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第百三十六話 「手合わせ」

「よかったわね、フェイくん!」


 唐突に飛んできた声と同時に、俺の頬に指がぷにりと食い込んだ。

 思わず振り向けば、そこには満面の笑みを湛えたミランダの姿。

 ついさっきまで容赦ない鉄拳で老害を沈めていたとは思えないほど、今の彼女は親しげで柔らかい。


 っていうか、いつの間に"フェイくん"呼びになったんだ。


 思いながらも、問いは口に出せなかった。

 なんというか、違和感がない。

 それだけ、彼女の距離の詰め方は自然で、無理がないということなのだろう。


「私たちがちゃーんと、アステリアまで連れてってあげる!」


「あっ、はい。よろしくお願いします!」


 その瞬間、背後からざわりとした空気が伝わってきた。

 船員たちの囁きが、洞窟の壁に反響してささやかな波紋となる。


「……姐さん、あの男に随分優しいな」

「ってことは、これから事件が起きるぞ。姐さんが気に入った相手って、大体トラブル呼ぶタイプだしな」

「ま、面白けりゃなんでもいい人だから……また大変な航海になりそうだ」


 心なしか、全員がどこか諦観したような目をしていた。

 ……俺も、なぜミランダに気に入られているのか正直わからない。

 最初は下着姿でマリィを片手に持ち上げてた人なのに。


 そして、そんな空気もどこ吹く風と、彼女はふたたび顔をこちらへ向け──


「残念だったわね! これに懲りたら、賭け事はやめることね!」


 今度は、涙目でふんどしをかき集めていたサイラスに向かって、ピシャリと一言。


「ぐぬぬぬぬぬ……!」


 返す言葉もないとばかりに悔しそうな顔をしているが、それでももう勝負はついた──はずだった。


 ──しかし、そうは問屋が卸さないらしい。


「じゃあフェイくん、これから船の──」

「待て!!」


 ミランダが俺に話しかけたその瞬間、サイラスが手を振り上げて絶叫した。


「何!?」


 ミランダの声が刺すように鋭い。

 その眉間に寄った皺が、限界寸前の堪忍袋を物語っている。


 だが、サイラスはお構いなしに一歩踏み出す。

 人差し指を天に突き立て、ズビシィと俺を指さした。


「もう一度勝負じゃ!! このまま堅気の男に船を出すなんて、海賊の面子が立たん!!」

「えぇ……」


 泣きながら迫ってくるの、やめてくれないか。

 てか、もう完全に負けたでしょうが。


「次は喧嘩じゃ! ガチンコの殴り合い! おいクロード、準備を──」


 ──その言葉が終わる前に。


「いい加減に──」


 ミランダの声が、空間の温度を一変させた。

 懐に飛び込むや否や、鋭い足蹴りが顎を捉え──


「しろッ!!」

「グボァーーッ!?」


 サイラスは見事な放物線を描いて後方に吹き飛ぶ。

 着地した瞬間、床に突っ伏し、ふるふると震えていた。


「大人しく負けを認めな!!」

「うぅっ……」


 が、まだ気絶していないあたり、タフさだけは本物らしい。


「あと、いい歳して何度も泣くな! 面目より体裁を気にしろ、バカジジイ!!」

「ガーン!!」


 衝撃的なSEでも聞こえてきそうなリアクションと共に、またしても崩れ落ちるサイラス。

 さすがに気の毒になってきた……というより、この場にいる誰よりもダメージを受けてるのが彼だ。


 マリィもそうなのだろう。

 先ほどから、困り顔でどう声をかけていいかわからない表情だ。


 しかし、さすがに同情がラインを越えたのか、彼女はそっと俺の袖を引き──そして。


「フェイ……あんまりいじめたら可哀想だよ……」

「あ……」


 ──トドメだった。

 最年少の少女に同情された衝撃がクリティカルヒットしたらしく、サイラスは肩をわななかせると、


「うわぁぁぁん!! みんな大っ嫌いじゃぁぁぁッ!」


 子どものように号泣しながら洞窟の奥へ駆け去っていった。

 海賊団の精鋭たちが口を半開きにして見送り、クロード船長が額に手を当てて深い溜息を漏らす。


 うーん──これはヒドイ。


 重い沈黙をクロードの低い声がすくい上げる。


「……賭けは君の勝ちだ。約束通り、アステリアへの船を出そう」

「あ、ありがとうございます!」


 深く頭を垂れる。

 だが彼はすぐに小さく首を振った。


「ただし……お客様というわけにはいかない」

「え?」

「見ての通り、うちは少数精鋭。航海に必要な人手は、決して多くない」


 周囲を見渡せば、確かに十人もいない。

 この人数で帆船を動かすとなれば、俺の手も戦力として数えられて当然だ。


