第百五十七話 「成長期ね!」
戦闘が終息し、俺たちはひとまず戦線を離れた。
とりあえず、傷の深かったロイドとレベッカさんを抱え、船内の医務室へと運び込む。
ロイドの傷は、治癒魔術のおかげでほとんど癒えていたが、内臓への負担はやはり残っていたらしく、マリィの「ダメ! 休んでて!」という強い主張に押されて安静が決定。
レベッカさんもすでに自力で立てていたけれど、治癒後すぐに魔術の連打でムチを打たれた身体には、相応の休養が必要だった。
二人を休ませ──俺は再び甲板へ戻る。
──そこでは、すでに新たな動きがあった。
「おかえりなさい! ミランダさん!」
マリィの明るい声が響く。
その声に続くのは──
「んん〜〜!?」
あからさまな戸惑いの唸り声だった。
船の下、数十体もの魚人を単騎で蹴散らしてきたミランダさんと、セロンさんたち三人が無事帰還。
その姿は無事だったどころか、むしろ“戦い足りなかった”とでも言いたげな余裕すら漂わせていた。
──しかし、今この瞬間、彼女たちの目が見開かれたまま硬直している理由は、敵の残骸ではない。
甲板で迎えたマリィ──その姿だった。
ミランダさんは、まるで不審者を見るかのような視線で、じろ……じろ……と上から下までマリィを一瞥していき──
「……フェイ君、この方……誰?」
困惑な表情。
マリィは何事もなかったかのようににこやかに挨拶していたが──いや、うん、まぁそりゃそうなるよな。
今、彼女の身長はミランダさんとほぼ同じ。
少女だった頃の面影はすでに薄れ、長くなった純白の髪と聖性すら帯びた容姿は、もはや別人と言ってもいい。
まぁ、一応"成長した姿"なので、面影は当然あるし、前髪も一部だけベージュなのは変わらずなのだが──
「えーっと……マ、マリィです」
情けないくらいの声でそう答えると、ミランダさんは顔を上に向けて人差し指をくるくる。
まるで計算式でも組み立てているような仕草をして──
──ぴたり、と動きを止めた。
脳の処理が追いついていないらしい。
「……なんで大きくなってんの?」
そりゃ聞くよな。
むしろ、ようやくその言葉が出たという感じだ。
「えっと……その、話せば長くなるんですが……」
さあ、困ったぞ。
どう説明したら信じてもらえるのか。
実は魔物だったとか、魔王との死闘があってとか、神威の力が覚醒してとか、かつての主人の影を追ってどうとか……正直話がファンタジーすぎて、もはやリアリティゼロである。
……いや、実際ファンタジーなんだけどさ。
今さら言うことでもないけど。
俺が言葉を詰まらせている間に、ミランダさんはまるで何かを“閃いた”ように目をカッと見開き、右手を顎に当て──
「わかったわ! 成長期ね!」
この人、やっぱりすごいな。
斜め上の理解力で世界を救えそうだ。
「いやいや副船──」
「さーてと! 謎は解決したし、魔物も全部倒したし、次はこの氷床よねっ!」
セロンさんがすぐさま否定の言葉を挟もうとするが、まるで“もう話は終わり”と言わんばかりに、甲板の外に身体を乗り出すミランダさん。
……うん。
まぁ、ありがたいっちゃありがたい。
突っ込んで来られても余計こじれるだけだし、成長期で納得してもらえるなら、それに越したことはない。
とはいえ。
「っていうか、全部終わった気でいますけど、まだ向こう側では……」
遠く、氷の彼方。
時折、水飛沫が上がるのが見える。
「クロードさんがまだ帰ってきてませんけど……」
俺がそう口にすると、ミランダさんはちらりと目線を向けて、
「あいつは大丈夫よ。強いから」
あっさりと断言した。
──まあ、確かに。
ここからでも魔力の奔流が薄っすらと感じられるし、あのヴォドゥンが乗っていた巨大海竜の断末魔が、ついさっき聞こえてきたばかりだ。
クロードさんが負けるような展開は、少なくとも今は想像できない。
なら、次に考えるべきは……この氷床から、どうやって抜け出すか。
「よし、じゃあまずは──」
俺が口を開くより早く、隣で魔力が一閃した。
「『焔衝撃』ッ!!」
ミランダさんが掌を構え、眼下の氷へと火炎の奔流を叩きつける。
赤い閃光と共に、鋭い破裂音。氷床が軋む。
……が。
「……ちっ、ただの氷じゃないわね」
見れば、氷塊は表面がうっすら焦げた程度。溶けるどころか、ヒビすら入っていない。
いやいや、今のはそこそこ強めの中級魔術だったぞ……?
