第百四十二話 「海賊のやり方」
「なかなか、いい装備じゃないか」
「えっ、あ、はい」
静まりかけたギルドの空気を切り裂くように、クロードの声が響いた。
その視線は、俺とマリィの腰や肩に装備された武具に向けられている。
「っていうか……な、なにがあったんですか?」
思わず問い返した俺に、彼は肩をすくめて見せた。
「なんてことはない……ってこともないんだが、以前の依頼で問題があってね。それの片づけに来ていたのさ」
片付け?
その言葉の意味が分からぬまま、クロードの指先がぴたりとギルドの奥を指す。
──その先。
数名の商人風の男たちが、ギルド職員に取り押さえられ、床に膝をついていた。
その中心に、先ほどクロードに圧力をかけられていた商人が震えている。
「……違うんだ……俺は、俺は知らなかったんだ……」
中年男の声は、空気に溶けるほどか細い。
だが、クロードはそれを無視して俺たちに説明してくれた。
「現在、海運業界は君も知っての通り、魔物が激化した影響で困難を極めている。今月に入ってからも、グランティスに到着した船は三隻しかない」
それは知っている。
だからこそクロードの船に頼ることになったのだから。
「彼──ベルック・キーンベル氏は港湾商会のキーンベル商船〈マンフレッド号〉の船主だが、こっそり魔獣の末端素材、強化覚醒薬、禁制装飾品《アズルの眼》という、違法品が運び込まれていたらしい。密輸自体は『知らなかった』と言い張ってるが……」
「そんなことが……」
「俺はその時の護衛の依頼を受けていてね。報酬が良かったから受けたのだが、蓋を開ければこの通りだよ。まったく裏切られたものだ」
クロードの瞳が鈍く輝く。
なるほど……荷物は滞りなく運ばれたが、その輸送していたものは違法品だったと。
クロードが怒るのも無理はない。
彼からすれば、自分の船と仲間の名誉を汚されたも同然なのだから。
「し、知らなかったんだ! 本当に! 全部あの悪徳商人グラッドからの指示で……お、俺は言われた通り運んだだけなんだ!」
床に額を擦りつけながら捕らえられた商人の一人を指さし、ベルックは上擦った声で許しを乞う。
「その“知らなかった”で運び込まれた違法物資が、どれだけの人の首を締めたか──お前は理解してるのか?」
クロードが歩くたび、空気が重くなる。
まるで風そのものが彼を中心に巻き込まれていくかのように、空気の流れすら変わっていた。
「くっ、くそっ……! あれは……! 俺はただ……言われた通りに荷を運んだだけだ! 中身までは知らなかったんだ! 本当に!!」
声が震えている。
汗が額を流れ、背中を濡らす。
けれど──その言葉が通じる相手ではない。
「言い訳は、船を出せなくなった他の商人たちの前で言うといい」
クロードは手をひらりと上げた。
次の瞬間──
ばしゅっ、と乾いた風の音が鳴り、商人の足元に巻きついた空気が縄のようにねじれて拘束を強めた。
「ぐっ……!?」
身動きすら取れず、男は床に這いつくばる。
足をじたばたと動かすが、風の鎖は緩まない。
──知らなかった、では通らないのだろう。
海運が死にかけている中で、わずかにでも動けた彼の船は、間違いなく“貴重な希望”だったはずだ。
にもかかわらず。
その船は、よりにもよって“違法品”を運ぶために使われた。
違法品はサイファーから習ったこともある、どれも扱いを誤れば人の命に関わる危険な品々だ。
その出処は、すでに捕らえられた悪徳商人の仕業だと判明している。
だが、その“運び手”となったのが、今目の前にいるこの男なのだと。
捕らえられていないところを見ると、恐らく証拠不十分とかで捕らえるには至らなかったとかなのだろうか……。
なんにせよ……すごい場面に遭遇してしまったらしい。
「し、信じてくれ……俺は……ただ、儲かるって話で……!」
