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第百六十二話 「Briefing time」

 船室中央に据えられた長方形のテーブル。

 その周囲に俺、マリィ、クロードさん、ミランダさんが向かい合って座っている。


「ふーん……始祖の魔物ねぇ……」


 ミランダさんが紅茶を啜りながら、気の抜けた声で呟いた。

 軽く眉を上げながら、カップの中を覗き込むような仕草。


 あの後、俺は“大海原を観れるソファで両手に花”という幸せ過ぎる状態から心を鬼にして抜け出し、デッキで酒の肴目当てに釣りをしていたルーフスさんたちに頼んで、生きた小魚を一匹もらった。


 マリィの掌に、その魚を乗せる──という実験をしたのだ。


 結果は、言うまでもない。


 魚は一瞬で痩せ細り、鱗の光沢すら消え、数秒と経たずに動かなくなった。

 生命の輝きを一瞬で奪い去る、触れるだけで命を終わらせる呪い。


 あの光景に、場にいた全員の背筋が凍りついた。


 それが、女神アルティアがかつて持っていた“死の神威”と同じものであることは、俺にだけはハッキリと分かった。


 ──で、今。

 俺たちは船室で、そのことについて事情を共有しているというわけだ。


 全員が一斉に聞くと話が錯綜するかもしれない、ということで、クロードさんは他のメンバーには甲板の見張りを頼んでくれた。


 これは、マリィの“正体”に関わる話だ。

 俺としても、不用意に広まるべき内容にしたくはない。


 プレーリーハウンドだった彼女が、神威の目覚めと共に元の飼い主──女神の半身だったクリスの姿に変じたこと。

 そして、その力と共に、今回の変化で“呪い”までも受け継いでしまったということ。


 女神や神の名を直接出すのは得策ではないと判断し、歴史にも名前にあるらしい「始祖の魔物」と、「村人クリスがたまたま持っていた呪い」という言い回しでぼかした。


「フェイくんには効かないっていうのは……もともとの、その……クリスちゃん? 彼女をフェイくんが、愛してたから……除外されてるってことよね?」


 ミランダさんが妙に真剣な顔つきで、まっすぐ問いを投げてきた。

 言葉にトゲはないが、どこか探るような声音。


「え、えぇ、まぁ。……そういうこと……ですね。どうやら、“真に愛した者”には、効果が無いと……彼女が……そう言っていました」


 言いながら、俺は思わず顔をそらしてしまった。

 既にこの世にいない相手とはいえ、自分の“愛”をこうして肯定するのは、何ともこそばゆい。

 息が詰まりそうになる。


 ──でも、事実だ。

 クリスのことは、確かに愛していた。

 でも実際、俺が愛していたのはクリス限定だと思っていたから、マリィにまで憑いた呪いには対象外かもしれないとも思ったが、物理的に背負ったり背負われたりした時には何もなかったし、本当に俺には効かないのだろう。


 ……あるいは、家族愛、というものも適応範囲に入るのかもしれない。


「改めて言われても、ふーんって感じねぇ。元がプレーリーハウンドだなんて、今の姿見ててもピンとこないし……」


 ミランダさんは腕を組み、考える素振りを見せながらも、どこか柔らかな口調だった。

 少なくとも、今のところ嫌悪や否定といった気配は感じられない。


 そんな彼女の隣で、クロードさんは静かに頷いた。


「はは、フェイクラントくん、そんな顔をしなくてもいい。人族が魔族になる例もあるし、世の中には俺たちが知らない能力を持つ者がごまんといる。驚きはしたが……受け入れられないということはないよ」

「……あ、ありがとうございます」


 ──俺は相当不安そうな顔をしていたらしい。


 マリィが拒絶されるかもしれないという恐れ。

 彼女が“異物”として扱われ、仲間の輪から外されるのではないかという焦燥。


 だが、杞憂だった。


 この人たちは、マリィを仲間として見てくれている。

 存在がどれだけ異質であっても、戦いを共にした仲間として、心の距離は変わっていない──それが、嬉しかった。


 けれど、その空気を変えるように、クロードさんが言葉を繋いだ。


「……だが、一つだけ気になることがある」


 その声は低く、だが確かに空気の色を変えた。

 全員の視線が彼に集中する。


「──マリィちゃんを連れ去ろうとして逃げた、あの魔族のことだ」


 心の中で、小さく警鐘が鳴った。


 あの仮面の女と、マリィが殺した少女の魔族。

 確かに、彼女たちがマリィを狙っていたのは気になるところだ。


「奴らは間違いなく魔族だ。ヴォドゥンは、魔族の指示で俺たちの船を襲ったのだろうな」

「──!」


 俺は言葉を失う。

 あの巨大な魚人が、上からの指示で動いていたのか?


