第百二十五話 「戦火のミルフィーユ」 【三人称視点】
アステリア大陸北部
フォルセリア領 城塞都市カールバート。
ヴァレリス王国と肩を並べるほどの軍事力を誇るアステリア王国。
その北部、フォルセリア領の中核都市であるカールバートが、突如として現れた魔族の軍勢により襲撃を受けていた。
城壁の外には、数千にも及ぶ魔族の兵がひしめき、鬨の声が響き渡る。
すでに戦闘は始まって数時間が経過し、街のあちこちから悲鳴と怒号が飛び交い、炎と黒煙が立ち上っている。
砕けた石畳、倒れた市民たち。
血と火薬の臭いが混ざり合い、戦場の焦燥感をより強くさせていた。
その司令塔。
城にある高塔の一室にて、一人の男が戦況を見つめていた。
「報告申し上げます!!」
甲冑に身を包んだ女騎士が、緊迫した声で駆け込んできた。
肩まで伸びた青銀色の髪が炎の揺らめきに照らされ、戦場にありながらも、その姿はどこか神々しいまでの美しさを放っていた。
「北西部の城壁が破られました!!」
高く澄んだ声が塔の内部に響き渡る。
「……第二部隊隊長は?」
低く、冷静な声が返る。
戦場の指揮を執る男──カールズバート領主、ライオネル・フォルセリアは、静かに女騎士を見つめた。
「はい、後退しながら正面部隊と合流。その後、一度は押し返したのですが……」
彼女の表情が曇る。
「戦況は芳しくありません。魔族の部隊はこちらの魔術を封じる魔道具を持っており、魔術部隊が機能しておりません。戦士だけであの数はかなり厳しいかと……」
「……そうか」
ライオネルは一瞬、目を閉じ、思考を巡らせる。
「魔術部隊を再編成し、敵の部隊と距離を作りながら南西のバルムント領まで撤退。……この都市は捨てる……」
「……っ!! しかし!!」
女騎士の瞳が大きく揺れる。
「安心しろ……バルムントの領主には話をつけている」
ライオネルの表情は穏やかだったが、その瞳の奥には決意が宿っていた。
彼の言葉に、女騎士は唇を噛む。
何か言いたげに拳を握ると、震える声で問いかけた。
「それでは……司令……いえ、お父様は!!」
その"呼び方"に、ライオネルは小さく微笑んだ。
「あぁ……私はここに残る。ここの領主は私だ。領主はこの地と共に……。でなければ、この地を任せてくれたガルザード元王に面目がたたんからな」
あくまで穏やかに、しかしどこか諦観を込めて彼は言う。
その言葉に、女騎士の表情は歪む。
「ダメよ……!! そんなの!!」
その声は、まるで子供が父を引き止めるかのような、切実な叫びだった。
「エルミナ……。わかってくれ」
ライオネルは娘の肩に手を置き、静かに告げる。
彼の決意は揺るがない。
カールバートの領主として、この地を守ることが彼の責務。
撤退する兵の盾となり、最後まで戦う覚悟を固めていた。
しかし、その場に突然、第三者の声が割って入った。
「そうです、『ダメ』ですよ。生きて、帰りましょう」
ライオネルとエルミナは驚き、声の方を振り向いた。
「……あ、あなた様はっ!!」
その声の主は若い、男の声だった。
年齢の割に、まるで幾千の修羅場を潜ったかのような傷跡が目立つ。
なのに体つきはスマートで、おおよそ"無駄"と呼べるものを一切感じさせない。
彼の隣には可憐で、かつ美しい朱色の髪をなびかせた少女が立っていた。
暗い部屋の中でも、その髪は炎のように輝いて見える。
どこぞの姫と言われてもおかしくないほどの気品と威厳を漂わせた女剣士。
彼らはライオネルの隣に立つと、荒れ果てた街を静かに見下ろした。
