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第百四十四話 「ダイナミック出航」

 ──翌朝。


「オーライ! オーライ!」

「ちゃんと見ろボケナスッ!! 船をぶつけるだろうがロイドォ!!」


 海賊アジトの天然洞窟に響き渡る、けたたましい怒声と野太い掛け声。

 石壁に反響するそれらは、まるで朝の目覚ましのように港の空気を掻き立てていた。


 現在、俺たちは昨日のうちに港町グランティスから転移で戻り、船の出航準備──という名の、荷物の積み込み作業の真っ最中だ。


 船倉には水樽、保存食、果物、香辛料、工具、薬草類……とにかくあらゆる生活用品が並び、船員たちはそれを汗だくになりながらせっせと船へと運んでいる。


 昨日は俺もマリィも手伝いらしい手伝いができなかった。

 だが、こういう“地味な肉体作業”なら──


「よいしょ……っと」


 俺は腰を落として水樽のひとつを抱え上げ、まるでボーリング球を転がすように肩へと担ぎ上げた。

 重心を腰に落とし、足の筋肉でしっかりと支える。


 ふふん。

 見たか、俺の基礎体力。

 なんなら約一年、囚人船ではこれが日常だったからな。


「あっ、フェイくんっ!」


 明るくて少しハスキーな、元気の出る声が飛んできた。

 振り返ると──


「……えっ!?」


 副船長・ミランダが、大量の枝付き果実の束をまるごと肩に抱えて走ってきたところだった。


 あれは……柑橘系の実か? オレンジ? グレープフルーツ?

 いや、そんな問題じゃない。


 どう見ても“人一人ぶん”の大きさと重量を超えている。

 なのに、彼女はまるでバッグでも持ってきたかのような顔で軽快にぱたぱたと小走りしてくる。


 ──この人、見た目だけなら“港町の陽気なお姉さん”だというのに、やってることは完全にバグっている。


「なっ、なんですか、それ……」

「ふふ〜ん! さっき崖の上に生えてたのをね、取ってきたのよ。船旅が始まるとどうしても魚とか中心の食生活になるから、果物って貴重なのよ。栄養偏って倒れるやつも出るし」


 なるほど、つまりは補給食材の確保ってわけか。

 それは大事だ。


 聞いた話によると、ミランダはAランク冒険者らしい。

 実力が“壁超え”ではないにしても、普通の常識からすれば十分に規格外というやつだ。


「……装備、なかなかカッコいいじゃない! いいじゃない、似合ってる似合ってる! これでもう一回クロードと戦ったら、ワンチャンあるかもよ?」

「い、いや~……さすがに無理でしょ。装備ひとつで結果が変わるほど、クロードさんは甘くないですから」


 あの人の強さは、装備の差なんかじゃ覆せない。

 あれは経験の塊であり、戦士としての完成度そのものが違う。


「えー? でもたぶん、あと百回くらいやれば、何回かはフェイくんが勝ちそうだけどなー。私の見立てではっ!」

「……どんな見立てですか」


 というか、そもそもその“百回の機会”が怖すぎる。

 毎日あのメイルシュトローム喰らってたら、そのうち転移魔術が間に合わず、自分の内臓だけどこかへ飛んでいきそうだ。


 ──まぁ、でも、なんというか。

 この人、俺に対して妙に期待値が高い気がする。


 ふと思い立って、俺は素朴な疑問を口にした。


「……あの、すごく今さらなんですが。なんで俺を海賊に誘ったりしたんですか? 俺、Dランクの冒険者だし、他にももっと有望そうな人は……」


 言いかけた瞬間──

 ミランダはまるで鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして、ぴたりと立ち止まり、


「……ふふーん」


 謎の得意気な笑みを浮かべて、指をビシッと俺に突きつけた。


「私、自分で言うのも何だけどね──人を見る目はあるのよ!」

「……見る目?」

「そうっ。フェイくんは、将来イイ男になりそうだったから誘ったの!」

「将来……」


 いや、待て。

 俺もう三十路なんですけど。

 未来よりも膝と腰のほうが心配な年頃に片足突っ込んでるんですけど。


「それになんか、いろんなものを抱えてそうだったし? 正統派の冒険者としてやっていくより、私たちみたいな海の放浪者の方が、なんていうか、合ってる気がしてさ──って、きゃっ!」

