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第百三十四話 「空気の圧力」

 洞窟は、思った以上に深く、そして整っていた。


 地面には滑り止めのような加工が施され、足場の悪そうな岩場には木材で組まれた簡易の橋や手すりが掛けられている。

 自然の岩肌と人の手が加わった痕跡が混在する通路は、まるで時をかけて少しずつ“生活”に馴染んでいったかのようだった。


 そして、その最奥。


 広く開けた空間の天井には、いくつもの燭台と篝火が据えられ、ゆらゆらと揺れる炎が、石壁に幻想的な陰影を描き出していた。


 天井の隙間から漏れる僅かな外光が、炎の揺らぎに交じって石床を照らし、その中央に──俺とマリィは立っていた。


 目の前のテーブル席には、神妙な面持ちで腰かける老人、サイラス。 

 その両隣には、風格漂う男──キャプテン・クロードと、派手な露出服から着替えを済ませた副船長・ミランダがいる。


 周囲には、ざらついた海の男たち──船員たちが壁に背を預けたり、組んだ腕の隙間からこちらを観察するように睨んでいた。


 火の粉が弾ける音だけが、妙に静寂を際立たせていた。


「まずは……お互いの自己紹介といこうじゃないか。名前は?」


 テーブルの奥から、サイラスのしゃがれた声が響く。

 まるで裁きを下す判事のように、その視線はまっすぐにこちらを見据えていた。


「俺はフェイクラントと言います。この子はマリィ」


 自分でも驚くほど、声は自然に出た。

 背筋を伸ばし、余計な動きを殺しながらも、誠意と信頼を込めて名乗る。


「こんにちは」


 マリィも俺に倣って、ぺこりと丁寧に頭を下げる。

 その仕草に、小さな気品と、確かな成長が滲んでいた。


「ワシはサイラス。この海賊団の元締めじゃ。そして隣にいるのが船長のクロードと、副船長のミランダ」

「…………」

「やっほ~」


 ミランダが軽く手を振る。

 気さくな笑顔に少し緊張が解れる。


「あとはまぁ……覚えんでもいいゴロツキよ。あ、外で見張りしているのが新人のロイドじゃ」

「「ええ〜っ!?」」


 周囲から、ゴツい海賊たちの野太い抗議があがる。

 サイラスはまったく意に介した様子もなく、杯を傾けたまま無視を決め込んでいた。


「で……ワシらに何の用じゃ?」


 その言葉に、空気がピンと張り詰めた。

 焚き火のぱちりという音だけが、しんとした広間に鳴る。


「はい、実は……」


 俺は、ここへ来た理由を語った。


 アステリアに渡る手段を探していること。

 一般の船はどこも動かず、そんな中で“頼れる船員たちがいる船”があると、サイファーとレイアさんに聞いたこと──。


「ほう……アステリアへ行く船を出して欲しい……か」


 サイラスの声が低くなる。

 炎の明かりに浮かぶその顔からは、先ほどのふざけた様子は跡形もなく消え去り、ただ厳格な“海の男”としての表情だけが残っていた。


「はい……」


 俺の心臓が、やけにうるさく鼓動を刻む。

 静かなのに、空気が重い。

 目の前の人間たちが、ただの船乗りではないことを、全身で理解する。


 ……クソ。

 サイファーのやつ、海賊だなんて一言も言ってなかったじゃないか。

 しかもキャプテンクロードの船だなんて……まぁ、頼れるのは間違いないだろうけど。


「……すごいねあの人、私たちを足に使おうだなんて」

「あぁ……」


 周囲のゴロツキのうち、一人の海賊女性がボソボソと口にする。


 そうですね。

 僕もそう思います……。


「で、その仕事の報酬には何をいただけるんだい?」


 問いかけてきたのは、前にミランダの側にいた、理知的な印象の船員だった。


「えっ……報酬ですか?」

「おいおい、まさかタダでって訳じゃないだろうな?」


 答えあぐねていた俺に対し、さらにゴツい男が横から重なるように低く言い放つ。


「えっ……!? いや……その……」


 俺の言葉は、どんどん小さくなる。

 

 どうすんだよ……これ……。


 ──その時。


「ゴホンッ」


 サイラスが一つ、咳払いをした。

 それだけで、場が静まり返る。


 まるで音を呑んだように空気が沈黙し、俺もつられて姿勢を正してしまう。


「フェイクラントと言ったな……」

「はっはい!」


 思わず声が裏返る。


「残念じゃが船は出さん」

「えっ!?」


 理解が追いつくよりも早く、地面が傾いたような感覚に襲われた。


「報酬がどうこうという話じゃない。お前はサイファーからワシのことを聞いてここを訪ねて来たようじゃが……」


 ゴゴゴ、と地鳴りのような気配が広間に満ちる。


「ワシと兄貴は……昔からすっごく……」


 兄貴?