叫びも、今や虚しく響くばかり。
それでも、クロードは冷然と言い放った。
「どのみち──知ってようが知らなかろうが、あなたは商人として地に落ちた。今後、信用のないあなたを利用する者はいないだろう」
「ぐぅっ……」
その言葉は、まるで死刑宣告だった。
「……終わりだ……俺の……人生は……」
男の瞳から光が消える。
脱力し、ずるりと床に伏したその姿は、もはや抜け殻のようだった。
──まぁ、仕方ないのだろう。
実際、本当に知らなかったのかどうかは分からない。
だが、結果的に“運んだ”のは事実であり、クロードを欺く形となったのもまた事実。
もし知らなかったのならただの被害者だが、この世界は甘くない。
同情こそするが、俺にできることは何もない。
騒ぎは一瞬で周囲に広がった。
「また船が出なくなるのか……」
「だが、出たところで無事に帰る船は少ない。そういう意味じゃ、キーンベルの船は頼りになってたんだがな……」
「運送料は高かったけどな。ケチったら荷が沈む時代だ、仕方ねぇさ」
群衆は、すでにこの事態の“後始末”まで話し始めている。
そして──騒動がひと段落し、拘束を緩められたベルックがぼそりと呟く。
「クロード……今回のことは……すまなかった……」
その言葉には、もう反論も、取り繕いもなかった。
ただ、静かな後悔だけが滲んでいる。
彼はそばにいた恐らく部下なのであろう若い男に視線を送ると──
「……帰るぞ……」
疲れ切った声と共に、二人は背を向け、静かに帰り支度を始めていた。
そして、一通りの結末を迎えると──
「キャーッ! クロード様~~ッ!!」
「さっすがSランク冒険者! 顔も実力も完璧すぎる!!」
「惚れた……一生ついて行きますわ……!」
ギルド内の空気は、いつの間にか一変していた。
クロードが違法品の摘発に一役買ったこと、そして商会の“闇”を堂々と暴いたその姿勢。
それは、海運と共に生きるこの港町にとって、まさしく救世主のように映ったのだろう。
「やーん! いつの間にかロイドくんもいる! 素敵~~!」
「え! 噂の新人の!? 意外とイケメンじゃない!?」
「髪型が最先端よね~!」
なぜかロイドまでセットで持ち上げられているのは解せない。
おそらく年齢的にも近く、見た目も悪くないからなのだろうが……。
──くそ、やっぱり顔なのか。
実力とか信念とか、そんなもんは所詮、顔の前では霞むのか。
元は犬だけど、やはりマリィもイケメンが良かったりするのだろうか……。
ちらり、と隣を見る。
マリィは人の波にまぎれるようにして、去っていくベルックの背をじっと見つめていた。
その表情はどこか翳りを帯びていて、やがて、ふと小さく動き出す。
「……マリィ?」
呼びかけるより早く、彼女は歩き出していた。
小さな背中が、人波を縫うように、そっとその男を追おうとする。
──けれど。
俺は無言でその腕を掴んでいた。
「無理だよ。お前が行って、何ができる?」
マリィの足が止まり、肩が震える。
その視線は、それでもなお諦めきれないように、前を向いたままだ。
「だって……あの人、可哀想で……」
言葉が、やけに胸に刺さる。
そのまっすぐすぎる感受性は、やっぱりどこか──クリスを思わせる。
でもな。
「気持ちはわかる。でも、“可哀想だから”で動いても、事態は変わらないんだよ」
俺の言葉に、マリィは小さく唇を噛んだ。
その視線の先には、静かに背を向けて消えようとする男の姿。
誰にも必要とされず、ただ“終わった”商人の背中。
同情こそするが、俺たちが行って何か出来ることなんて、励ます程度しかできない。
そんなもの、向こうから願い下げだろう。
──だけど。
「皆さん!」
その瞬間、ギルドの空気を再び裂くように、クロードの声が響く。
彼は一歩、カウンター前に踏み出し、その声だけで周囲の喧騒をぴたりと止めた。
