第百二十八話 「昔の仲間」
「──ヴェインじゃとッ!?」
雷鳴のような声が、魔物たちのざわめきすら呑み込んだ。
レイアさんが、めずらしく声を荒げた。
驚いたのは、俺とマリィだけではない。
マリィの膝を枕に転がっていたチェイシーが耳をぴくりと立て、ティクロが巨体をぎこちなく揺らしてこちらを向き、ミスティに至ってはびびったのかバサバサと羽ばたきながら宙を逃げ回った。
「お、おう……」
思わず気圧されながら返事をする。
サイファーが奥の部屋に消え、しばし間が空いたあと、レイアさんにセルベリア大陸での旅のことをぽつぽつと話していたのだ。
話の発端はいつ、どこでどうしてマリィがこの姿になったのか。
その説明の途中、崖っぷちで遭遇した魔族──名前が覚えられない俺にとって、思い出せずにもどかしくもあったが、ふと脳裏に焼きついた自己紹介がよぎり、ぽつりと口にしたのだ。
『魔王軍大隊長──暴虐の魔王、ヴェイン・アクレウス』
その名前を告げたことが、火種になった。
「……知ってるのか?」
レイアさんは、目を細めたまましばし固まった。
そして、何かを呑み込むように、小さくうなずいた。
「あ……いや、うむ。今はあまり表に出てこんが、昔は──名の知れた魔族だったからの……」
曖昧な言葉。
珍しく、彼女は視線をそらした。
普段なら、どんなことでも真正面から答えるレイアさんが、だ。
──明らかに、何かを隠している。
違和感が胸に残る。
俺はかつて、エミルを操作し、世界を救うゲームをクリア寸前までプレイした身だが、その中に“ヴェイン”などという名のボスキャラは存在しなかった。
あんな魔族、少なくとも未来ではいないハズだ。
……そういえば、どことなく、似てるんだよな。
ヴェインとレイアさん。
白い肌。
銀に近い淡い髪。
キツめの、獣じみた目元。
性格も言葉遣いも正反対だというのに、根っこの何かが重なるような奇妙な感覚が拭えない。
「……まあ、強力な魔族に殺されかけたことがきっかけで、マリィは人の姿となったのか」
「そう……だな」
けれどレイアさんは、話を戻そうとした。
あくまで、何事もなかったかのように。
……聞いても答える気はない……か。
勘の鈍い俺でもわかる。
これ以上踏み込んでも、彼女はきっと口を閉ざすだろう。
何か大きな理由があるのかもしれないが──今は、追及するタイミングじゃない。
だから俺も、切り替えることにした。
「いやほんとに、サイファーやレイアさんに鍛えてもらてなかったら、瞬殺されてただろうな。助かったよ」
「お主の力は、お主が努力で手に入れたものじゃ。ワシらはきっかけを与えただけに過ぎんよ」
その言葉は、慰めでも謙遜でもなく、ただ真実を言葉にしただけだった。
だが、妙にくすぐったい気持ちになる。
照れ隠しにもう一言返そうとしたとき──
「……レイア、ちょっといいか?」
不意に、奥の部屋からサイファーの声が飛んできた。
振り向けば、いつの間にか戻ってきたらしい彼が、腕を組んだまま立っていた。
目元の皺が深い。
さっきの様子とは違う、どこか切迫した空気を纏っている。
「……わかった。フェイ、そこで待っておれ」
レイアさんもまた、即座に立ち上がり、俺にそう指示をする。
そして、サイファーとともに、奥の部屋へと消えていく。
(……なんだろ)
残された俺とマリィは顔を見合わせた。
だが、追いかけるのも、詮索するのも、今は違う気がした。
──というわけで。
「よし、遊ぶか!」
「うんっ!!」
マリィが弾けるような笑顔を見せると、魔物たちもわらわらと集まってくる。
ティクロが巨体を揺らしてボール代わりの丸太を転がし、チェイシーは猫のようにじゃれつき、ミスティは頭上でぴぴるぴぴると不思議な踊りを披露する。
久しぶりの、魔物たちとの穏やかな時間だった。
---
──そして、昼下がり。
二人が戻ってくると、レイアさんがぱたぱたとキッチンに駆け寄り、昼食を作る。
素朴なシチューと、薪窯で焼いたパン。
