第百五十五話 「光は、少女を超えて」
鮮烈──マリィから膨れ上がるその光に、誰もが振り向いた。
燃え上がるような。
けれど、冷たさすら感じさせる、凛とした光。
青とも、白とも、金ともつかぬ“異色”の輝き。
まるで、常識という法則を否定するかのように、視界のすべてを侵食していく。
「マリィッ!!」
俺は咄嗟に叫んでいた。
その身を包む異変に、歓喜と恐怖がせめぎ合う。
この光は──あの時と同じ。
暴虐の魔王に襲われたあの日、犬の姿から人の姿となった彼女が放った“それ”だ。
あれが再び……いや、あの時とは比にならない。
膨張する光は、一瞬で甲板全体を呑み込んだ。
悲鳴も、呻きも、剣戟の音すらも押し流すように、ただ静かに、そして強烈に──そこにある。
その光は、まるで呼吸するように収縮し、そして──
「ギィ──ッ!?」
あの悪魔の少女が、何かに掴まれるようにして呻いた。
……いや、実際に“掴まれて”いたのだ。
マリィの手が、悪魔の腕を掴んでいた。
あれほど無力だった小さな手が。
短く、もがいても届かなかったはずの指が──今、悪魔の腕を抑えていた。
ロイドへと向かうはずだった闇の魔力は、掴まれた瞬間に霧散し、掻き消える。
空間が、冷めたように落ち着いた。
だが、それだけではなかった。
「ギ……ギャァアアアアッッ!!」
少女の、絶叫。
先ほどまで、余裕に満ち満ちていたその声が──
初めて、叫びになった。
焼かれるように。
その身を喰われるように。
悪魔の身体が、触れられた腕から干からびていく。
皮膚はみるみるうちに痩せ細り、骨が浮き出し、髪の艶が抜け落ちてゆく。
“命が喰われている”──そう見えるし、そうとしか形容できなかった。
「マリィ──ッ!?」
なんだ、この力は……!?
俺は死霊の剣を押し返す手を止め、即座に飛び退き、その距離を取る。
思わず戦闘を止めてしまう。
それほどに、圧倒的だった。
そして、その異変の中心で──彼女が、口を開いた。
「──どいてっ!!」
それは、マリィの声だった。
だが、その声はもう、あの小さな少女のものではない。
凛とした意思と力を備えた、女の声だった。
「ぎゃぁ……ぁ…………な、なにを──」
悪魔が声を発する暇もなく、マリィの拳が振るわれた。
吊り下げられていた状態から、宙を蹴り、強引に体勢をひねり──
その拳が、悪魔の枯れ木のような身体を撃ち抜いた。
「ギャッ──!!?」
乾いた破裂音と共に、悪魔の身体が宙を弾けるように吹き飛ぶ。
そのまま甲板へ叩きつけられ、豪快に軋む音を立てて跳ね上がった。
「っ、あ──が、が……!」
甲板に転がる悪魔は、すでに立ち上がれない。
「アタ……シ……ノ、カラ……ダ…………」
その身体からは蒸気のような黒い気が立ち上り、意識もすでに朦朧。
もはや、戦闘不能と言って差し支えないだろう。
見た目は少女だったはずなのに、もはや老婆と言ってもいいほどに変貌していた。
──そして。
静かに、マリィが甲板に降りてくる。
先ほどまでの幼さは、もうどこにもなかった。
純白の髪は少し長くなり、目元には確かな意志の輝き。
成長した肢体は、少女ではなく“女性”と呼ぶに相応しい輪郭を携え、だがどこか──“聖性”に近いものすら感じさせた。
────というより、もはや髪が癖毛で白いだけのクリス。
「マ……マリィ……?」
俺の口から、自然と声が漏れていた。
恐れ、というよりも、畏れ。
かつて小さな身体で笑っていたあの子が、今や聖性を漂わせる“何か”へと変貌している。
誰よりも優しく、誰よりも臆病だった少女が──
「フェイ……」
俺の声に、彼女はただ振り返り、微笑む。
それは、懐かしい笑みだった。
けれど、"彼女"ではない。
もうそこにはあどけなさなど残っておらず、静かで、優しくて──そして、凛とした風格が漂っていた。
「クッ……」
吐息混じりに、声が漏れる。
視線の先。
悪魔の惨状を目の当たりにした、仮面の魔族──レイが、じりと後ずさっていた。
その無表情に見えた白い仮面に、確かに“揺らぎ”が走っている。
警戒も、敵意も、その全てを貫通して──“戦慄”という名の感情が、彼女の動きを縛っていた。
そして──
「……」
静かに一歩、マリィが踏み出す。
その瞬間、レイの肩がビクリと跳ねた。
まるで、視線一つに押し潰されるかのように。
すぐさま、彼女は掌を返して呪文の構文を走らせる。
「……《解除》」
地を踏みしめていた漆黒の巨体が、ぐにゃりと空気に溶けるように消えていく。
命令無き死霊剣士は、無抵抗のまま術式に従い、何もせずに虚空へと還った。
レイはそれを確認すると、即座に再び魔力を集中させる。
空間がきしみ、紫色の光が地に広がる。
「……クソっ! 逃げる気かっ!」
俺は歯噛みして、神威の剣を構え直した。
この後に及んで逃走かよ。
しかも仲間を置き去りにして──!?