「お話があります!」
静かに、しかし確かに通る声だった。
視線が集まる。
数十名の冒険者、船員、町人、その誰もが、自然と耳を傾けていた。
「先ほどまで捕らえられていたあちらの商人──ベルック・キーンベル氏についてです」
その名に、ざわめきが広がる。
悪名か、好奇心か、それとも──同情か。
クロードは表情を変えず、ゆっくりと続けた。
「彼の商船〈マンフレッド号〉は、これまで数少ない往還船として、多くの命を支えてきた。そして、私が護衛として雇われた当初、彼の信念には一片の迷いもなく、海と共に生きようとする意志があった」
意外にも、優しい声音だった。
あれほど冷徹に断罪していた男の口から、まさかこんな言葉が出てくるとは。
「今回の一件は、確かに大きな過ちです。彼は重大な“管理責任”を怠った。だが、それでも私は、あのとき彼の志を見て、共に海を渡ると決めた。その選択に、今でも悔いはありません」
その一言に、ギルド内がざわついた。
「クロード……何を……?」
呆然と立ち尽くすベルックが、信じられないという顔で呟く。
だが、クロードの言葉は止まらない。
「だから私は言います──今回のことを教訓に、彼が再び船を出す覚悟があるのならば、私が“最初の取引先”となりましょう。商人とは、信頼の上に成り立つ職です。過ちはありました。けれど、その過ちから立ち上がる者にこそ、再び信用は生まれると、私は信じている」
沈黙。
凍りついた空気に、誰もが呆然とした。
だがそれは、否定の沈黙ではなかった。
むしろ、その場にいたすべての人々が──
「……すげぇ……」
「やっぱ……あの人は本物だよ……」
「言えねぇよ、あんなこと……普通は……」
声なき感嘆と共に、空気が温まっていく。
さっきまで“裏切られた商人”として蔑まれていたベルックが、今やそこに立つことを“許されている”。
そう、たった一人の言葉で。
「ちょ……何を勝手に……」
ベルックの唇が震える。
混乱、驚愕、恐怖、そして、わずかな“希望”が滲んでいた。
「どうです? 悪徳商人と手が切れたこれを機に、新しい信用を得るため、俺と海運難に一肌脱いでは?」
クロードの問いかけは、淡々としていて、残酷なまでに真っ直ぐだった。
──そして。
「やって……くれるというのかね……」
「えぇ、海賊でよろしければ」
クロードは涼やかに微笑んでみせる。
それはまるで、最初からこうなると決めていたかのような──懐の深さを感じさせる笑みだった。
「……っ、あ……あぁ……!」
ベルックは、膝を突き、まるで神に赦された罪人のように涙を滲ませながら、深く頭を垂れた。
──これで、終わり。
かに見えた、その瞬間。
「ただし──」
クロードの声音がひとつ、再び空気の温度を変えた。
場に立ち込めていた和やかな余韻が、ぴしりと音を立てて張り詰める。
「次に“知らなかった”で違法物を運ばせたら……今度は脅しなんかじゃ済みませんからね?」
言葉こそ穏やかだった。
だが、その眼差しは、深海よりも冷たく、刃よりも鋭かった。
ベルックは一瞬、びくりと身を竦ませたが──
「は……はは」
やがて肩を揺らして、どこか吹っ切れたように笑い出した。
「……だが、断っても……以前のジルベールのように、吹き飛ばされてしまうんだろう? だったら、どの道やるしかないさ」
ギルドの空気に、くすりと笑いが走る。
ああ、たしかに言われてみれば。
……この人、ジルベールが壁にめり込んだ光景を、目の当たりにしてたってわけか。
クロードはふ、と肩を揺らして、
「いやいや。さすがにそこまではしませんよ」
軽やかに言ってのけた。
だがその横顔には、“それくらいなら、やろうと思えばできる”という自信と余裕が滲んでいる。
──やっぱり、クロードはすごい。
今さらながらに、俺はそう実感していた。
