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第百四十八話 「魔王猊下の狙い」【三人称視点】

 数週前──魔界


 城の内部で、金糸のごとく艶やかな髪が撫でる。

 灼けるような魔素の渦巻く空の下、静かに佇むその男の姿は、さながら神罰の使徒であった。


 煌罪の魔王ロータス。


 光にも似た輝きを放つ金の髪と、氷のように透徹した蒼の瞳を持つ男。

 美しさと神性、そして残酷さを同時に備えた存在。


 その姿に、かつての『偽神父』としての笑みは無い。

 彼は、大魔王の波動を受けた日より、己がすべきことを模索していた。


 ──大魔王の鼓動。

 永き封印の果てに、ついに胎動を始めた絶対の理。

 それは選ばれし四魔王に与えられた啓示であり、命令であり、宿命である。


(エルジーナ、ヴェイン、ザミエラ……そして私)


 封印を解くためには、我ら四柱の魔王の祈りが必要。

 形式的な“祈祷”ではない。

 これは、世界の根幹を揺るがす意志の同調だ。

 そのための“器”として、アステリア大陸に塔を建造させている。


 大魔王再臨の祭壇──それが、あの塔の真なる正体だ。


 ロータスは、足元に揺らめく血の魔炎を睥睨した。

 燃え残った骨と、捧げられた供物の残骸がそこにあった。

 先刻、カールバートでの戦死者を、“贄”として捧げたばかりである。


 あの戦闘では、どうやら敗戦を余儀なくされたが、死骸が出来るのなら結構。

 敵であれ味方であれ、その魂は漏れなく神への供物となる。


「……美しいですね……ただ、魂すら計算に含められぬ存在に、価値はほとんど無い……」


 誰に語るでもなく、低く囁く。

 その言葉一つ一つに、神を模した“偽の慈悲”が染み込んでいた。


 ──だが。


 それでも、エネルギーはまだ足りていない。


 幾千の命を刈り取っても、起動には届かぬ。

 それほどに、大魔王という存在は、世界の全てを代償とするほどに重いのだ。


(このままでは……普通にセシリアの解印を待った方が早いくらいですね……)


 だが、待っていられぬ。


 ──私には、知がある。

 他の三人にはない、“智慧”という名の牙が。


 そして、神の波動を受けし日より、救いにも歪みの存在を知った。


 女神の写身。

 神威を覚醒させたという女神の力を、自らの身に宿した少女。


(ふふ……女神の生まれ変わりでは? と適当に質問してみたが、まさか当たっていたとは……)


