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第百四十三話 「少しずつ惹かれ始めてる」

 ──夜。

 港町グランティスの宿屋にて。


 石造りの建物の一室、薪ストーブの柔らかな熱が壁際を染めていた。

 外は冬の気配を孕んだ潮風が吹きすさび、軒先の風見鶏がキィキィと鳴いている。


「というわけで……フェイクラント君を送る“ついでに”、資材の輸送の仕事も入った。君を届けた後、俺たちは別の街へと航海を続ける」


 クロードがそう言って、ベッド脇の簡素な椅子に腰かけた。

 腕を組み、微笑を浮かべるその姿は、どこか商談の余韻を残したままの“海の交渉人”だった。


「わかりました」


 俺も、椅子の背にかけたマントを取りながら頷く。

 べルックの件が終わった直後だというのに、もう商会と話をつけて仕事を取ってきたというのだから、ほんと恐れ入る。


 ──もともとは、俺とマリィを送るだけの予定だった。


 それが、蓋を開けてみれば船は資材を満載して別都市へと航行し、正式な海運契約まで巻き取ってくる始末。

 手紙の配達という“旅の用事”すら副産物のように吸収してしまった。


 まったく、この人に抜け目という言葉はないらしい。


「まぁ、君が手紙を届けてから戻って来る頃には、再び港に戻っておくさ」

「……ありがとうございます」


 俺が手紙を届けに行く先は、ガルレイア大陸のカイエン山脈──

 その名の通り、空に手が届くほどの標高を誇る、氷雪の連峰地帯だ。


 その山に住むベアトリスという人物へ、サイファーの手紙を届けること。

 それがこの旅の本懐。


 登って、話して、帰ってくる。

 たったそれだけの道のりでも、何日もかかるのは確実だ。

 クロードたちの輸送仕事が終わるまでの時間くらい、余裕で稼げるだろう。


 万が一俺たちが先に終わってしまっても、街のひとつふたつでのんびり待っていればいいだけの話だ。


「っていうか、帰らなくてよかったんですか? ミランダさんたちだけに準備させてると思うんですけど。俺も何か手伝った方が──」

「ははは、いいんだ」


 笑って、クロードは首を振った。


「仕事の話に切り替わった以上、フェイクラント君がいてもいなくても、どの道、船は出さなければならない。それに──君のおかげで、俺がグランティスに来るのも、本来なら丸一日はかかっていたところを一瞬で来れたからね。なんなら運賃を払いたいくらいさ」


 ──たしかに。


 まぁたしかに、そう考えると転移魔術はチートだろう。

 俺さえいれば、どんな街にでも行ったことのある場所ならば一瞬で飛べるし、時間も金もかからない。

 欠点と言えば、魔力が少なすぎるせいで一日に数回しか使えないくらいだが。


 平気で未知の魔術を俺に試したがるのに付き合いきれなくて魔術師見習いを辞めたが、ブリーノには感謝しなければならないな。


「じゃあ、俺はもう休むよ。あまり遅くならないようにな。明日から、船の積み込みも始まるから」

「はい」


 ドアの閉まる音とともに、部屋には再び静けさが戻った。



 ---



 夜──港町グランティス。


 日中は人々で賑わう石畳の通りも、今は潮風の吹きすさぶ冬の路地へと変わっていた。


 街灯が灯り、霧を含んだ風があたりをぼんやりと滲ませている。

 遠くからは、酒場の笑い声や、鍋をかき混ぜるような音が微かに聞こえていた。


 そんな中──


「わああっ、見てフェイ! 屋台のスープ、湯気がもくもくーって!」


 通りの端でマリィが飛び跳ねていた。


 はしゃいでいる。

 ──めっちゃ元気だ。


「おいおい、風冷たくないのか。コート着とけって言っただろ」

「平気だもん! 今日いっぱい動いたし、身体ぽっかぽかだし!」


 そう言って、腕をぶんぶん振り回す。

 まるで風を跳ね返すような勢いだ。


 季節外れのテンション。

 でもまぁ……今日は仕方ない。


 ポーカーから始まった怒涛の一日。

 クロードとの手合わせに装備の新調、ギルドでは商人の断罪と赦しまで見届けて、ようやく落ち着いた夜だった。普通に考えればとっくにベッドで昏睡しててもおかしくないのに、マリィはむしろ元気が増していた。


