第百五十四話 「白き閃光」
「──────」
甲板の階段の上。
指揮者のように手を掲げて、謳うレイ。
そして──その前に立つ巨人が、不吉な音を立てて鳴動する。
彼女の声に呼応して、阿鼻叫喚の組曲が開始されるかのように。
奏者は魔族の女、楽器は巨人アンデッド──
「クソ……ッ! あと一歩だったってのに……」
俺の攻撃が──投げた剣も、転移での奇襲も、寸前でこの女に邪魔された。
マリィはまだ捕らえられたままだ。
立て、立て──立って戦うしかない。
ミランダさんも他の仲間も、みんな魚人に行手を阻まれている。
一体一体の質こそ大したものでもないが、いかんせん数が多い。
まるで、仕込まれたかのように、彼らは船に戻れない。
つまり、この状況をどうにかできるのは、俺しかいない。
「絶対に……助ける……ッ!」
俺の視線に気づいたのか、それともレイとやらの命令なのか、階段の上で俺に向き直るゾンビ兵。
その挙動は、人と言うより重機が旋回でもするような印象を受ける。
──死人は死人らしく腐っていろ。
こいつの存在とその在り方は、それだけで酷い歪みだ。
なにより、死者への冒涜が過ぎて、許容できない。
俺が一歩踏み出すと、それに合わせてゾンビ兵も階段から飛び降りた。
地響きすら伴う巨体。
おそらくパワーも桁外れに違いない。
だが──
「おおおぉぉォォ──ッ!!」
甲板を蹴り砕く勢いで疾走し、全身ごと砲弾と化して突進する。
「GI──ES──」
いける──あの巨体に速さ負けするとは思えない。
このまま一気に間合いを詰めて、上手くすれば一撃の元にその首を断ち切る。
走りながら瞬時に腕から刃と化した神威を振り上げて怪人へと振り下ろす。
刹那、腕に伝わるであろう斬首の感覚と勝利を確信していた俺は、しかし──
「なッ、にィ──!?」
まさしく雷速かと思わせるスピードで、怪人は俺に追い縋る。
コイツ、この図体で、あれだけの大剣を持ちながら、その上で俺の動きに付いてきやがる!?
驚愕は一瞬、しかし、即座に俺は決断した。
──退くな。
ここで下がれば押し切られる。
もはや、迎え撃つしか道は無い。
──ズシャァアアアアアッ!!
「ぐッ、が、ぁあああッ!!」
大上段から振り下ろされる鉄塊を、右腕の神威で受け止めた。
あれだけの大質量に加えて、この速度とこのパワー、こちらの神威が砕けなかったということが、すでに奇跡めいたことにすら思える。
一撃で両断されるのは避けたものの、衝撃そのものはもろに食らった。
俺を中心にして床が砕け、材木が陥没する。
もはや船の頑丈さの方が気になるレベルだ。
こいつと武器を打ち合わせるのは危険すぎる。
少なくとも、守勢に回ってこれ以上受け止められる自信はない。
だから……攻めて攻めて攻め抜いて、こいつに武器を振らせない──
「────オラァッ!!」
鍔迫り合いのまま押し込んでくる巨大な膂力を逸らし、身をひねって身体を躱す。
同時に、甲板の床を叩き割るような轟音が炸裂したが、その余波である爆風を利用して、怪人の巨体を飛び越えた。
──いけるぞ、今度は完全に頭上を取った。
奴に俺は見えていない。
確信する必勝。
だが──
「『石弾』」
「────ッ!!」
レイから放たれた石弾が、空中の俺の脚を貫いた。
当然、集中は途切れ、俺は怪人にトドメを刺せないまま、床に落ちる。
初級土魔術。
大した威力ではないし、神威を纏ってなかった部分とはいえ、軽微なダメージ。
しかし、そんな負傷より、俺の間抜けさに腹が立つ。
「………………」
レイが、仮面越しにこちらを見ている。
恐らく操者である彼女が俺を見ている限り、この怪人に死角などない。
故に、怪人に対してフェイントなど無意味。
たとえ頭上や背後に回ろうと、レイに見られていては意味がなかったのだ。
「GA……AA……ERRs……」
「…………あ?」
怪人が、あるのかもわからない口を動かし、呻くような声が漏れる。
なんだ、その声は。
聞かせるな、気持ち悪い。
死人は大人しく黙っていてくれ。
「ふーんっ! バッカなやつが、もう一人ね!」
空中では、悪魔が鼻で笑いながら、依然としてその腕にマリィがぶら下がっている。
小柄な身体がぐったりとし、意識は朦朧としているのか、うっすらと開いた瞼が風に揺れるだけだった。
「ふぇ……い……」
もはや風の囁きのような声。
──くそッ!