まだ、こいつらの狙いも何も分かっていない。
このまま取り逃がすわけには──
「待って、フェイ! 追わないで!」
「────ッ!?」
その声に、心臓を掴まれたようだった。
鋭くも優しいマリィの声は、不思議と体の奥に染み渡る。
思わず振り向くと、彼女の側──黒く焦げた床の上には、依然として倒れ伏したロイド。
そうだ。
深追いしなくていい。
これ以上犠牲が出ては、ロイドがさらに危なくなるかもしれない。
レイが、仮面越しに俺を一瞥し──何も言わずに転移陣へ身を沈める。
そして、紫光が炸裂し、風と共に彼女の姿は掻き消えた。
逃がしてよかったものか……。
いや、よそう。
それよりもロイドだ。
レイの転移を確認しきると、俺は再びロイドの方へと駆け寄る。
マリィはすでにロイドのもとに歩み寄り、静かに膝をついていた。
「癒しの力よ……我が願いに応えたまえ」
小さな声が、そっと響く。
「慈しみの光よ、彼の者に降り注ぎ……苦しみを、癒し給え──『中級治癒魔術』」
マリィの手のひらから溢れる光は、柔らかく、けれど確かな熱を持っていた。
その光が、ロイドの血に濡れた胸元をそっと撫でるように包み込む。
破れた皮膚が再生し、折れた骨が音もなく元通りになり──血まみれだった顔が、まるで最初から何事もなかったかのように、美しく整っていった。
いや、美しく、というのはちょっと盛ったかもしれないが──ともかく、ちゃんと“イケメンロイドの顔”に戻っていた。
「治癒魔術!? マリィが!?」
思わず声が出た。
というか、出さずにはいられなかった。
だってそうだろう。
マリィは今まで一度だって魔術なんか使ったことがなかった。
旅の中で俺が使うことは何度かあったが、いつも見ているだけで、自分から魔力を練ることすら無かったというのに。
「う……」
マリィからの治癒を受け、ロイドが小さく呻いたかと思うと、そのままゆっくりと目を覚ます。
そのまぶたがわずかに震え、薄く開かれた瞳に、光が戻る。
「……ロイド!」
俺が声をかけるよりも早く、マリィが身を乗り出して呼びかけていた。
「大丈夫? ロイド……」
彼女の声音には、凛とした響きがあるのに、それでいてどこか、懐かしく、温かかった。
ロイドは視線をふらつかせながらも、うっすらと微笑む。
「……は……はい……ありがとう、ございます」
そのかすれた返答に、俺はようやく胸の奥に溜まっていた息を吐いた。
よかった──
全身の力が抜けそうだった。
戦闘の緊張でも、敵への怒りでもなく、この瞬間の安堵こそが、一番重たかったのかもしれない。
けれど──
「……って、……あれ?」
マリィを見たロイドが、急に動きを止めた。
「ん?」
マリィが小首をかしげる。
けれど、ロイドは言葉を詰まらせたまま、目を瞬かせ──固まっていた。
ああ、そうか。
そうだよな、その反応がまず来るよな。
今更になって、ようやく思い出した。
いろんなことが起こりすぎて、ツッコミを入れるタイミングを完全に失っていたけど──
マリィは今、先程の少女の姿ではなく、すっかり成長したレディになっている。
服が……小さい。
パツパツにも程がある。
腹は出てるし、胸は今にも零れそうだし、靴なんかいつ吹き飛んでしまったんだ?
「マリィ……お前また……その……」
言葉を選びながら、俺は震える指を伸ばす。
マリィはというと、やはりポカンとして首を傾げ──今度は反対方向に首をコテン。
「んん?」
そして、ようやく自分の姿に気づいたのか。
両手を見て、服のきつさに顔をしかめ──
「あっ」
小さく、短く、だけどすべてを悟ったような声。
服の裾を伸ばして引っ張っている。
だがフ◯ーザ軍の戦闘服というわけでもないので伸びるわけはない。
もともと少女体型用の服だ。
むしろどんどん、胸の谷間が際立って──あっ、おい、やめろ。
「……あ、あはは……大きくなった……みたい?」
頬を赤らめながら、ちょっとだけ肩をすぼめて、笑うマリィ。
……その姿は、確かに彼女だった。
それはもう、プレーリーにいた彼女と見間違うほどの姿で。