第百五十話 「落ちこぼれ」【ロイド視点】
俺は、西方大陸の街──ラドランで生まれ育った。
灰色の石畳と濁った空気。
いつもどこか煤けていて、風が吹けば煉瓦の欠片が転がるような、けれどその構造は迷路のように複雑な街。
ラドランでは、魔物という存在が“汚れ”そのもののように忌み嫌われていた。
実際、侵入しにくいこの街に魔物が入ってくることは俺の知っている限りはなかった。
そういう意味じゃ、安全で、平和で──
けど、息が詰まる場所だった。
俺の家は街の外れ。
半ば崩れかけた屋敷のような建物で、常に“何か”が腐ったような匂いが漂っていた。
理由は単純だ。
俺の父が、魔法薬──というか、薬全般の研究者だったからだ。
その薬の材料たるや、獣の骨や乾燥させた血、発酵した茸やら、時には魔物の排泄物まで使う。
そんな匂いが町中に立ちこめれば、近寄る者なんていない。
当然、そんなところに住む俺に友達なんてできるはずがなかった。
でも──
俺の家には、他のどの家にもない“財産”があった。
本だ。
壁一面の本棚。
床に山積みの紙束。
机の上に転がる開きっぱなしの魔術書に、製本もされていない研究ノートの山。
父の仕事柄だろう。家の中は、まるで図書館だった。
俺にとって──本は、唯一の友達だった。
魔術の理論書。
古代文字の解読書。
薬草学、人工魔術論、錬金術。
それだけじゃない。
父の趣味だろうか、子供向けの英雄譚や、冒険者の逸話集まで混ざっていた。
魔術と剣の力を併せ持つ能力を持つ女剣士。
ドラゴンと共に風を操り、空を自由に駆け回った双子。
いくつもの古代魔術を自在に操った魔術師──
彼らの物語を、俺は何度も何度も読み返した。
──気づけば、魔術の真似事をするようになっていた。
誰にも見られないよう、庭の隅で、小さな初級魔術を練習して。
毎日少しずつ、“冒険者”という夢に近づいている気がした。
家にこもってるだけの俺でも、魔術ならきっと──
そう信じていた。
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……ある日。
「燃え滾る力よ、我が前に集いて顕現せよ──『火球』!」
庭先で詠唱を終え、小さな火球が空中に灯る。
ほんの一瞬でも、それが嬉しかった。
──その瞬間。
「ふむ……火系初級魔術か?」
後ろから、やたらテンションの高い声が飛んできた。
慌てて振り返ると、白髪を逆立てた老人──父が、満面の笑みで俺を見ていた。
「父さん……!? こ、これは、その……!」
ばれた──!
魔術をやってること、絶対怒られると思っていた。
けど。
「悪くないな。お前の総魔力量は決して高くないが、制御や基礎は理解しておる。頭だけはいいのぉ。実践向きじゃないが、魔術に興味を持ってくれていたかァッ!」
「え……?」
なぜかノリノリで、父は俺の肩をがっしり掴んだ。
それからは、俺が冒険者になりたいと言っても「向いてない」だの、「研究者の方が向いている」の言葉しか、父は言わなかった。
それが、悔しかった。
確かに、俺に力はあまりないし、剣士とかは向いていないかもしれない。
魔術だって、ずっと本に齧り付いている割には初級でいっぱいいっぱいだし、『実践向きじゃない』と言われても仕方ないのかもしれない。
でも、俺の心は、どうしても本の英雄達に憧れていた。
---
俺は父に反対されながらも、内緒でお金を貯めて、家を飛び出し、ラドランよりも栄えている港町・グランティスにて、魔術学校に入学した。
けれど、周りのレベルについていくことが出来ず、同級生にも関わることも出来ず、「お前には才能が無い」「落ちこぼれだ」と言われる毎日は変わらなかった。
「お前が冒険者なんかになれたら、俺は国王になれてるっつの!! ぎゃはははっ!!」
