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第百五十一話 「役に立たないゴミ」【ロイド視点】

 ──俺は、何をやっているんだろう。


 足が動かない。

 手が震える。

 呼吸すら、まともにできていない。


 中央の氷塊では、クロード船長とあの怪物──ヴォドゥンが激突している。

 船長がお返しに放った三叉の槍を、ヴォドゥンが氷のブレスで軌道を変えながら逸らした。

 俺からしたら神話の一節だ。

 ただの人族が、この海域の王と互角に渡り合っている。


 ──ドォォンッ!!


 船の側面で、再び爆音が響いた。

 副船長ミランダさん、セロンさん、そしてフェイクラントさんがいる場所だ。

 飛び交う魔力、立ち上る煙。

 それでも尚、次々と襲いかかる魔物たちを前に、彼らは抗い続けている。


 反対側では、ガリユさんとルーフスさん。

 魔物の中でも打撃に強いスライム相手に、殴って蹴って、粉々にする。

 あれが可能な戦法とは、到底思えないのに、彼らは平然とやってのける。


 本来俺が守るはずだった場所に、俺の姿は──ない。


「「『氷柱(アイスニードル)』ッ!」」

「ちょっと、あっぶないわね! 『火球(ファイヤーボール)』!」


 甲板の上。

 レベッカさんが、敵の魔術兵たちの攻撃を迎撃している。


 絶え間なく放たれる魔術の応酬。

 その全てを彼女は、たった一人で受け止めていた。


「『氷柱(アイスニードル)ッ』!」

「っ……めんどくさいやつね……っ、間に合わない!」


 レベッカさんの眉間に、焦りの色が走る。

 魔術の打ち合いだけでも限界だ。


 それに加え、船に取りつこうとする魔物まで捌かねばならないとなれば──彼女ひとりでは、到底持ちこたえられない。


「ロイド! 中央、入ったわよ!!」

「ひぃっ!?」


 絶叫のような声と共に、甲板の縁に、濡れた手が掛かる。

 塩気と粘液にまみれたそれは、まごうことなき魔物のものだった。


 俺の喉がひゅっと縮まり、息が詰まる。


「ロイドッ!!」


 レベッカさんの声が、遠くから飛んできた。


 でも──

 どうしたらいい?


 戦わなきゃいけない。

 このままじゃ、殺されるだけだって分かってる。


 分かってるのに、動けない。


「はっ……はぁっ……」


 手足が、まるで自分のものでないみたいだ。

 魔術……どうやって詠唱するんだっけ。

 呪文、詠唱、詠唱順序……頭の中がぐちゃぐちゃに混ざって、何も出てこない。


 早く、早くしなきゃいけないのに。

 登ってきた魔物が、完全に甲板へ上がってしまったら、もう初級魔術じゃ止められない。


 それでも、俺の心が一歩も進まない。


 ──その時。


「まかせてっ!!」


 明るい声と共に、小さな影が横を駆け抜けた。


「ほいっ! ほいっと!」

「ギョッ!?」

「ギャウウッ!!」


 登ってきた魔物の顔面を、両手で押さえつけるようにして、マリィちゃんが──その小さな手で、甲板の外へ放り投げていく。


 一体、また一体。

 肩で風を切るようにして、魔物たちを振り払いながら跳ねるように動く。


「すごいわっ! マリィちゃん!」

「むふんっ!」


 レベッカさんの歓声に、誇らしげに胸を張るマリィちゃん。


 その光景を、俺はただ、柱の影から眺めているだけだった。

 膝を抱えて、視線を上げることもできずに。


 ──本当に何をやってるんだ、俺は。


 あんな、俺よりも若い女の子に守られて……。

 柱の影に隠れたままで、震えることしか出来ない。

 自分は男で、冒険者で、誰かを救いたくて、この船に乗ったはずなのに。


 情けない。

 悔しい。

 惨めだ。


 頭を抱えたまま、心が叫び出す。


『息子よぉ!! お前は冒険者には向いとらん!!』


 父の声が、記憶の奥から響いた。

 剣も振れない。

 魔術の才能もあるわけじゃない。

 仕事の手伝いすら嫌って、何一つ身につけられなかった俺に、父はそう言った。


 ──でも、それでも、生まれ変わりたいと思った。

 生まれ変わろうと決意して、この船に乗ったはずなのに……。


「マリィちゃん! 次もお願いね! 合図するから!」

「うんっ! まかせて、レベッカ!」


 あの二人の声が、耳に刺さる。

 もう、誰も俺に指示なんて出さない。

 俺はもう、そこにいないものとして扱われている。

 それが、当たり前だ。


 命のやり取りをしているのに、何もできない俺なんかを──誰が、期待なんかする?