「ちょ、危な──っ!」


 そのとき、ミランダの抱えていた木材束が突然バランスを崩し、ぐらりと後ろに傾いた。


 思わず俺が駆け寄ろうとした、その一瞬。


「よっと」


 ひょい、と。

 マリィがすっと現れて、片手で木の束を軽々と支えた。


「マリィちゃーん! ナイスサポートぉ~~~!」


 マリィのサポートに感動したのか、ミランダはぽーんと木材を船へと投げ上げると、すぐさまくるりと踵を返して、 嬉々としてマリィに抱きつきに戻った。


 ──この人、本当に自由すぎる。

 それにしても、どうやら彼女は俺だけでなく、マリィのこともかなり気に入っているらしい。


 まぁ、実際、マリィが“将来有望”というのは間違っていない。

 元魔物でありながら高い戦闘能力を持ち、精神面の成長速度も最近は人以上。


 何より、神威が覚醒しているのだから、たぶん俺が戦っても負ける。

 その辺はクリスの魂を受け継いでいるからなのもあるのだろうが……。


「ロイド! そっちじゃねぇ!!」

「ひいっ!? ごめんなさいっす!!」


 再び怒号と悲鳴がこだまする。


 もはや朝の目覚ましがわりに最適と言えるほど、海のゴロツキの罵声はよく通る。

 が──その怒鳴り声の直後、ミランダの笑顔がふいにすうっと薄れていった。


「……でも、ロイドね……」


 呟くように、低く。


「……あいつとの航海は今回が初めてだけど……正直、フェイくんやマリィちゃんと比べて、なーんにも感じないのよね」


 その口調は、笑みを装いながらも芯に鋭さを孕んでいた。

 舌の先で氷を転がすような、容赦のない“評価”。


 そう言えば、グランティスでもロイドは「ミランダさんに嫌われてる」ってぼやいてたっけ。


 いつも快活で、誰にでも冗談交じりに接してくると思っていた女副船長が見せる“冷たい一面”。

 それもまた、“人を見る目”ってやつなのか。


 随分、ロイドには辛辣なんだな。

 ……この人のその“目”、一体どれくらいの確率で当たるんだろうな。



---



 ──そして、数刻後。



 「はいはーい! 全員乗り込んでー!」


 ミランダの掛け声に従い、俺たちは順番に甲板へと上がっていく。

 聳え立つのは、一隻の巨大な帆船。


 ……でかっ。


 乗り込んだ第一印象はその一言だった。

 船員は十人にも満たないというのに、この船の規模は──あの“囚人船”と遜色ない。

 いや、下手したらそれ以上のサイズかもしれない。


「これ……こんな人数で動かせるんですか?」


 俺の素直な疑問に、ミランダはにっこりと笑って──


「まっ、根性よ根性!」

「根性……?」


 ……なんだその回答。

 たぶん“根性”の定義が、並の人とはまるで違うんだろう。


「フェイくん! マリィちゃん! ロイドも、早くこっち!」


 帆柱の近くでミランダが手招きしている。

 その手には、何やらベルトのような器具が握られていた。


「はい、これ。腰に巻いてねー」

「えっ……?」


 言われるがままに俺とマリィ、そしてロイドは、それを腰に装着する。

 柱と繋がっていることから、どうやら固定具のようだが……。


 これ、なんの意味があるんだ?

 落下防止……?

 いや、でも動けなくなるし……。


「よし、出発だ」


 俺が首をかしげながらも、クロードの落ち着いたが芯のある声が響いた。


「よっと」


 ──ブォン


 続けて、怪力船員のひとりが、片手で錨を素手で海底から引き上げた。


 すげ……滑車なしで上げれるんかい……。


 常識とは、と問い詰めたい。

 完全に“超常の筋力”に物を言わせたワイルドな出航準備だった。


「ちょ、このベルトって一体──」

「じゃあジジイーッ! おねがーい!!」


 俺の質問などかき消すようにミランダが叫ぶと、船の後方──岸壁の上に立つサイラスへ手を振った。

 見ればサイラスは、腕を組みながらその場に仁王立ちしていた。


「いない間にカジノ行っちゃダメよ!」

「ったく、誰に向かって言っとる……」


 唸るような低音でぼやきつつも、その表情にわずかな微笑みが滲む。


 ──だが、その笑みが消えるのは一瞬だった。


「クロード!」


 その名を呼んだときのサイラスの顔は、それまでのどんな戦場よりも真剣だった。

 頬に刻まれた皺が、今は不思議と誇りを宿している。


「……無事、帰って来いよ」


 それはまるで、戦場へ赴く若き将に贈る、最後の“親の言葉”のようだった。


「了解、元締め」


 クロードの返答は、いつになく静かで、けれど力強かった。

 余計な言葉は要らない。

 その一言に、確かな信頼と、長年の絆がすべて詰まっていた。


 ──そして、風が、変わった。


「それじゃあ……行くぞ」


 サイラスがゆっくりと両腕を前へと構える。

 空気が軋む。


 俺の肌が、ぶわっと粟立つ。


 ……な、なんだ?

