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第百五十三話 「二つの仮面」

 ──ただ、走っていた。


 足を止めることなく、ただひたすら。

 足元から立ち上る海風が、皮膚を斬るように冷たい。

 船は遠く、まだ手が届かない。


 マリィ──。


 彼女が今、悪魔の腕に吊るされている。

 聞こえるはずがないのに、その呻き声は何度も俺の胸を締めつけていた。


「どけえええええッ!!」


 怒声と共に振り払った魚人の槍が宙を裂く。

 返す刃を神威で防ぎ、拳で一撃。

 だが、敵は無限に湧く。


 ──ガキィンッ!


 すぐ隣で火花が散る。

 ミランダさんの剣が、アンデッド海賊の刀を受け止めていた。

 鋼と鋼が噛み合い、互いの体重がぶつかり合う、重たい音。


「──ミランダさん!?」

「こっちはいい! 行って!!」


 彼女は、俺をマリィの元へ行かせるために、敵を請け負ってくれている。

 セロンさんも、先ほど俺のために道を切り開いてくれた。


 だが──

 それに応えなきゃ、だとか、期待を背負ってるだとか。


 そんな綺麗事を考える余裕はない。

 ただ、本能が叫んでいた。


 あそこにいる。俺の、大切な家族を助けなければ──


 守りたい。

 ただそれだけだった。


 だというのに──!


 船の上空。

 マリィの身体をぶら下げるようにして、あの忌々しい悪魔が空を舞う。

 その傍らには、無言の仮面の女。まるで死そのもののような気配をまとった魔族。


「クソッ……マリィを、どうする気だ……!」


 焦燥に喉が焼ける。

 あそこまで、遠い。


 奴らは瞬間的に現れた。

 海を濡らしてすらいない。

 つまり、去る時も何らかの方法で消える可能性が高い。

 マリィを連れたまま、俺の手の届かない場所へ!


「ク……ソォッ!!」


 先ほど、全力で神威を注いだ剣を投げたが届かなかった。

 白い仮面の女が、まるで未来を予知したかのように、刹那の間に軌道へ割り込んだのだ。


「……誰か……誰でもいいから……!」


 叫ぶしかなかった。

 俺ではもう、あそこへ届かない。

 この手では、マリィを掴めない。


「誰か──マリィを助けてくれッ!!」


 ──瞬間。


「『火球(ファイヤーボール)』ッ!!」


 船上から、鋭い詠唱が飛ぶ。

 次の瞬間、真っ直ぐに放たれた火球が、空に一閃の赤を走らせた。


 ──ドンッ!


 炸裂。


 火花が悪魔の頬を掠め、広がった爆風に魔力陣がねじれ、光が消える。

 ダメージこそあまり無いようだが、彼女の詠唱は中断されたのだ。


「だ、誰だ!?」


 視線を上げた俺の目に飛び込んできたのは──震える手から硝煙を上げるロイドの姿。


 ロイドが……撃ったのか……?


 あれほど怯えて、動けずにいたはずの男が。

 肩を震わせながら、それでも真っ直ぐに悪魔を睨みつけていた。


「……そ、その子から、手を……離せッ!!」


 叫び。

 声が震えていても、目は逸らしていない。


 だが──ナイスだ。


 お前が繋いだ。

 これで奴らの転移は、仕切り直しになる。


「雑魚がッ! 調子に乗るなあああああッ!!」


 悪魔が金切り声と共に、影のような魔術を撃ち出しす。

 黒い波が針のように鋭く、一直線に──ロイドを穿つ。


「ぐぁぁアアアッ!!?」

「ロイドッ!?」


 ロイドの身体が吹き飛び、柱に叩きつけられた。


「ぐ……ぅ……」


 よかった、死んではいないようだ。

 意識は薄れているが、まだ……!


「バカがッ! 大人しくしてれば命だけは助かったものをッ!!」


 悪魔の怒号が、空に木霊する。

 再び彼女の掌に、魔力が凝縮されていく。


 ロイドの決死の一撃は、確かにこの状況の中で、唯一の楔となった。

 マリィを連れ去るための転移魔術を中断させ──今この瞬間、敵の計画は一瞬だが崩れた。


 けれど、状況は尚、最悪の事態から抜け出せていない。

 それどころか、今度はロイドまでもピンチに陥った。


 マリィもまだ敵の手の中。

 空を舞う二人の魔族は、いまなお優位の高所からロイドを見下ろしている。


 焦りに喉が焼ける。


 だが──


 …………いや、待てよ?

 ………………転移魔術?