あのまま商人を帰してしまえば、ギルド全体の空気は後味の悪さを引きずったままだっただろう。
だが彼は、ただ断罪するだけで終わらせない。
裏切られた相手すら拾い上げ、再起の道筋まで用意してみせた。
強さ、正義、ユーモア、度量、そして信頼。
この男は、それらすべてを、持ち合わせている。
「……商人になって四十年、まさか海賊に説教される日が来るとはな」
苦笑するように目を伏せたベルックは、やれやれと肩を落とす。
だが、口元はかすかに笑っていた。
「随分と口も達者のようだな。……海賊より、商人のほうが向いてるんじゃないか?」
べルックのその言葉には、皮肉の中に照れ隠しのような気配が混じっていた。
もしかすると──本気でそう思っていたのかもしれない。
「ふふ……ありがとうございます」
それに対する返答は、静かで、だが確かに、嬉しそうなものだった。
先ほどまでの険悪な空気など、もうどこにもなかった。
周囲の人々も、自然と柔らかく笑みを浮かべている。
再び人間らしい空気が、ギルドに戻ってきていた。
「それでは、握手を……」
クロードがそっと手を差し出す。
「約束は、守ってくださいね」
「あぁ、ありがとう」
握手の瞬間──思わず、俺の胸の奥がじんと熱くなる。
横を見ると、ロイドも感動したように目を潤ませており、
そのさらに隣では、マリィが尊敬の眼差しをクロードへと注いでいた。
やはり、敵わないな、と。
戦闘でも、器の大きさでも、自分はまだまだ未熟だと痛感する。
……だが、次の瞬間。
「それでは皆様──!」
ギルドの空気を一気に破裂させるように、クロードが手を広げて叫んだ。
「この度はお騒がせして申し訳ございません! 今回の一件、迷惑料としてベルック様が──なんと、皆様の酒代を全額ご馳走してくださるとのことですッ!」
「ちょ、ちょっと待ったクロード!?」
あわててベルックが声を上げるが、もう遅い。
ギルドの中は一気に大歓声に包まれた。
「うおおおお! マジかよ!!」
「ベルック様最高!!」
「見直したぞ商人さん!!」
「もう裏切りとかどーでもいいっしょ! 今夜は飲みだぁーッ!!」
もはや混沌としか言いようのない熱狂が、ギルドを揺らす。
大量のジョッキが掲げられ、酒が飛び、笑い声が飛び交う。
「フェイクラントくん! マリィちゃん! ロイド! 君たちも飲みたまえ! 待たせて悪かったな!」
どこから持ってきたのか、クロードが瓶を三本片手に持ち、にこやかにやってくる。
勢いでロイドの胸に一本叩きつけ、マリィには盃まで手渡すという周到さ。
「お、お酒!? わっ、わたし飲んだことない……!」
「いや、でもマリィのはサラッとオレンジジュースだ。気遣いが手慣れすぎていて気づけなかった……」
「うわああ、これ高級酒じゃないですかぁぁ……!!」
もはや誰も止められない。
最初は抵抗していたベルックも、いつの間にか酒瓶を抱え、無理やり杯を注がれていた。
肩を叩かれ、腕を組まれ、口々に話しかけられる中で──
「……う、うう……何だこれは……なぜこうなってしまったのだ……?」
と困惑しながらも、顔は満更でもなさそうだった。
クロード──商人どころか、下手すればホストクラブのNo.1にだってなれそうだ。
「……すごいね、フェイ」
「ああ……ほんとに」
マリィのつぶやきに、俺も頷くしかなかった。
さっきまで地に伏していた人間が、もう輪の中心で笑っている。
──これが、クロードの“やり方”なんだろうな。
断罪も、救済も、笑いも、祝福も。
一人でまとめて背負って、軽くやってのける。
戦闘でもそうだが、器の大きさでも、本当に勝てる気がしない。
まさに、海賊らしいやり方だ。
「クソ……さすがに憧れてしまうな」
周囲と乾杯を繰り返しながら、俺はそっと呟く。
その声は、酒場の喧騒にかき消されていった。