魔物たちもそれぞれお気に入りの餌場で食事を始め、静かなひとときが広がる。
「……で、次はアステリア大陸に行くわけか」
サイファーが、ふと話題を振った。
「あぁ、そのつもりだけど」
「ふむ……しかしどうやって行く気じゃ? 買い出しの時にカンタリオンで少し聞いたが、今はどこも船が出ておらんらしいが。それに、そもそも気になっておったが……お前はどうやってこの短期間でセルベリアから戻ってきたんじゃ?」
当然の疑問だろう。
海を隔てた大陸を、たった数週間で二度もここに帰ってきた。
普通に考えれば不可能だ。
(……さて、どう言うか)
普通なら隠すところだが、相手はサイファーとレイアさんだ。
もう俺にとっては半分親みたいな存在でもある。
隠す理由は……ない、か。
「なぁ、その前にさ、聞きたいことがあるんだけど」
「ほぅ? 人の問いに問いで返すか」
「いや、それはごめん、その術に関係ある話だからさ……」
サイファーが眉をひくつかせる。
だが俺はペコリと頭を下げて、急ぎ続けた。
「唐突なんだけど、ラドランに住んでるブリーノってじいさん、知ってるか?」
その名前を口にした瞬間だった。
サイファーとレイアさん、二人の動きがぴたりと止まった。
交わす視線。
わずかに空気が張り詰める。
「……ああ」
レイアさんが低くうなずいた。
「やっぱり!!」
思わず身を乗り出す。
やっぱり繋がってたのか!
ラドランであった時、俺が持っていたレイアさんの首飾りを見て、あのじいさん、明らかに何か知ってる様子だったしな。
サイファーの名前も出してたし。
「そうだと思ったんだよな! 三人とも友達だったのか? もしかして昔、一緒に旅した仲間とか?」
ワクワクしながら尋ねる俺に、サイファーはぐぐっと喉を鳴らした後──
「昔……大昔な。別に話すこともない」
食い下がろうとする俺に、サイファーは睨みを利かせる。
いや、でもなんかこうも昔の繋がりを発見してしまうと嫌でも気になってしまう。
「何だよサイファー教えてくれよ。ブリーノってさぁ、昔何やってたんだ? なんかやたら古代魔術のこととかに詳しいけど、あとなんかさー、サイファーもレイアさんもブリーノも三人とも昔のこと話したがらないけど、黒歴史でもあんのか? あれか、若い頃、二人で同じ女を取り合ったとか? レイアさんを巡って三角関係とか──ぶべっ!」
顔面に、焼きたてのパンが直撃した。
「うるさいのぅ、黙って食え」
投げたレイアさんが、ほんのり顔を赤くして言い放つ。
俺は鼻にこびりついたパンの香りを嗅ぎながら、こそこそと席に座り直した。
……まぁ、ちょっとデリカシーが無さ過ぎたかもしれない。
(色恋沙汰……では無さそうだな。一人でいるブリーノの方が気にしてなさそうだったし)
どちらかといえば、もっと“痛ましい理由”でも隠しているような気がする。
──でも、それはきっと、今知るべきことじゃない。
「あ、そうそう、それで……」
思い出したように、俺は話を戻した。
「ブリーノの古代魔術の研究を手伝って、転移魔術を覚えたんだ」
「ほう……」
レイアさんが小さく目を細める。
「なるほどな。だからか、合点がいったわい」
サイファーも、腕を組み、納得したようにうなずく。
昔からブリーノは古代魔術に詳しかったんだろう、『ありえる話だ』と思ってくれたようだ。
「で、それならアステリア大陸にも行けるかなって」
「そうか……では、念のため聞くが」
レイアさんが、じとっとした目を向けてきた。
「お主、アステリアに行ったことはあるのか?」
「え?」
俺はスプーンを咥えたまま、ぽかんと固まった。
「転移魔術は……確か行ったことのある場所にしか飛べぬはずじゃが」
──あ。
スプーンが、カタンと木椀に落ちた。
「…………行ったこと、ない」
「やはりな……」
俺は冷や汗をたらりと流しながら、途方に暮れた。
サイファーとレイアさんは、分かりきっていたように驚きもツッコミもせず、食事を続ける。
俺の知力の低さを完全に理解しているソレだった。
ヤベェ……完全に詰んだ……。