第百五十二話 「後悔の方が、ずっと怖い」【ロイド視点】
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148話の最後を1000文字ほど加筆しました。 6/19 18時ごろ。
主に、レイの能力と過去の仄めかし程度です。
レイ姉気になるゥ! という方はお読みいただけると幸いですッ(礼)
なお、わざわざ読み返さなくても辻褄が合わないとかにはならないため、ご安心ください。
失礼しましたッ!!
──その声は、空間を貫いた。
「マリィィイイイイイッッ!!」
遥か後方、氷塊の彼方。
先程の悪魔が放った魔術の音で気づいたのだろう──フェイクラントさんの怒声が、まるで雷鳴のように俺の鼓膜を叩いた。
その瞳は、今にも血の涙を流しそうなほどに剥き出しで。
手にした剣は、怒りに共鳴するように淡く光を帯びていた。
出会った時から優しさに溢れていて、それでいて親しみやすかった彼からは考えられないほどの怒りに、声が震えていた。
「マリィをッ、返せッ──!」
瞬間、彼は剣を──投げる。
ただの投擲なのに、風を裂く咆哮。
金属の閃光が、稲妻のように空を走る。
それはもはや、“矢”だった。
人の手で放ったとは思えない、高速の質量が、そのまま空気を貫いて悪魔の首元へと一直線に殺到する。
一直線に、悪魔の首元を貫かんと疾駆する、死の宣告。
──速い。
空気が置き去りにされ、音が遅れて届くほどの速度。
悪魔の笑顔が凍りついたのが分かった。
だが、もう間に合わない。
悪魔の腕はマリィちゃんを掴んだまま。
魔力を練る暇も、逃げる猶予も──
「バカなっ……!? あんな距離から……っ!」
悪魔が驚愕の声を漏らす。
目を見開くマリィちゃんの顔には、痛みと怯え、そして──安堵が混ざっていた。
「フェ……イ……」
掠れた、小さな声。
縋るような、かすかな祈り。
いける──この一撃が届けば、彼女は、助かる。
俺は何もしなくていい。
その方が成功する──
そう、思ったその刹那だった。
──ガキィインッ!
硬質な音が、空気を断ち切った。
「……っ!?」
信じられなかった。
剣が、それた。
軌道が、弾かれた。
その衝撃と共に、フェイクラントさんの剣は空を裂きながら遠方へ弾き飛ばされる。
「なっ!?」
割り込んできたのは──白い仮面を付けた藍髪の女の魔族。
気配すら感じなかった。
誰もが息を呑む。
「あはっ! さすがレイ……むぐぉ──っ!?」
調子に乗って口を開いたブリジットの顔が、ぐしゃりと押し潰される。
仮面の魔族が無言のままその口を覆い、そのまま押しつけるように黙らせたのだ。
彼女の纏う空気は冷たく、感情の揺れなど微塵もない。
「そ、そんな……」
──恐らく、あれが最後だった。
フェイクラントさんが放った、怒りと願いとすべてを込めた渾身の一撃。
マリィちゃんを救い出す、唯一の可能性。
それが──弾かれた。
「ぷはっ、もぉ、なんなんですか〜。あ、名前言っちゃまずかったですかっ!?」
軽薄な声音が、霧散しかけた希望をあざ笑うように弾ける。
声の主──あの小さな悪魔のような少女が、口元に手を当てて肩をすくめている。
無言のまま、仮面の女がその顎を掴み、無造作に押し潰すように黙らせる。
軽く噛みつくような仕草にすら感情の起伏はない。
「……まぁ、いいですけどっ。任務は果たされましたし、帰りましょっかぁ!」
口元を擦りながら悪魔が魔術陣を展開する。
足元に広がる紫光が、霧の海を照らす。
その輝きと共に、彼女と仮面の女は、ゆっくりと宙へと浮かび上がっていった。
高度が増す度に──ますます絶望を濃くする。
「……もう、届かない……」
誰の呟きでもない。
俺の、心の音だった。
周囲は、混乱の極み。
船長は遥か彼方、なおもヴォドゥンとの激戦を続けている。
副船長のミランダさんは、フェイクラントさんを援護するために複数の魔物を一手に引き受けていた。
そして、そのフェイクラントの一撃も虚しく──彼は、剣を失って尚も走り続けている。
全員の手が、届かない。
あの空の彼女たちに向けられる術が、もう──ない。
ただ、ひとり。
甲板に残された俺以外は──。
「やめて……っ!」
かすれた声が、風に揺れた。
空中に吊られたマリィちゃんが、弱々しくも懸命に抵抗の意志を示す。
白く小さな手が、悪魔の指をかきむしるように動くが──その力は、あまりにも儚かった。
俺は、何もできずに立ち尽くしている。
頭の中は、真っ白だった。
目の前で、少女が連れ去られようとしているというのに。
全員が俺に向かって「何かしろ」と叫んでいるのに。
けど、どうすればいい?