 酔狂だ。

 己が愚かさすら笑える。

 だが、逆に言えば──今ようやく、“狙い”を定めることができた。


 塔の代償をすべて埋める可能性すらある、世界から外れた存在。


 その少女の名は──たしか、マリィ。

 ロータスは、傍らの漆黒の水晶へと手を伸ばす。

 魔素が波紋を描き、水晶の奥に映るのは、沈黙を保つ一人の女。


 レイ・シルヴァリア。

 〈銀氷の魔姫〉と呼ばれたかつての聖女にして、今や魔族としてロータスに仕える腹心。


 その整った顔立ちは冷や汗に濡れ、俯いたまま一言も発しない。


「私の言葉は……理解していますね、レイ?」


 甘やかすような声色。

 けれど、そこに含まれた“圧”は、大気を裂くほどに鋭利だった。


 レイの肩がびくりと震える。


「……は……はい……ロータス様」

「シュヴェルツで会った、あの少女──マリィ。理からはみ出したあの存在を……この魔界へ連れてきなさい」


 ロータスは一歩、水晶へと近づいた。

 圧倒的な威圧感が、水晶の向こうの空間すら揺らがせる。


 レイは唇を噛みながら、必死に膝をつく。


「……承知しました。ですが……彼女の力は、私の手に余る可能性も──」

「“可能性”など聞いていない。あなたにできなければ──他の手段を取るだけのこと」


 静かな声が、心の臓を締め上げる。


 そこへ、もう一つの水晶が宙に浮かぶように起動した。


『およびで〜すか〜、ロータスさまぁ〜!?』


 陽気で高く跳ねる声。

 画面の奥から覗き込んできたのは、白く整った顔立ちに、大きな瞳とリボンのような角を備えた、幼い少女の姿。


 ──否。

 その実態は、幾千の魂を喰らい、遊ぶように人間を壊す悪魔。

 “夢喰いのブリジット”。


「ブリジット。君をレイの部下として同行させる。あの少女を確実にここへ。やれますね?」

『っしゃーっ! レイ姉と一緒にお出かけだぁ〜! マリィちゃんって子、めっちゃカワイイらしいし、ふふふ……一緒に遊べるといいなぁぁ……』


 無邪気に笑う少女の顔が、どこまでも狂っていた。


 レイが、ぎこちなく顔を上げる。


「……ブリジットと、共に……?」

「そう。“予備”は必要だ。あなた一人に任せるには、まだ疑念が拭いきれない」


 ロータスの瞳が、獣のように鋭く光る。


「……それとも、私の信頼に値しないと、自ら認めますか?」

「……いえ。必ず、やり遂げてみせます」

「良いでしょう。ブリジット」

『はーいっ! 任せてくださいませませぇ! じゃあレイ姉ぇ〜、これからよろしくねぇ〜!』


 すでに浮かれきった声に、レイは目を閉じた。

 目を閉じて、心の中で誰にも届かぬ祈りを呟く──それは、かつての聖女としての名残か、あるいは罪の重さに縋るものか。


 その祈りを、ロータスは当然、気にも留めなかった。


「では、頼みましたよ。レイ・シルヴァリア」



---



 フェイクラントが出港してから一週間。

 西方大陸から遥か東、無限に広がる紺碧の洋上にて。


 その一角、鋭く聳え立つ巨大な氷塊の影に、そっと潜む二つの気配があった。


 風は凪ぎ、霧はたゆたう。

 その中心、氷塊の裏手のくぼみで、銀髪の女が静かに佇んでいた。


「レイ姉〜、あれで本当にいいんですかぁ?」


 不安げな声音を響かせたのは、天真爛漫な少女の姿をした悪魔、ブリジット。

 だがその瞳には、おおよそ少女の姿からはあり得ない冷たい知性と、歪んだ好奇心が宿っている。


「だってぇ、あんな下等な魔物を大量に使ってドッカーンてやればぁ、さすがに人族側にだって気づかれちゃいますよぉ……? 海のど真ん中とはいえ、これはもう“ここに何かあります!”って叫んでるようなものじゃないですかぁ」