「魔術に耐性があるわね、敵の魔兵も相当強力だったのね。知らなかったけど」
なんだよそれ。
とんでも氷じゃねえか。
こういうの、酒に入れたら絶対うまいヤツじゃん。
氷が永遠に溶けないウイスキーとか──って、そういう話じゃない。
「中級じゃ無理ね。とはいっても、上級魔術を使えるレベッカにこれ以上ムチを打たせたくないし……」
ミランダさんが腕を組み、ため息をつく。
たしかに。
レベッカさんは今、医務室で泥のように眠っているはずだ。
これ以上こき使ったら、さすがに倒れる。
「だったら……!」
唐突に、野太い声が響いた。
「殴って壊すしかねぇな!!」
声の主──ルーフスさんが、両手剣──グレートソードを肩に担いだまま勢いよく叫ぶ。
「ああッ! ちょーど俺も思ってたところだッ!」
その後ろから、ガリユさんが嬉々として戦斧を肩に担いで飛び出してきた。
さっきの戦闘で全力を出し切れなかった分の鬱憤を、ここで晴らす気か。
いや、それにしても元気すぎるだろ、あの二人。
「オリャァアアッッ!!」
ルーフスさんがまず一撃。
重い音が響き、氷床が砕けて、そこからヒビが放射状に広がっていく。
「オラァァアアアアアア!!」
続けてガリユさんの斧が振り下ろされ、氷片が盛大に飛び散る。
氷塊はたしかに砕けていく。
大剣と戦斧による物理破壊は、地道ながら確実に成果をあげていた。
──しかし。
「……いや、何時間かかるんだ……?」
周囲の氷を砕くたび、下から更に分厚い氷層が現れる。
ぶっ壊してるのは間違いないけど、あまりにもスケールがでかすぎる。
「コラァ! セロンもやれ!」
「……さすがにそれで剥がし切るのは体力の無駄だろう?」
「うるせぇ! ただでさえお前、雑魚ばっかで活躍してねーんだ! 何かやれよ!」
「は……!? 言いやがったな!!」
ついに、冷静沈着だったハズのセロンさんまでもが堪忍袋の緒を切らし、船から勢いよく飛び降りた。
「はぁ〜〜……めんどくさ……フェイ君、どうにかして」
その光景を、船の縁でガニ股に座るミランダさんは、まるで他人事のように鼻を鳴らす。
──緊張感のかけらもないな、この人。
けど、まぁ、他に手段がないのも事実だ。
クロードさんが戻ってくれば、きっとどうにかなるだろうけど、いつ戻ってくるかわからない人をあてにし続けるわけにもいかない。
それに、俺もどうせ脳筋側だ。
だったら、できることをやるまでだろう。
「マリィ、とりあえず俺たちも下に降りて、氷を剥がそう」
そう指示し、俺も再び剣を手に取る。
弾かれてしまった剣は海に落ちてしまったので、代わりに船室にあった剣を借りることにした。
「姐さんも手伝ってください!!」
「え〜〜〜……仕方ないわねぇ……」
ミランダさんも、ついに観念した様子で腰を上げる。
だが──
「…………」
「……マリィ?」
彼女は俺が指示したというものの、ただじっと、氷の中央部を見つめて動かない。
瞳に浮かぶのは、考え込むような色。
どうしたのかと問いかけようとした、その時。
「ねぇ、フェイ──────」
マリィが、突然、恐ろしい提案を耳打ちしてきた。
脳が、危険信号を点灯させる。
「ばっ……! そんなことしたらお前、まだコントロールが……!」
慌てて制止の声をかけるも、彼女は明るく、どこか自信に満ちた笑みでウインク。
「大丈夫っ! レイアおばあちゃんの土壁を壊した時みたいにはならないよっ! 今度は大丈夫な気がするっ!」
うわぁ……。
それ、だいたい「全然大丈夫じゃない」前振りのやつだ。
けれど……たしかに、他に妙案があるかと言われたら、ない。
今の状況を打開できるとすれば、マリィの“それ”くらいだ。
「ステータス……」
目の前に、俺と"成長したマリィ"のステータスが現出する。
うん。
それしかないだろう。
この数値なら…………うん、心配しかないけど……。
今のお前なら、やれるかもしれない。