 あ、やっぱり兄弟だったんだ。


「すっっっごく!! 仲が悪いッッ!!!」


 サイラスが突然、テーブルの上にドンと立ち上がる。

 その足音とともに、船員たちが驚きでざわつく。


「ちょっ……!?」

「じゃから、サイファーの紹介で来た奴なんかと仕事はせん!!」


 そのまま両手を叩いた。

 圧縮された空気が音もなく集まり──


「帰れ!!」


 ──ドンッ!


 爆風のような気配が俺の胸を打ち抜いた。


「ぐっ!?」

「フェイ!!」


 マリィの叫びが聞こえる。


 その衝撃は隣にいたマリィには当たらず、俺にだけ正確に命中していた。

 分厚い空気の壁が見えない手のように俺を“摘まみ上げる”。


 背負っていたリュックの中身が弾けるように宙を舞い、俺は天井へと吹き飛ばされ──


「うおおっ!!」


 体をひねり、足先で天井を蹴る。

 バランスを取り、床に膝をついて着地。

 

 その瞬間、サイラスが笑みを見せた。


「ほほう! 良いバランス感覚じゃな!」


 どこか試すような、それでいて愉快そうな眼差し。


 ──くそ、もしマリィに同じことをしてたら……本気で殴ってたところだ。


 と思った瞬間。


「そぉい!!」

「ごべぇッ!!?」


 ミランダがサイラスの足を掴んで引き倒した。

 机の端に額をぶつけ、ひどく間抜けな音が響く。


 ……あ、ちょっとスッキリした。


「勝手に決めてんじゃないわよ! しかもいきなり追い返すなんて酷いじゃない!」


ミランダの怒声が、岩壁に反響して鋭く響く。


「うぐぐ……いきなりはそっちじゃ!! 何をするんじゃミランダ!!」

「悪いのはそっちでしょクソジジイ!!」

「相変わらず口の悪い女じゃの。それが元締めに対する態度か!!」

「何が元締めよ!! 私たちが稼いだお金で近くの街のカジノに通ってる、ただのごくつぶしじゃないの!!!」


 バッと人差し指がサイラスの鼻先に突き立てられる。

 その瞬間、ピクリと肩を揺らした老人は、ぐわんと仰け反りながら息を呑んだ。


「でかい面してんじゃないわよ!! この老害ッ!!」

「…………ッ!!?」


 歯を食いしばる音が聞こえる気がした。

 絞り出すように震えるその顔は、何かを堪えているのか、それとも──


「ぬぅううう……ッ!!」


 やばい空気だ。

 周囲の空気もピタリと止まり、誰もが喧嘩の行方を見守っていた。


 いいのか……?

 止めなくて。


 しかし、俺が一歩前へ出かけたその時だった。


「……ミランダがいじめる……こわい……ッ!!」


 シクシクと情けない泣き声が、広間に響き渡った。

 次の瞬間、サイラスはヨロヨロとクロードの背中に回り込み、その肩越しに涙目でミランダを睨んでいる。


 あの威風堂々とした姿はどこへ消えたのか。

 今そこにいるのは、すっかり威厳を失った──いや、威厳のカケラもない哀愁漂う老人だった。


「逃げんなジジイ!!」

「ヒィイ!!」


 思わず悲鳴を上げるサイラス。

 だがもう、誰も彼を“海の男”とは呼ばないだろう……。

 少なくとも今この瞬間は。


「フェイ、大丈夫!?」


 駆け寄ってきたマリィが、心配そうに顔を覗き込んでくる。

 胸元には、先ほどの爆風で吹き飛んだ荷物のいくつかが抱えられていた。

 その中に──見覚えのある革封筒がひとつ。


 あ、そうだ。

 渡さなきゃいけないよな。


「あっ、あぁ。大丈夫だ。ありがとな、マリィ」


 俺は少し息を整えながら、封筒に手を伸ばす。


 サイファーから手渡された、大切な“手紙”。

 本来なら、もっと厳かな空気の中で渡すべきだったのかもしれないが──


「オラ!! まだ終わってないわよジジイ!!」

「ミランダ……落ち着け……」

「シクシク……」


 状況は、完全に学級崩壊寸前だった。


 場違いなタイミングだが、止めるという意味でも行くしかない。

 俺は立ち上がり、サイラスの方へと歩み出る。


「あの、すみません。……サイファーから渡せと言われたものがありまして」


 その言葉に、ミランダが睨みを緩める。

 サイラスもシクシクと涙をぬぐいながら、やや不安げな顔でこちらを見て──


「うぅ……なんじゃ……?」


 鼻をすすりながら受け取るサイラス。

 封を切ると、中から便箋が一枚滑り出す。


「こ、これは!?」


 その瞬間──空気が、変わった。

 サイラスの反応に、暴言を撒き散らかしていたミランダも我に帰る。


 炎の揺らめきが紙面を照らす中、老人の指がかすかに震える。

 その目に浮かぶのは、驚きか、懐かしさか、それとも──


 沈黙の中、便箋の文面を見つめるサイラスの表情が、ゆっくりと陰りを帯びていった。

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