 結局、俺はダメなやつだ。

 どうしようもなく、臆病で、無力で、口だけが達者で──


 “俺は変われる”なんて、幻想だったのかもしれない。


 ──もういい。


 どう足掻いたって、俺は駄目なんだ。

 このまま黙って過ごそう。

 誰にも気づかれず、ただ波と時間に流されていけばいい。

 ここでヤケになって突っ込んで、それで死んだ方が足手まといだ。

 無様な末路を晒すより、せめて誰にも迷惑かけずに──


 ──そう、思ったその瞬間だった。


「きゃっ!?」

「マリィちゃんッ!?」


 甲板に走る、甲高い悲鳴と、乾いた衝撃音。

 反射的に視線を向ける。視界の端、マリィちゃんの姿が跳ね飛ばされるように宙へと浮かび──


「……え?」


 そこに立っていたのは、こんな海域に生息しているハズのない、少女の姿をした“何か”だった。


 白磁のように滑らかな肌。

 愛らしい顔立ち。

 ぱっちりとした瞳と、小さな角。

 けれど、その表情は──あまりにも愉悦に歪んでいた。


「あはっ! つーかまーえたぁ〜!」


 その細い腕が、マリィちゃんの襟首をひょいと掴み上げる。


「は、離してッ!」

「やぁよ?」


 マリィちゃんは両手足をバタバタと振って必死に抵抗するが──届かない。

 脚も、腕も、ほんの数センチ届かない。

 マリィちゃんの力は、ぶら下げられたことで完全に封じられていた。


「なっ……!? おい、なんだアレは……! いつからそこにいたッ!?」


 叫んだのは、反対側の戦線にいたルーフスさんだった。

 音と気配の異常に、真っ先に気づいたのだろう。

 焦ったように、こちらへ駆け寄ってくる。


「おい! レベッカ!」

「分かってる!!」


 レベッカさんが、即座に魔術陣を展開する。

 足元から浮かび上がる赤い魔紋、口元が動き──


「《紅蓮(クリムゾン)──》」

「はいっ、邪魔しないの〜」


 悪魔の笑顔が、にこりと崩れた。


 その瞬間、地面そのものが泣き声を上げるような異音を響かせた。


「《虚穿の邪眼(トゥルサ・アイ)》」


 ──黒。

 深淵を抽出したような、黒い火花。


 視界が歪んだと思った時には、レベッカさんの魔術は断裂していた。

 空間ごと引き裂かれたかのように、破裂音と共に魔術が弾け、逆流する魔力の衝撃波が甲板を叩きつける。


「──ッぐぁあっ……!!」


 レベッカさんの身体が、吹き飛ぶように宙を舞う。

 船縁に叩きつけられ、意識を失ったように崩れ落ちた。


「れ、レベッカさん……ッ!?」


 悪魔に掴まれたままのマリィちゃんも、魔力の余波を受け、ぶるりと身体を震わせていた。


「あ……ッ……ぐっ……」


 全身が痺れているのか、ぐったりと力が抜けたように垂れ下がる。

 けれど、悪魔の手は微動だにせず、まるで笑いながらマリィちゃんを吊るしている。


 ──なんだ、今の……!?


 ……次元が違う。

 比較的ウチで魔術に抵抗があるはずのレベッカさんが一撃でやられた。

 マリィちゃんも、完全に無力化された。


「ぐっ……。オイ!! ロイド!!」


 ルーフスさんの怒鳴り声が飛んでくる。

 敵兵を薙ぎ倒しながら走り、歯を剥き出しにして怒鳴ってくる。


「どうにかしろ!! こっちも手一杯だ!!」


 ……だけど。


 俺は、動けなかった。


 膝が震え、心が凍る。

 空気が薄い。

 息ができない。

 まるで、自分だけが時間から外れてしまったような感覚。


 こわい……こわい、こわい、こわい……。


 頭の中で警報が鳴る。

 この“少女”は、普通じゃない。

 人じゃない。

 魔物ですらない。


 もっと根源的な部分にある、“異常”。


「あははっ……ふーん、なるほどなるほど」


 全く動けない俺を見て、面白そうに悪魔は笑う。

 くすりと微笑み、ため息をひとつ。


 そして──


「……どこの世界にもいるのよねぇ……“役に立たないゴミ”って」


 ──突き刺さる。


 声が軽いのに、耳の奥が裂けそうだった。

 心の最も脆いところをピンポイントで突かれた衝撃。

 否定できなかった。


 そんな言葉──俺が一番理解している。

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