 急に風が……?


 突如として、辺りの空気が吸い込まれるように引き寄せられていく。

 まるで周囲の空気の全てが、サイラスの掌に向かって傾いているような──異常な魔力のねじれを感じた。


「え、風……?」

「うん、そうよ!」


 ミランダが満面の笑顔で親指を立てた。

 たなびく桃色の長髪を押さえながら、まるで「いい天気ですね」くらいのテンションで。


「え、まさかとは思うけど、その風で……船を動かす……?」


 俺の言葉に、ミランダはにっこり頷いて──


「正解っ!」


 ──待て、正解じゃねぇ!!


 この船、明らかに“中型”なんてレベルじゃない。

 囚人船とほぼ同じ、いや──全長にして三十メートル以上はある。


 マストは三本。

 帆も複数。

 見事な木製の船体は堂々たる存在感で、下手な国家の輸送艦にも引けを取らない。

 

 それを──風で、飛ばす!?


 おい、嘘だろ……。


 思い返せば、あの囚人船の時。

 囚人ハロルドが、ぽつりと呟いていた。


『キャプテン・クロードの船はな……空を飛ぶんだぜ』


 いやいやいや……あれ、酔っ払いの戯言じゃなかったのかよ!?


 サイラスの手のひらに、風が渦を巻きながら集中していく。

 視覚化されるほどの風圧。


 しかもただの風じゃない。

 密度がおかしい。

 まるで台風の目の中心を、逆流させてねじ込んだような──空間が“ゆがむ”ような風だ。


 いや、風って“見え”ないよな!?


「さーて、いっくわよー!!」


 ミランダが満面の笑みで叫んだ。

 その声と同時、サイラスの口からひとつ、鋭い号令が飛ぶ。


「──そぉら!! 行って来い!!」


 ド ォ ン ッ !!!


 破裂音。

 いや、衝撃波だ。


 爆風のような風塊が、船の帆に一直線にぶち当たった。

 まるで戦艦の砲撃を受けたかのような反動と共に──


「うおッ!?」


 船が、跳ねた。


 本当に──跳ねた。


 巨体の船が、波間を弾丸のように跳ね上がり、次の瞬間、


「ぶっ飛ばすから、いつもこうなのよー!!」


 ミランダが叫んだ直後、


 ──ズドッ、ズドッ、ズドドドッ!!!


 音速に近い風が帆をぶち抜き、木造の巨船が水平線へ向けて跳弾のように飛ぶ!

 跳ねて、跳ねて、跳ねまくる!


「ちょ、ちょっとッッ!!」


 地面どころか、重力まで失った俺たちは、腰に巻かれた安全ベルトに全体重を預けた状態で、後方にグイィィィと引っ張られている。


「これは……ッ!!」


 反動で声すら出しにくい。

 顔の皮膚が剥がれそうなくらい風がぶち当たってくる!


「やりすぎッ!!」


 マリィの絶叫が跳躍音に溶け込む。


「でしょおおおおおおおッッ!!?」


 俺・マリィ・ロイドの三重絶叫がこだましながら、ミランダはなぜか超ご機嫌で笑いながら宙を見上げている。

 あまりに船が跳ねすぎて──もはや海面を跳ねる“石”状態!!


 水柱と衝撃波を撒き散らしながら、船は“滑る”でも“走る”でもなく、“跳ね飛ぶ”ように前進を続ける。


「おっ、おええええぇ……!!」

「きゃあああああッ!! フェイ! ロイドが死ぬぅぅぅッ!!」

「やめろ吐くなぁあああッ!? 俺に向けるな! 顔面やめろおおお!!」


 ロイドが真横でぶちまけようとしており、マリィがそれを必死に支えようとしながら、悲鳴と嗚咽が混ざり合ってカオスなコーラスを奏でる。


 ベルトがなければ、今ごろ全員海へ放り出されていた。

 体内の臓器が逆流する感覚。

 胃が宙に浮いて、膀胱が泣き叫んでいる。


 ──だが、なぜだろう。


 この疾走感。

 この狂気。


 全部ひっくるめて──


「…………わっるくねぇ……」


 つい、笑ってしまった。


 空を裂く風。

 海を穿つ跳躍。

 誰も正気じゃない。

 でも、この無茶苦茶さが──最高の冒険の始まりに思えた。



 次の目的地、氷雪のカイエン山脈へ向けて──


 風の海賊船、堂々出航。

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