 ──で、俺はというと、結局そのマリィに付き合う形で散歩についてきた。


 シュヴェルツにいた頃は親子と見間違えられることもしばしばだったが、今では──なんというか、年の離れたカップルにすら見えかねない身長差だ。


 ……ほんとに、成長ってのは恐ろしい。


 まぁ、散歩してればそのうち眠くなるだろう。

 そんな気持ちもあって、港を見下ろす灯台のある小高い丘まで足を伸ばしたわけだが──


「綺麗だね。フェイ」


 マリィの指差す先、峠のようにせり上がった灯台元からは、夜のグランティスが一望できた。


 街の灯が、波の音と重なりながら、まるで星の海のように広がっている。


「ああ……」


 自然に、そう漏れていた。


 夜の空気は澄んでいて、吐いた息は白く、

 背後からは潮風が衣を揺らす。


 港町の温もりと、どこか物悲しい灯火──

 ここはきっと、地元の恋人たちの定番スポットなんだろう。

 周囲にもちらほら人影はあるが、どこも互いに干渉せず、それぞれの世界に没頭しているようだった。


 視線の圧力が消えると、不思議と肩の力も抜けていく。


 俺はマリィと一緒に、近くのベンチに腰を下ろした。


「ねぇフェイ。あれ見て」


 マリィがちょいちょいと顎で指す。


 見ればカップルの女の方が泣いていて、男がそれを慰めているような、よくあるテンプレみたいな構図。


「どこか痛いのかな」

「……んー?」

「なんかね、女の人がごめんなさい、ごめんなさいって言ってるよ。それで、男の人は気にしてないとか、平気だからとか、そんな感じ。なんのことだろう」

「あぁー……なるほど。……えっと」


 なんと言ったものだろう。

 なんだか随分と耳が良いようで驚いたが、また面倒な状況に興味を示したもんだな。マリィよ。


 彼女の説明と、ここから観察してみる限り、どうやら男の方が告白して玉砕したか、あるいは女の方に何らかの落ち度があったという展開っぽいが……


「あれは別に、痛くて泣いてるわけじゃないと思うぞ」

「どういうこと?」

「心が痛くて泣くってこともあるんだけど、たぶんあれはそうじゃない」


 かなりセンシティブな内容なので、言葉を選ぶのにもたつく俺。


 逆ギレならぬ逆泣きとでも言うのだろうか。

 実際のところ、本当に泣きたいのは男側なんだろうけど、女が先に泣いてしまったので泣くに泣けず、責めることも出来ないという非常に鬱陶しい展開だ。


 なんか、異世界でもこういうことは共通なんだな。

 えらいもんを目撃してしまったが、聞かれた手前、俺なりの考えを説明するしかない。


「あれは演技っていうか、自己暗示っていうか、とにかく一種の保身かな。マリィははあの人を見てびっくりしたろ?」

「うん」

「泣いてる奴ってのは、わりと特別扱いされるのさ。ああいう場合、具体的に言うと泣けば優しくされるんだよ」


 たとえ加害者であろうと被害者になれる。

 あなたを振った『自分も辛いんだ』というアピールをすれば、一方的な悪者にならなくて済む。


「要するに、わたし可哀想だから虐めないでって言ってるんだ」

「うーん……?」


 いまいち不得要領で首を傾げるマリィ。

 俺もあんな経験は流石にないし、半ば憶測で勝手なこと言ったものだと思うが、そのまま観察していると、どうやら的外れでもなかったらしく……


 ──ばしっ!


「あ……」

「うわ……」


 いきなり、女が男をひっぱたいた。


「今のは、どうして……?」

「うーん、たぶん、男が嫌味でもいったんじゃないか?」


 同性として、すごく同情してしまう。

 ああいう展開はリアル、フィクション問わず色んなところで見聞きするが、その場合の模範解答的な態度ってやつが俺にはさっぱりわからない。


「マリィは、ああいう女の気持ちとかわかる?」

「わかんない。ごめんなさいって謝るなら、謝った方が悪いんだよね? なのになんでか、最後は男の人が悪いみたいな感じになっちゃった。人って、ああいうことが当たり前なの?」

「どうだろうな……」


 まったく、自分の恋愛経験の無さにも嫌になる。

 おかしいと言えば間違いなくおかしいのだが、そのおかしな理屈が大半を占めればそれが当たり前のことになってしまう。


 結局のところ、要はそういうもんなんだろう。


「じゃあミランダさんとか、アーシェとかならわかるかな?」

「さぁ……」


 なぜマリィはそこを引き合いに出したのかはわからないが、挙げられた女性はどちらも気が強い。

 彼女たちに聞けば、おそらく女の態度に激怒するか、もしくは逆に思いっきり共感したりもするのだろうか。


 いずれにせよ、その二人では極端なことを言い出すに違いなさそうだ。


「まぁ、結局のところ感情が抑えられなくなっただけかもしれないな。最後のビンタはともかくとして、謝りながら泣くっていうのは、正直わかる」


 ひどいことをしてしまったという自己嫌悪。

 相手を傷つけてしまったという罪悪感。

 泣くのは卑怯だと分かっていても、一度溢れてしまったら止まらない。


 俺にだってこちらにきてからその経験は二度か三度かある。

 悔しくて、苦しくて、泣くしかなかった夜が。

 そして、そこから先は悪循環のスパイラルだ。


「ある意味、ああいうのの方がすごく人臭いことかもしれないな。どっちが正しいとか間違っているとか、全部理屈で説明ついたらそれはそれでつまんなそうだし……意識せずにって前提なら、矛盾も必要じゃないかなと思うよ」

「…………」


 元魔物であるマリィには一番難しいことなのかもしれない。

 動物や魔物は言葉を話さない分、態度や表情なんかで見分ける。

 そこに裏表なんかはなく、こんな展開が起こるのは人限定だろう。


 マリィはしばらく黙っていた。

 しかし、ぽつりと──


「じゃあ、やっぱりクリスは、フェイのことが大好きなんだね」

「…………っ」


 突然──急所を突かれた。


「そしてフェイも、クリスのことが大好きなんだね」

「……うるさいな」


 なぜか顔が熱くなるのを感じた。


 視線を逸らし、立ち上がる。


「もう帰るぞ」


 言っても、マリィは立ち上がらない。

 しばらくこちらを見上げていたかと思えば、ふにっと笑って──


「それも、実は違うんでしょ?」


 ──こいつ、ほんとに何者なんだろうな。


 マフラーの端を口元まで引き上げると、そっとマリィの手を引いた。


 港の風は冷たいはずなのに──

 なぜだか、心の奥は少しだけ、あたたかかった。


 そうだよ。

 アイツに似たお前に、俺は少しずつ惹かれ始めている。

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