 俺の中で、何かがカチリと噛み合った。


 そうだ。

 俺も使えるじゃないか、転移魔術を。

 クソ、パニクってて完全に忘れてたっ!


転移魔術(オリナス)ッ!!」


 魔力の光が瞬時に身体をを包む。


 目指すは、空中。奴らの背後。

 狙いは正確だった。


 次の瞬間、俺の身体は空を切る。


 空間が捻じれ、俺は転移する。

 神威を纏ったまま、重力に引かれるようにして落下。

 狙いは、あの悪魔の──その喉元!


「うおおおおおおおッ!!」


 重力加速を乗せた渾身の一撃。

 拳を神威で覆い、空気を裂いて落ちる。

 だが──


「────!」


 その瞬間、視界に割り込んできたのは、またしても白い仮面。


「っ……!?」


 目立った藍髪を靡かせているくせに、まるで気配が無い。


「ッぐ──おおおっ!?」


 強烈な蹴撃が、腹にめり込む。

 そのまま俺の身体は、船へ向けて叩き落とされる。


「レイ姉っ! 離れたら『飛翔』が!」


 上空から、悪魔が叫んだ。

 なるほど、俺という邪魔を排除するためにわざわざ降りてきてくれたのね。


 しかし、レイという名前。

 聞き覚えがある。

 確か、どこかで──


「……ちっ」


 そのレイが、舌打ちをする。


 瞬間、流れるような拳の連打。

 まるで弾丸のように精密な連打が、暴風のように押し寄せてきた。


「ぐっ、ああああッ!!」


 甲板が崩れ、脇腹から背中までが焼けるように痛む。

 何枚もの板を割り、船体に大穴を開ける勢いで吹き飛ばされた。


 だが、まだだ。


「くそっ……!」


 それでも、俺は耐える。

 一撃ずつ、拳で受け、半身を躱し、神威で流す。


 いける……っ!


 この女、たしかに強い。

 だが、かつてのヴェインやザミエラほどではない。

 俺でも十分に渡り合える。


「くらいやがれッ!!」


 神威を凝縮した、必殺の斬撃。

 先程の投擲も全力だったが、距離が違えば威力も違う。

 正面からのぶつかり合いなら、俺の方が上だ。


 しかし、その全力の一撃は──


「『血呪・死ノ仮面(ラルワ・モルティス)』」


 仮面の女の手から別の仮面が投げ出されたと同時に、小さな呟き。


「──なっ!?」


 瞬間、闇が爆発した。


「──────ッ!?」


 仮面から身体が生えてくる。


 おかしな表現極まりないが、目の前で起こっている現象をありのままに説明すればそうとしか言いようがない。

 腕が、脚が、胴体が。

 仮面の内から出すように、ほんの一瞬で出現していた。


 今や、仮面の敵は一人じゃなくなった。


 仮面の女。

 彼女の傍に佇むのは、ゆうに二メートルを超える巨躯の怪人。

 太い筋肉の束で覆われたその肉体は、岩石でも思わせる。


 そしてその手には、巨大な大剣。


「ぐッ──!?」


 レイに向けて振り下ろした剣が、硬質な一撃で弾かれる。


「なんだ──ッ!?」


 召喚魔術か!?

 くそッ、そんな使い手がいたとは……。


 魔術の中でも稀有な体系。

 召喚対象となる存在を事前に封印媒体に格納し、任意のタイミングで解放する──戦闘における即応性を最大限に高めた、特化型の魔術。



 現れたのは──漆黒のアンデッド剣士。


 禍々しき気配が、一気に戦場を塗り替えた。


 その巨躯は、常識的な人体構造の限界を明らかに超えている。全身に巻きつく筋繊維は膨れ上がり、破裂寸前の縄のように蠢いていた。

 背には巨大な──否、“大剣”と呼ぶにはあまりに異質な“質量の塊”を抱え、爛れた黒の鎧に包まれたその存在は、あきらかに“ただのアンデッド”ではない。


 頭部には禍々しい銀の仮面、そしてその上から深々とフードをかぶっていた。

 まるで、その内側にある異形の姿でも隠すように──


「……なんだよ……流行ってんのかよ、仮面……」


 思わず呟いた声は、海風にかき消された。


 無言。

 相変わらず、白い仮面の女──レイは召喚の構文以外は何も喋らない。


 状況は悪化の一途を辿っていた。


 二体一。

 背後には無口な仮面女、正面には仮面を被った漆黒の巨躯。

 攻守のバランスは最悪、マリィはまだ敵の手の中だ。


 ──転移による俺の奇襲は、完全に失敗した。

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