「ヴォドゥンとは長い付き合いだったが、奴の性格からして、実力で勝る相手にあえて勝負を仕掛けるような真似はしない。とはいっても、奴もそれなりに強い。そんな奴を従わせられるとしたら──それなりに高い地位の魔族、ということだ」


 確かに……。

 その位置にいる魔族がわざわざマリィを連れ去ろうとした。

 どう考えても何かあるとしか思えない。


「でも、誘拐が目的なら誰にも悟られずに行うのが普通よねぇ。別にヴォドゥンと組んで船を襲う必要は無いと思うんだけど…………」


 ミランダさんがカップを置き、眉間に皺を寄せながら呟いた。


「アタシたちを殺すことと、誘拐のふたつが目的だったって事? あの氷床、マリィちゃんやフェイくんがいなけりゃ結構ヤバかったけど」

「そこは俺にもわからない。奇襲をかけて誘拐を行うとするなら、目的と手段がズレているようにも感じるし、計画性があるようで無い」


 確かに、と頷きつつも、俺にはその手の発想はない。

 ミランダさんは唸るようにうーんうーんと繰り返しながら、頭を捻っている。


「マリィちゃんを攫おうとしたのは世界中で頻発している子供誘拐事件の一つ…………とするには腑に落ちない。希少な存在……始祖の魔物の話を聞いた後だと尚更だな」

「魔族はマリィちゃんが始祖の魔物と知った上で攫いに来たって事?」

「いや、憶測の域を出ない」


 なんだか、クロードさんとミランダさん二人で勝手に推論が進んでいく。

 俺の思考はそこで止まっていた。

 頭がついていかない。


 マリィの力。

 魔族の意図。


 複雑すぎる情報が、脳内で空回りしている。

 というか、低すぎる知力が付いていかない。


 俺も何か、意見を言いたい。

 言うべきだ。


 けれど、情報も材料も不足しているしなぁ。


 うーん、魔族といえば、ラスボスであるオルドジェセル。

 怪しさ満点だが、正直、彼がマリィを誘拐しろという行動はしない気がする。


 自分は舞台劇でも見るかのように手を出さず、マリィを直接どうこうする──というのは考えづらい。

 むしろ──奴の写身である俺と一緒にいる事で、“劇的な未知”を引き起こすのを期待していたような……。


 あの男は、世界の変化を“観察する”ことに執着していた。


 ならば──他の魔王か?