どうしたら、助けられるんだ?
わからない。そんな力、俺にはない。
マリィちゃんは、ずっと俺を助けてくれたのに。
俺の情けない姿を、何も言わずに受け入れて、船で守ってくれたのに。
なのに、俺は──
『役に立たないゴミが』
あの悪魔の言葉が、脳内にこびりついて離れない。
そうだ。
俺はずっと、そういう存在だった。
誰かに期待されたことなんて、一度だってなかった。
笑われて、無視されて、バカにされて──それが、俺だった。
父からも「冒険者には向いてない」と断言され、同級生からも「落ちこぼれ」と嘲笑された。
現実、その通りだし、否定できる言葉もない。
現に今、奴らは俺を見ていない。
空中に浮かぶその姿は、明らかに俺に背を向けていた。
警戒するに値しない羽虫のように、俺が何もしないと信じ切っている。
悪魔は満足そうに笑い、仮面の女は警戒もせず、ただ静かに転移の詠唱を続けるのみ。
あれが唱えられてしまったら、今度こそ本当に手詰まりだろう。
そして、俺に出来ることは無い。
このまま、終わりを見届けるだけだ。
だったら──
「なんで、俺……」
──手に、魔力を込めてるんだよ。
膝が震える。
呼吸が浅くなる。
馬鹿だ。俺に何ができるっていうんだ。
火球なんて、せいぜい敵の注意を引く程度。
ましてや、相手は悪魔で、しかももう詠唱が終わりかけている。
でも、それでも。
あの日、炎を灯せた時、俺は──少しだけ誇らしかった。
何の才能もない自分が、ようやく掴んだ、小さな光。
あれだけは、確かに“俺の力”だった。
だから。
今この瞬間、俺にできる唯一のことが、それなら。
もう、迷わない。
「……燃え滾る力よ……」
震える声で、呪文を紡ぐ。
「俺の──願いに、応えてくれ」
──マリィちゃんを、助けたい。
彼女は、俺よりもずっと冒険者だった。
勇気があって、優しくて、誰かのために体を張って──
そうだよ。
あんな子が、連れていかれてたまるか。
「燃え滾る力よ、我が前に集いて顕現せよ──《火球》ッ!!」
掌に宿った炎が、叫びと共に弾けた。
──閃光。
小さな火球は、空を裂いて駆けた。
拙いそれは、威力も速度も大したことはない。
でも──
「グっ!?」
火球が、悪魔の頬をかすめて炸裂する。
直接の命中ではない。
けれど、魔力の軌道が狂った。
足元の転移陣が、バチッと音を立てて歪む。
敵の詠唱が──破れた。
「……あん?」
悪魔がゆっくりと、こちらへ振り返る。
その目は、初めて俺を“敵として認識していた”。
身体がガタガタと震える。
今にもへたり込みそうだ。
けれど、それでも──
「……そ、その子から、手を……離せッ!!」
喉が裂けそうになるほどの叫び。
俺に、彼女を助ける力は無い。
本当は全部投げ出して逃げたいほどに怖い。
でも、今は──
それ以上に、それをした自分にのしかかる後悔のほうが、ずっと怖かった。