「本当にいいのか? こちらに来てからロクに寝てないと思うんだが……」
「ふんっ!! 全く問題ないわね!! 雑魚がどれだけいようが、全部私がぶった斬ってやるわ!!一年の修行の成果を見せつけてやるのよ!!」
朱色の髪の女剣士が、鼻を鳴らして豪快に言い放つ。
「またそんな言葉遣いを……あんまり前には出ないでくれよ? お前になにかあったら、ヴァレリスとの国際問題に発展しかねないからな」
男が苦笑しながら呆れたように言う。
エルミナとライオネルは彼らを見つめたまま、思わず息を呑むことしかできなかった。
なぜならその男は、十一年の時を超え、再びこの地に舞い戻ってきた"最強の存在"なのだから。
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街では、魔族たちの暴虐が溢れかえっていた。
竜の血が混じった種族、リザードマンが火を吹き、燃え盛る家屋の中から逃げ惑う市民たちを嘲笑うかのように追い立てる。
彼らの鱗は鉄のように硬く、並の兵士の剣では刃が立たない。
「グォオオオ!!」
巨大な口から噴き出した火炎が、逃げ遅れた人々を焼き尽くした。
火の手が上がる中、悪魔のような翼を持つ魔族が空から舞い降り、黒い爪を閃かせる。
「くっ……!」
カールバートの第二部隊隊長、レオン・シュタイナーは、すでに幾度となく剣を振るい続け、傷と煤で汚れた体を奮い立たせるように立っていた。
「耐えろ!! 持ち堪えるんだ!!」
彼の鼓舞にもかかわらず、戦況は絶望的だった。
魔術部隊は機能せず、歩兵は数の暴力に押しつぶされるように倒れていく。
それでも、レオンは退かない。
「ギィア──ッ!」
目前のリザードマンが巨体を揺らして突進してくる。
その体勢を見切ったレオンは、神威を込めた剣を振り下ろした。
青白い光を纏った刃がリザードマンの腕を断ち切り、獣のような悲鳴が響く。
「ハァッ……ハァッ……」
すかさず、リザードマンの首元へと剣を穿ち、トドメを刺す。
「隊長!!」
背後から兵士の叫びが届いた。
レオンは息を飲みながら振り返る。
そこには、絶望的な光景が広がっていた。
兵士たちが次々と魔族の槍や爪に貫かれ、倒れていく。
すでに彼らを救う術はなかった。
「……っ……撤退だ!! 俺が殿になる。さっさと行け!!」
レオンは決断した。
ここで全員が死ぬくらいなら、一人でも多く生かすべきだ。
「──しかしッ!」
「グズグズするなっ!!」
怒声を浴びせると、兵士たちは一瞬躊躇ったが、やがて苦渋の表情を浮かべながらも頷いた。
「わ、わかりました……!」
レオンは彼らの背を見送りながら、剣を強く握りしめた。
もう勝ち目などない。
司令からの伝令はまだ届かないが、この圧倒的な戦力差に、撤退以外の選択肢などあるはずがない。
しかし、それでいい。
自分が殿となり、一人でも多くを逃がせれば──
「ギャァアアッ!!」
背後から、断末魔の叫びが響いた。
振り返ると、撤退し始めた兵士の一人が、魔族の持つ漆黒の槍で心臓を貫かれていた。
槍を握っていたのは、銀色の髪を持つ女魔族。
冷たい瞳が、レオンを見据えている。
「ふふ……逃しはしないよ」
妖艶な笑みを浮かべながら、槍を引き抜くと、兵士の体が地に崩れ落ちた。
その瞬間、レオンの脳裏に激しい怒りが沸き上がった。
「貴様ァッ!!」
咆哮と共に剣を振るう。
だが、その刃が届くよりも早く、女魔族は空へと跳び上がり、宙を舞う。
そして、反対側から更なる魔族の影が現れる。
「グォオオッ!」