 たとえば、ベルギスを救出する際にやたらマルタローに反応していたザミエラ。

 あるいは、変化したマリィに不意打ち飛び蹴りを喰らったヴェイン。


 彼らなら、マリィへの恨みを抱いていてもおかしくない。


 命令を下す理由も、動機も、十分にある。

 思うところといえば、好戦的な彼らなら、部下に命令などせず、自らやってきそうなものだが……。


 ……だが、合点がいかないこともない。


「──フェイくんは、どう思う?」

「えっ」


 突然の問いかけに、言葉が喉で詰まる。


 それまでクロードさんとミランダさんの推論合戦を、どこか傍観者のような立場で聞いていたせいか、急に現実を突きつけられたような感覚だった。


「え、えーと……」


 あまりにも突然すぎて、正直、思考がまとまっていない。

 けれど、黙っていても意味はないし、何よりマリィのことだ。

 俺だけが知っている“情報”もある。


 ──女神や大魔王の存在、そして俺自身が何者なのかという根本の話は、さすがに今は伏せておくとして。


「……魔族といえば、やはり、あの二人でしょうか」

「二人?」


 ミランダさんが怪訝そうに眉をひそめ、クロードさんは静かに視線を向けてくる。


「以前にも襲われたのですが……その、狩りの魔王・ザミエラと、暴虐の魔王・ヴェインに……」


 その名前を口にした瞬間、ミランダさんが盛大に紅茶を吹き出しかけ、クロードさんの眉がピクリと動いたのを、俺は見逃さなかった。


「……へ?」


 ミランダさんが口をパクパクとさせ、目を白黒させながら俺を見る。


「ちょ、ちょっと待ってよ? その二人って、魔族の中でも伝説クラスのヤバさじゃ……。えっ!? まさか、顔見知りなの?」

「……ちょっとだけ、接点がありまして」


 っていうか、結構有名なのか、あの魔王たち。

 そりゃそうだよな……神出鬼没とはいえ、普通に村とか襲ってくるし……。


 このタイミングだと、めっちゃ疑われてもおかしくないよなぁ。

 でも、事実なので嘘はつけない。


「特にヴェインの方は……マリィが蹴っ飛ばしたことがあって、あれは多分、恨みを買ってるかもしれません」


 俺がぼそりと告げると、ミランダさんの目がより一層見開かれる。


「蹴った!? 魔王を!?」

「えっ!? いやまぁ、多分? いや、あの時は殺されかけてたので、そうするしかなかったんですけど……」


 フォローになっていない気がする。


 でも、あの時はマリィがああでもしてくれなかったら、間違いなく俺は殺されていただろう。

 人型に変化したのを見て、ヴェインがマリィを神威使いだとも言っていたし──


「……動機としては充分だな」


 クロードさんが深く頷く。


「ええ、思うところは色々あるんですが、ヴェインの性格からすると、俺たちの位置が掴めているなら、わざわざ部下なんかよこさず、自分で攻めに来そうなんですよね……」


 俺はテーブルの木目を見つめながら、思考を整理するように言葉を繋げた。


『暇してたんだァ、長いこと。待つってのは辛ェよなぁ。もうシケた調査や人族のガキを攫うばっかじゃ満足できねェ。だからよ──これはチャンスなんだ』


 あの時、ヴェインが放っていた言葉。

 いかにも、戦いに飢えているような発言──ならば、やはり見つけた相手は自分で倒したいハズ。


「ふむ……」


 クロードさんは腕を組み、唸るように鼻を鳴らした。


「だ、だいじょうぶなの!? そんなヤベー奴らに目を付けられてるって、フェイくん、アンタ何者よ!? もしかして……実は魔族も恐れてるすんごいヒーローだったりして!」

「……いやぁ……はは……」


 肩をすくめて笑うしかない。


 いやほんと、言えない。

 俺、大魔王と同じ魂持ってるんすよ、なんて……。


 真実を打ち明けた瞬間、場の空気が凍るのは目に見えている。

 だから今は、笑ってごまかすしかない。


 結局、真の黒幕が誰かは分からない。

 ただ一つハッキリしているのは──


「とにかく、これからも警戒を怠るわけにはいかないな」


 言いながら、クロードさんは真剣な面持ちで口を開く。


「マリィちゃんには今後、必ず誰かと一緒に行動してもらう。甲板にも一人では出ないようにしてくれ。……万が一、また狙われたら厄介だからな」

「……はい」


 マリィを見ると、彼女は居心地悪そうに肩をすぼめていた。


 目は伏せられ、唇を噛むようにして俯いている。

 その肩はほんの少し震えていて、まるで自分が“厄介な存在”であると責めているようだった。


「海に流す聖水も増やしておこう。大した効果は期待できないが、気休めにはなる」

「ありがとうございます……」


 小さく答えたマリィの声は、どこか心細げで。


 ──その表情を見た瞬間、クロードさんがふと表情を緩めた。


「……いや、すまない。本人を前に、生々しい話をしてしまったな……」

「いっ、いえ、そんな! 私……大丈夫ですから……っ」


 マリィは慌てて両手を振り、頭を振る。

 でも、その目にはやっぱり不安が滲んでいた。


「フェイ……」


 不安げに俺を見つめるマリィ。

 大人の姿になったのに、その目はまだ迷子の子供のように。


「大丈夫だ。……みんながついてる。俺だって、そばにいる」


 だから、気にすんな──そう言葉を続けると、マリィはきゅっと唇を結び、小さく頷いた。


「……うん」


 その顔にはまだ不安の影が残っていたが、同時にかすかな安堵もあった。

 その表情はどこか、懺悔を終えた聖女のようにも、夢から覚めた少女のようにも見えた。


 ──とにもかくにも、今回の件はこれで一件落着だ。


 マリィの力、魔族の暗躍、謎めいた存在たちの意図。

 問題は山積みだが、これ以上考えても答えは出ない。


「……じゃあ、まぁ──次の問題ね」


 ミランダさんが、ぐいっと椅子の背にもたれながら言った。

 さっきまでの柔らかさは消え、目元に鋭さが戻っている。


 キッ、と扉の方を睨みつけながら、一言。


「入ってきな」


 その声に呼応するように、ゆっくりと扉が開いた。


 入ってきたのは、海賊団の新人──ロイド。

 顔を上げきれないまま、俯いて静かに、そしてどこか覚悟を決めた足取りで。

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