「それと、船員は全員、戦闘員でもある。海では魔物も出るし、戦闘を避けられないこともあるだろう」

「……はい。戦闘経験もそこそこですがありますし、船乗りも……一年ほどですけど、経験はあります!」


 可能な限りの自信を込めて答えた。


 だが──


「そうか。そこそこか……」

「……はい?」

「口で聞いても、本当に戦えるかどうかはわからない。だから、君の実力を──見せてくれないか?」

「──えっ?」


 思わず、息を呑む。

 クロードの口元が、鋭く笑みに歪む。


「どこまで守備を任せられるかを知っておきたい。手合わせ……してくれるかな?」


 ポキポキと関節を鳴らしながら、もう待ちきれんと言わんばかりに準備運動を始めるクロード。


「て、手合わせ……?」

「そう、手合わせ。ついでに言うと、最近どうも体が鈍っていてね……そういう意味でも相手になってほしい……かな」


 その表情には、まるで少年のような純粋な期待と──戦士としての鋭利な興奮が宿っていた。


 サイラスの時とはうってかわって、今回はミランダが介入して来ることはないようだ。

 彼女は、口を噤んでクロードと俺を冷静に見ているだけ。


 クソ……結局こうなるのかよ……。


 ポーカーの勝負に勝った瞬間は、ほんの束の間の安堵だったというのか。

 サイラスのふんどしが宙を舞ったり、ミランダの鉄拳が炸裂したり──あの騒がしさが、今や嘘のように遠く感じる。


 代わりに、目の前の男が発する圧力だけが、じわじわと皮膚に食い込んでくる。


「た、戦うってことですか?」


 テンパった頭が、勝手に口を動かした。

 わかってる、そんなの言われなくても当然だ。

 “手合わせ”って言ったら普通に戦うに決まってるじゃないか。

 ……ダサい。今の、めちゃくちゃダサい。


「ふふ、戦いは嫌いかい?」


 からかうような、それでいて真っ直ぐに刺してくるような口調。

 笑みの奥でこちらを値踏みするような瞳が、まるで言葉の鎧を剥がしてくる。


 戦いが嫌いか、だって?

 ああ、できることなら遠慮したい。

 チート能力でもあれば話は別だが、あいにく俺の成長は、まだ“普通”の範囲にある。


 それに、一対一でいい思い出はあまりない……。


 でも──


「わ、わかりました……」


 断る理由なんて、ひとつもなかった。


 なんだかんだで手にした“アステリアへ渡る手段”。

 ここで逃げれば、すべてが水泡に帰す。


 だから──やるしかない。


 クロードはニッと口角を上げると、肩を回し、上着を軽やかに脱ぎ捨てた。


 美しいほど無駄がない体躯。

 細身に見えて、内側に蓄えた“戦闘者”の重み。

 飾り立てた筋肉ではない、歴戦を生き抜いてきた者の“武装”。


 身長は俺とほとんど変わらないのに、密度がまるで違う。


 今まで出会った壁を超えた存在──サイファー、そして最強設定ベルギス。

 彼らと同じ匂いがする。

 “普通の努力”じゃ超えられないラインを越えた者だけが持つ、異質な空気。


 これが……Sランクの冒険者。


 やっぱやめたい。

 正直無理だこれ。


「はは……大丈夫、手加減はするよ」

「……っ!?」


 ビビってるの、完全にバレてた。

 くそっ、何かでカバーしようと目つきを鋭くしてみるが、どう見ても子犬が唸っている程度にしか見えないだろう。


 俺の小さな虚勢なんて、この男には通じない。


「だが……もしこれで、フェイクラントくんが大怪我でもしたら、出航が遅れるのは確かだ。そうなると、今回の件は流れてしまうな」


 低く、響くようにクロードが言った。

 つまるところ、その真意は──


「っ──」


 言葉が、心臓を締め上げる。


 それはつまり、ここで大怪我を負ってしまうような雑魚が、船に乗っても仕方ないことだろうという圧力。

 ポーカーなどという運だけで勝とうが、力足らずならさっきのはナシ。


 こりゃ……ガチだな。


「俺の言うことは、理解してくれたかな?」

「……はい」


 声は震えていたかもしれない。

 でも、逃げ腰じゃない。

 心の奥で、決意が小さく炎を上げた。


「マリィ、離れてろ」

「うん……」


 素直に頷いて、彼女は椅子から降り、静かに後ろへ下がる。

 その小さな手が、最後まで俺の袖を掴んでいた温もりが、まだ残っている。


 火が弾けるような音を立てて、篝火が空気を撹拌する。

 立ち上る熱と緊張が、洞窟の広間を満たしていく。


 クロードは腕を回し、深く息を吸った。


「じゃあ、始めようか──フェイクラント」


 男の瞳が、完全に“戦闘者の目”に変わった。

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