「…………」
何より辛かったのは、冒険者になるという自分の夢を笑われ、バカにされたことだった。
悔しかった、悔しいから頑張った。
でもいくら頑張っても成績は伸びることもなく、実力もつかなかった。
生活費と学費を稼ぐバイトでは、要領の悪さから皿を割り、客の文句を買い、雇い主に怒鳴られて、やがてクビを宣告された。
なんの援助もない。支えてくれる人もいない。
とうとう、魔術学校に通う金も尽きた。
──終わった、と思った。
俺は夢を叶えるどころか、夢の土台すら積み上げられないまま終わったんだ。
……でも、帰るわけにはいかなかった。
自分から逃げ出したくせに、何もかも上手くいかないからって再び父の前に立つなんて、想像しただけで吐き気がした。
失意のまま、俺は流れ着いた先で──また別のギルドに併設された酒場の仕事に就いた。
冒険者たちが武勇伝を語り、酔って殴り合い、時に女を連れて騒ぐ場所。
憧れの残り香だけが漂う、その空間で。
……そんなある日だった。
カウンターに座ったひとりの男。
年の頃は俺より少し上くらいか、いや、もっと上か。
だが、肩幅と腕の太さ、それに背中の張りだけで「鍛え抜かれた冒険者」だとすぐに分かった。
彼は、俺が差し出したグラスを涎を垂らしながら受け取り──そして、微笑んだ。
「おお、ありがとな。もらうよ」
その言葉に、なぜだか胸の奥が締めつけられた。
トレイをガタガタに振るわせながら持ってくる俺の酒を取る客は、今までいなかったからかもしれない。
今回も、震える手で注いだ酒は、きっとぬるくて、泡も飛んでいたと思う。
それでも彼は、嫌な顔ひとつせず、黙って飲み干してくれた。
なんの変哲もない、ほんのそれだけのことなのに。
まるで、自分の存在を少しだけ肯定された気がして、涙が出そうになった。
彼には、どこか妙な親しみがあった。
格好いいし、腕っぷしも明らかに俺とは桁違いだけど、それでも何故か「同じ地平」にいる気がした。
そして、その後──事件は起こった。
酔った勢いとはいえ、グランティスでも知らぬ者はいない“キャプテンクロード”の一団と、ならず者の代表格ジルベール一味が、真っ向からぶつかり合った。
激突。破壊。喧騒。
酒場の壁は崩れ、テーブルが吹き飛び、叫び声が街路にまで響いた。
地面に伏す人、逃げ惑う客、泣き叫ぶ子供──阿鼻叫喚だった。
だけど、その混乱の渦中で。
あの人は、いた。
誰に命じられたわけでもなく、誰に誇るわけでもなく。
飛んできた破片を叩き落とし、倒れた老人を背負って運び、斬撃の余波を片手で受け止めた。
“その目には、ちゃんと人が映っていた”。
俺には到底できないことを、あたりまえのようにしていた。
きっと、彼の視点からしてみれば、語る必要もないような、ごく当たり前のことなのだろう。
けれど、俺から見た彼は、格好良かった。
……心から、そう思った。
そして同時に、燃え尽きていたはずの俺の心に、もう一度だけ灯がともった。
どうせ俺の人生は失敗ばかりだった。
なら、最後にもう一回だけ、賭けてみてもいいじゃないか。
ガタガタに震えながらも、俺はそのままクロードの一団を追いかけた。
道端に倒れそうになりながら、足に血豆をこさえて、歯を食いしばって──
何度も、何度も頭を下げた。
笑われるかと思った。
また、“不必要”と蔑まれるかと思った。
でも──
「……まぁ、とりあえず仮メンバーね。役に立たなかったら、即クビ」
恐ろしい一言だったが、俺は再びチャンスを掴んだ。
こうして俺は、“落ちこぼれの元魔術学生”から、“キャプテンクロードの一団”──
最前線の冒険者集団の末席へと、足を踏み入れることになったのだ。
八十四話の彼でしたっ!
わかり……づらい……?
ごめんなさあああい!!