四本の腕を持つ巨漢の魔族。
その巨体は岩のように分厚く、並の剣では歯が立たないだろう。
その隣には、長い尾をしならせながら、鋭い爪を持つ半獣の魔族が唸りを上げている。
──今、この場にいるのは彼一人。
撤退する仲間たちの背中を見送る間もなく、殺意に満ちた敵の視線が突き刺さる。
「──来る!!」
四本腕の巨漢が大地を揺らしながら踏み出す。
その動きに呼応するように、半獣の魔族が飛び上がった。
レオンはすかさず、巨漢の一撃を避けるために後退──
しかし、それを読んでいたかのように、銀髪の女魔族が鋭く詠唱する。
「──『氷刃』!!」
直後、レオンの足元から鋭い氷の棘が瞬時に伸びる。
「──しまった!」
判断の遅れたレオンの足元が凍りついていく。
氷は靴底を絡め取るように成長し、彼の足を地面に封じ込める。
「くくっ、終わりだねぇ」
女魔族が楽しげに微笑んだ瞬間、巨漢の魔族が全力で拳を振りかぶった。
それは、まるで山が落ちてくるかのような、圧倒的な質量と力を感じさせる一撃。
「グォオオオッ!!」
鉄塊のような拳が、レオンの身体めがけて振り下ろされる。
──避けられない。
「グッ……クソッ!!」
レオンは死を覚悟し、目をぎゅっと瞑った。
その瞬間──
──ギィィイインッ!!
甲高い音が響いた。
まるで鋼と鋼がぶつかるような、鮮烈な音。
目を開けたレオンの視界に映ったのは、一人の少女の横顔。
おそらく、十を少し過ぎた程度の少女。
しかし、その背中はまるで燃え盛る炎のごとく──戦場に屹立する剣士だった。
鮮烈な朱色の髪。
見た者は、彼女の美しさも相まって釘付けになるであろう華やかな騎士装束。
そして、彼女の手に握られたのは、真紅の炎を纏う一振りの剣。
目の前の光景に、魔族たちだけでなく、レオン自身も息を呑む。
少女は、圧倒的な体格差をものともせず、巨大な拳を真っ向から受け止めるどころか 剣の一閃だけで弾き飛ばしていた。
並の人間なら、一瞬で潰されているはずの一撃。
そのあまりに常識外れな力技に、魔族たちは一瞬の戸惑いを見せる。
「グォオオッ!?」
四本腕の巨漢が目を細めながら、痛む拳を軽く振る。
魔族たちの中でも、最も力に長けた種族のはずだった。
それを、少女の細腕一本が打ち払った。
燃え盛る刃が、まるで意志を持つかのように明滅し、凄まじい熱量が少女の周囲を満たしている。
その紅蓮の剣を軽く肩に担ぎながら、少女は口の端をつり上げた。
「……なんだ、意外と軽いわね」
余裕たっぷりに呟いたその声音には、まるで圧倒された気配はない。
むしろ、 完全に戦闘を楽しんでいる かのような、挑発じみた響きがあった。
「ミーユ!! 前に出過ぎるなと言っただろう!!」
戦場の喧騒を裂く、若い男の怒声。
遠くから黒衣を纏った青年が駆けてくる。
燃え盛る建物の影から現れた彼は、風を切るような速さでこちらに向かいながらもミーユと呼ばれた少女に注意する。
「うるっさいわね、ベルギス!! 毎日毎日1年間、あんたに叱られてばっかりでイライラしてんのよっ!!」
しかし、彼の言葉にミーユは頬を膨らませながら反論する。
「……な、なんだ……こいつらは……?」
先ほどまで死を覚悟していたレオンも、殺意に満ちていた魔族たちも、呆然とそのやり取りを見つめるしかなかった。
あまりにも場違いで、あまりにも不自然──否、自然すぎるこの光景が、戦場の狂気を一瞬にして別の空間へと変えてしまったのだから。
「覚悟しなさい!! まとめてぶった斬ってやるわァッ!!」