 その問いに、レイ・シルヴァリアは一度だけ視線を巡らせた後、再び霧の奥へと目を向けた。

 その表情は無機質なまでに冷えきっている。

 けれど、声だけは淡く落ち着いていた。


「問題ないわ」

「えー? 本当に〜?」

「ええ。そもそも、今回の狙いは奇襲ではなく、誘引なのだから」

「……おぉ〜、なるほどなるほどぉ……?」


 わかったようなわかってないような顔をしながら、しかし素直に頷くブリジット。

 だが、その興味はすぐに別の方向へと逸れた。


「ねぇねぇ、レイ姉ってさぁ、昔は神殿の人だったんですよねぇ? 聖女として人族の希望だったのに、今や悪魔と肩を並べてるなんてぇ」

「別に、理由なんてどうでもいいでしょう? 元が人族だったで言えば、猊下も同じでしょうに」

「そうですけどぉ……なんか気になるな〜って。なんか、レイ姉だけはちょっと違うっていうかぁ……」


 そのやり取りに応えることなく、レイは静かに懐から一つの仮面を取り出す。

 それは薄い白磁で造られた、精巧な人形のような顔──口元にだけかすかな笑みを湛えた、正体を偽るための覆面だ。


「それは?」

「まあ、ちょっと見知った顔がいるから……かしら。私がシュヴェルツにいたなんて知られたら、ちょっと厄介でしょう?」

「あ〜! レイ姉とロータス様は潜入のお仕事もしてましたもんね〜。うわぁ〜、私だったら絶対ムリムリ。すぐにバレて殺されちゃいますよぉ〜」

「……ええ。だから、絶対にバレてはならないのよ」


 仮面を手に、レイは静かに瞳を閉じた。

 気配を遮断する結界の発動。


 ──氷塊の上。


 混戦が激化していた。

 人族の海賊たちが、襲い来る魔物の群れと激しく交戦している。

 その中心では、ヴォドゥンとクロードが鋼鉄と鱗をぶつけ合い、火花を散らしていた。


 その様子を遠目に見ながら、ブリジットが浮かれたように声を上げる。


「ねぇねぇ、レイ姉! いつ攻めます!? 今ですか!? よーいドンって言ってくださいねっ?」


 レイは仮面を静かに顔へと当て、少しだけ目を細めた。

 まるで霧の動き、風の流れ、戦況の全てを“感じ取る”ように。


「……まずは、様子見よ。あの“写身”が動くまで、こちらも動かない」

「マリィちゃん、ですねぇ?」

「ええ……必ず、連れて帰るわ」


 仮面越しにそう呟いた声には、悲壮でも使命感でもない、静かで、決定的な意志だけが宿っていた。


 ──その瞬間、霧がざわめいた。


 空気が揺れる。脈動する。

 音もなく世界が反転するように、レイの足元を境に“何か”が動き出した。


「さあ……いらっしゃい」


 誰にともなく囁かれた声は、風ではなく“闇”そのものへと届く。


 次の瞬間だった。


 ──ずずず……っ、と、空間が捻じれる。


 大気の下層が泡立つように震え、音を伴わず“穴”が開いた。

 闇色の魔力が染み出すように地を這い、レイの掌を中心に禍々しい紋章が浮かび上がる。


 その紋は、まるで天界の戒律を逆さに刻んだもの──女神への冒涜そのもの。


「天が雨を降らすのも、愛が身体を動かすのも、幾度として死地すら超える……」


 それは、かつて聖女であった彼女が己の手で反転させた祈りの詠唱。

 “魂の呼び声”はやがて、大地の奥に沈んだはずの死者の魂へと届く。


「起きよ──参れ、私の愛の晩餐へ──」

「────────!!」


 叫びとも呻きともつかぬ、喉を潰したような咆哮。

 門より現れたのは、“かつて人だった”死者の影──否、レイの“愛”そのものであった。


 その腕が、レイの身体を抱きすくめる。


 死臭を帯びた胸に顔を埋めながら、彼女は何の躊躇もなくそれを受け入れた。


「おおっ! レイ姉が賜った力ですねぇっ!」


 ブリジットが楽しげに手を叩く。

 だが、その様子を見ても、レイは何も応じなかった。

 ただ、静かに目を伏せ、闇に包まれる。


「愛する人の死体を支配下に置いちゃうなんてぇ……レイ姉、極悪ですねぇ。ちょっと聞きましたよぉ。その、ほら、弟さんがいたとか。名前……なんでしたっけ。セリ……セル? そいつが見たら、レイ姉、どんだけ怒りを買うでしょうねぇ〜!」


 無邪気な顔で呟くブリジットに、レイのまなざしがわずかに揺れる。


「…………黙りなさい」


 感情のない声音。

 だがその胸の奥には、消えぬものが確かにあった。


 腐り落ちる指先をそっと握り返しながら、レイは心の中で、かつて交わした一つの誓いを思い出していた。


 一緒に生きたかった。

 けれど、私たちには無理だった……でも、それでも──


 彼とともにあらんがために、光を捨て、魔に堕ちた女。


 それがレイ・シルヴァリア。

 かつて神に仕え、今は死者と共に歩む者。


 この堕落こそが彼女の“業”であり、贖いでもある。


 ──霧の中。


 仮面をつけたレイは、風と共にその姿を霧へと溶かしていく。

 魔界から差し向けられた影は、今──人知れず、静かに牙を研いでいた。

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