目の前の巨体は、集中できない俺に容赦なく剣を振り下ろす。
魔力を宿したその一撃は、地を砕き、空気を裂き、骨にまで響く重量と殺気を纏っていた。
「ぐ……ッああああああッ!!」
剣を交え、神威を凝縮させた力で受け止めるたび、腕が軋む。
骨が割れる音が、皮膚の内側で小さく弾ける。
仮面の女──レイが隙を突いてくる気配も、油断なく張りついていた。
──それでも俺の視線は、上から離さない。
マリィを、助ける。
このゾンビを倒せば届く。
この仮面女を振り切れば、救える。
それなのに。
「はぁ〜あ、拍子抜けってカンジ?」
軽やかな声が、空から降ってきた。
マリィを抱えた悪魔が、甲板に伏せたまま意識のないロイドに目を向ける。
「せっかく見逃してあげようと思ったのにぃ……」
にたりと、口の端を吊り上げる。
その掌に、再び暗紫の魔力が集まりはじめる。
先程よりも濃く、歪み、波打ち、熱を孕んで、空気を腐らせる。
──それは明らかに、明確な殺意を持った魔力だった。
「……やめ……やめて、そんなことをしたら……ロイドが……っ」
マリィが、震える声で懸命に呟く。
小さな手が、悪魔の腕をかきむしるように動く。
しかし、力が入らない。
もがくたびに、白く細い手足は虚しく揺れるだけで──決して届かない。
「あ〜ん? なぁに甘いこと言ってんのよ。コイツの攻撃だって弱かろうがアタシを殺そうとしてたよネ? でも、アタシが撃つのはナシってことぉ? それって、ひどいんじゃない? マリィちゃん」
「────ッ!?」
絶望的な返答に、マリィは返せない。
「やめて……」
かろうじで出た囁きは、風に溶けて消えていくだけだった。
ロイドは、動かない。
ただ倒れ伏し、何も答えない。
「ロイドォッ! 逃げろッ!!」
俺は叫ぶ。
喉が潰れようとも、声を張った。
アイツは弱い。
けれど、確かに繋いだんだ。
彼女たちの逃走を阻止するための、唯一の火球を。
あれがなければ、もう俺たちの誰にもチャンスはなかった。
だから──
「起きやがれッ……! これが終わったら言いたいことがあんだよ──ッ!!」
それ以上の言葉は出ない。
大剣が再び振り下ろされ、レイの拳が横合いから蹴り込まれる。
この場から離れることすら、許されない。
加えて、他の船員たちもまだ到達出来ていない。
無数のヴォドゥンの手下たちが、ミランダたちの邪魔のみを徹底している。
まるで、最初から狙いは足止めしか考えていないような──完璧な布陣。
悪魔が、甲板に伏せるロイドを見下ろし、楽しげな笑みを浮かべる。
「せっかく芽生えた反抗心も……この世の終わりで塗り潰してあげるわ」
小さく笑って、魔力の光を指先に灯す。
それは、先ほどレベッカさんに使用したものと同じ質の魔力。
瀕死の状態では耐えられない、命を奪う闇。
「テメェッ!! 邪魔なんだよッ!!」
目の前の怪人を押しのけようと奮闘するが、その力は神威を込めた俺と同等。
死んでるからなのか、疲れというものすら感じさせない。
故に、俺は動けないまま。
そしてロイドも……まだ動けない。
叫んでも届かない。
この距離では、もう間に合わない──
「さよーなら」
掌に収束した魔力が、牙を剥く。
言葉に覇気は無く、ただ殺すことが当然のように、ロイドを貫かんと吹き出す魔力。
死ぬのか? また?
俺の目の前で、人が。
二度とそんなことが起こらないように力を付けたつもりだった。
それでも足りなかったのか?
何を間違えた?
ふざけるな。ふざけるな。
「やめろォオオオオオッ──!!」
喉が裂けるほど叫んだ。
剣の衝撃と、怒りと、焦りと──全てが噛み合って絶叫に変わる。
そして、その俺の声と共鳴するかのように──
闇が、放たれる──その刹那。
「ロイドッ! ダメェエエエッ!!」
マリィが叫んだ。
そして──その小さな身体が、再び"あの時"と同じように、光となって爆ぜた。