。
「すみません……。勝手ですが、最後の最後にどうしても冒険者になる夢が諦めきれなくて……」
「夢……?」
思わず反応してしまう。
涙声ではあったが、その言葉には確かに力がこもっていた。
そしてロイドは、疑問に思った俺に対してなのか、詰まりながらも自分の過去を語り始めた。
──子供の頃から冒険者に憧れていたが、親からは反対されたこと。
──それでも諦めきれず、独学で金を貯め、グランティスの魔術学校に入ったこと。
──だが周囲のレベルにはついていけず、成績は最下位、努力しても評価はされず、笑われ、嘲られる毎日だったこと。
──最後は資金も尽き、退学。夢は潰えた。
「でも……実家にだけは、どうしても帰りたくなくて……」
目の端から涙が落ち、ロイドは拳を固く握り締める。
「だから、せめて冒険者登録だけでもして……酒場で働きながら……何か、何か一つでも変えられないかって……」
そこでふと、彼の視線が俺を捉えた。
「そのとき、フェイクラントさんに出会ったんです」
「えっ!?」
素っ頓狂な声が出てしまった。
ロイドの顔立ちに見覚えは……正直、ない。こんなイケメン、記憶にあれば忘れない。
「……酒場で一度、お酒を渡したんです。覚えてませんか……? あの時は、髪はボサボサで、眼鏡もかけてて……少し印象が違うかもしれませんが……」
──そういえば。
初めてグランティスの酒場を訪れたとき、妙に挙動不審な新人店員にグラスを渡された記憶が……あった気がする。
やけに不器用な手つきだったのに、昔の情けなかった自分みたいで、妙に親近感が沸いた。
あれが……ロイド?
……メガネを取ったらイケメンだったってやつなのだろうか?
「気持ちよくグラスを受け取ってくれた人だったから、なんか親近感が湧いて来て、その後の副船長とジルベールの大喧嘩にも、暴走したジルベールの仲間たちを慌てることもなく倒してて……勝手ですが、俺でもフェイクラントさんみたいになれる気がしました。……だから俺、船長たちを追いかけて頼み込んだんです。ここに入れてほしいって」
そしたら、気まぐれかもしれないがOKをもらった──と。
ロイドの声が震える。
涙が頬を伝い、床に落ちていく。
「俺、勝手に勇気もらって、勝手に舞い上がって……でも、やっぱり現実は、そう甘くなかった……。だけど、今回の戦いで思い知ったんです……俺は、クロードさんみたいなヒーローにはなれない。マリィちゃんみたいに、特別な力もない……それでも」
ロイドは拳を握り、俺たちを見た。
「それでも……誰かの役に立てる冒険者になりたいって……! その夢だけは……諦めきれないって……! そのことに最後の最後ですが気づくことが出来ました……」
ぼろぼろと涙を流しながら、語られる少年の夢。
それは、誰もが一度は抱いた、でも大人になるにつれて捨ててしまう純粋な想いだった。
──なのに。
「……夢を持つのは勝手だけど、それに巻き込まれるこっちはいい迷惑ね」
ミランダさんの言葉は冷たい。
だが、これが現実だ。
「……わかっています」
ロイドは首を垂れたまま言った。
「今回、俺は足を引っ張ることしかできませんでした。ミランダ副船長、こんな俺でも一度はパーティに入れてくれて……本当に嬉しかったです。……ガルレイアに着いたら、俺はパーティから外れます」
静かな、決意の宣言だった。
逃げではない。覚悟のある、撤退だった。
正直、俺もこの場では何も言えない。
これはクロード海賊団の話であり、俺は部外者にすぎないからだ。
──だが。
「…………ようよ」
マリィの呟きが、その場の空気を再び変えた。
ミランダさんが目を見開き、振り返る。
マリィは目にうっすらと涙を溜めながら、それでも真っ直ぐにミランダさんを見つめている。
「なに? マリィちゃん」
ミランダさんの声には、明らかに警戒の色が混じっていた。
無理もない。
ここは戦力評価と責任の話をしている場であり、感情論で割って入られては、話がこじれるのは目に見えている。
それでもマリィは、一歩踏み出した。
肩越しに見えた横顔は、ほんの少しだけ震えていたけれど──それ以上に、彼女の瞳は真っ直ぐだった。
「……許してあげようよ。ミランダ。ロイドだって、最後は頑張ってくれたよ。怯えてばっかりだったけど……ロイドがいなかったら、私はもうここにいないよ……」
その言葉に、部屋の空気がピクリと揺れた。
「甘いわね」
静かに、だが厳しく。
ミランダさんは淡々と言い放つ。
「マリィちゃん的には結果オーライかもしれないけど、こういう奴にそういう優しさは必要ないの。ますますダメにするだけよ」
「でもっ!」
マリィの声が上擦る。
まるで反射的に返したかのように。
そんな彼女の言葉を遮るように──
「いいんです……マリィちゃ……いえ、マリィさん」
ロイドが、静かに口を開いた。
「この件に関しては、俺が全面的に悪いですから……それに、これ以上迷惑はかけられませんし……」
諦めたような声音。
それでもマリィは食い下がる。
「でも、追い出すことはないじゃん! 反省してるよ! ロイドは!」
「あのねぇ〜〜反省してるって問題じゃないのよ──」
──ぎゃあぎゃあわーわー、ずったんばったん。
二人による言い争いが始まった。
うーむ。
傍観者として見ていたが、どうもこれは勝手にマリィが突入して、勝手にややこしくしているだけのような……?
ロイド本人はもう「出ていきます」と言っているし、ミランダさんとしても「役に立たなければそれまで」という立場を貫いている。
そこにマリィ個人の情が絡むから、話がこじれる。
……なんか、もうちょっといい感じにまとまらないか、この場面。
ちら、とクロードさんに目を向けると──
彼は壁際に立ったまま、腕を組み、なぜか俺を見ていた。
静かに、じっと。まるで「さて、どうする?」とでも言いたげな、そんな目。
表情では何も語らないが、背中にずしりと圧がかかる気がする。
勘弁してくれ。俺、ただの客人ですよ?
だが──
「そもそもねぇ!」
ミランダさんの声が跳ね上がる。
「役に立たなかったら追い出すって言ったことには、ロイドだって了承してんの! そんな後がない状況なのに、怯えて縮こまるやつなんてそうそういないわよ!? せめてちょっとでも戦ってから諦めなさいよ!」
「そんなのっ! 私だって戦いは怖いもん! 誰だって最初は怖くてしょうがない中でも、最初の一歩を踏み出す勇気ってところを見てあげようよ!」
「かーっ、ぺっぺ!! そんなんでSランクになれたらみーんなSランクだっての! 別に夢を諦めろって言ってんじゃないのよ!」
ぐぬぬ、と二人の美女が唸り合う光景が展開される。
なんだこれは。
ロイドの話だったのに、いつの間にか二人の喧嘩が中心になってないか?
その真ん中で、ロイドがあわあわと狼狽しながら仲裁に回っているのが、さらに混沌に拍車をかけていた。
そしてクロードさんは、やはり動く気がない。
腕を組んだまま、変わらぬ無言の圧を俺に投げかけてくる。
……仕方ねぇな。
俺は、意を決して二人の方へ足を踏み出した。