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第百二十一話 「封印された魔王」 【三人称視点】

 北の孤島──中心部・遺跡地下



 セリエスは、ゆっくりと螺旋階段を降りていた。


 外から見れば、ただ崩れかけた石の建物がぽつんと一つ。

 だがその内実は、まるで底知れぬ竪穴のように地の奥深くへと続いている。


 一歩、また一歩。

 足音は石に吸い込まれるように消え、やがて空気の温度が変わった。

 肌を撫でるのは冷気でも湿気でもない。

 それは……瘴気に似た“気配”。


(……掃除、ね)


 自嘲の笑みが、唇の端に浮かぶ。


 彼がそう口にしたのは、あくまで方便。

 “本当の目的”は、島の最下層に封じられた、“それ”の状態を確認するためだった。


 手にした灯火が、ぴたりと揺れる。

 冷や汗が背を伝う。

 鼓動が早まるのを、彼は必死に抑え込んでいた。


 この場所に、長くいたいとは思わない。

 できれば、二度と来たくもない。


 だが、それでも足を止めなかった。

 彼には──この“責務”を果たす義務がある。


 そうしてたどり着いた最下層は、広さにして十歩四方ほどの小さな空間だった。


 そこに、件の“もの”は鎮座していた。


 それは……一見すればただの壺だ。

 細い首元、広がった胴体、台座に置かれ、厳重な蓋が上に乗せられている。

 だが、蓋の縁から這うように巻きついた“銀の鎖”は、まるでそれが生きているかのように蠢き、時折“カラリ”と鳴いた。


 壺が、脈動していた。


 その音だけで、空間が歪む。

 音もなく、形も変わらぬままに。

 それでも確かに、そこに“何か”が在ると分かる。

 肌が、魂が、そう訴えてくる。


 セリエスは、無言のまま進み出た。


「……ハァ、ハァ……」


 喉の奥で、呼吸が暴れる。

 理性が、逃げ出せと叫ぶ。


 それでも、震える手で──鎖を解いた。


 カチャリ、カチャリ。

 銀の音が天井に響き、蓋が、ゆっくりと外された。


 壺の奥。


 深い、深い、闇の中。


 見えたのは──血のように濁った視線。

 どこまでもどこまでも深く……暗く、この世の総てを恨むかのような節穴。


「──ッ!!」


 即座に蓋を閉じ、焦った手つきで鎖を戻していく。

 決して此れを世に解き放たないように……。


 そして作業を終えると同時に──


「──ッゥ……オエェッ!! グェエッ!!」


 胃が裏返るような衝動とともに、セリエスはその場に崩れ落ちた。

 吐き気は止まらない。


 脳裏に、壺の奥で笑っていた“目”が焼き付いて離れなかった。


「……エルジーナ……まだ大丈夫……封印は……まだ──」


 かすれる声で、誰に聞かせるでもなく、彼は呟いた。


 かつて“英雄”が封じた獣。

 世界を壊しかけた一体の、災厄。



 ---



 グランチェスター伯爵邸──書斎隣室



「ねぇ」

「わっ!?」


 ぴょこん、と顔を出したマリィの声に、アーシェは思わず本を取り落としかけた。


「な、なんだ、マリィちゃんか……もう驚かさないでよ……」


 いつになく動揺した様子。

 その手元には、ぼろぼろになった分厚い書物が置かれていた。


「それ、なに読んでるの?」

「えっ、ああ……その、ちょっと古い文献よ。ご先祖様のことが書かれてるって聞いて、気になってね……。ところでセレナは──」


 言いかけたところで、マリィが開けっぱなしにしていた扉から、新たな来訪者が現れる。

 そして、アーシェの持つ本に気づくと──


「──お姉様! また勝手に叔父様の書斎から本を!?」


 案の定。

 口元をキュッと結んで、セレナが従姉をり怒鳴りつける。


「大事な本なんだから、見つかったら怒られますよ!? 悪いことなので、この件はお父様にいいつけます!」

「……うるさいなぁ、セレナは……」


 ぶすっとした顔で答えるアーシェ。

 セレナのその言葉に、一時的に言葉が詰まったが、次の瞬間にはにやりと悪戯っぽく笑う。


「セレナ……チクったら、私も“あのこと”言いつけるわよ? 何年前だったっけ、カンタリオンから本家に遊びに来た時、家宝の盾に落書きしてた子は……」

「う……そ、そんな前のことをっ!?」

「誰が必死に消してあげたと思ってるのかしらね~?」


 セレナの瞳が潤みはじめる。

 ぷるぷると肩が震え──そして決壊した。


「お姉様の……意地悪……ひぐっ」


 潤んだ瞳をこすりながら、セレナは涙声でそう言った。

 まさか、そんな昔のことを蒸し返されるとは思っていなかったのだろう。


 自分の言っていることが正しいのは分かっている。

 書斎から無断で本を持ち出すなんて、明らかに咎められるべき行為だ。

 けれど──アーシェには、口では勝てない。


 正論よりも、弱みを握られる方がずっと恐ろしいのだ。


 マリィがやさしくセレナの頭を「よしよし」と口で言いながら撫でて慰める。

 その手は小さいけれど、どこか温かくて、不思議と落ち着く。

 見た目こそセレナと大差ないが、先週のような幼児っぽさは徐々に抜け、彼女の成長速度が窺える。


「アーシェ、それ、何が書いてあるの?」

「えーっとね……」


 アーシェは少しだけ気を取り直して、ページを開いた。


「ルドヴィク・グランチェスター。今から千年前に活躍した、我が家の先祖であり、かの女神アルティアと共に戦ったとされる大英雄の話よ」


 アーシェがそう言いながら本を捲るたび、古びた紙片がぱりぱりと乾いた音を立てる。

 だがその記された内容は、乾燥した歴史などでは到底済まされない、生々しい“記録”だった。


「この時代、人族と魔族の間には、今とは比べものにならないくらい深く激しい断絶があったらしいわ」


 彼女の声に、セレナもマリィも自然と息を詰めた。


「魔族は、ただの敵じゃなかった。人族に虐げられ、理不尽に領地を奪われ、尊厳を踏みにじられた彼らは、ついに反旗を翻した。そして──その戦いを率いたのが、“四魔王”と呼ばれる魔族たちだったの」


 まるで血で綴られたかのような記述だった。

 そこには名も無き兵たちの死に様が、焼け爛れた大地の描写と共に刻まれていた。


「大賢者として名を馳せていたルドヴィクは、女神、そして仲間と共に軍を率いて、魔族たちの討伐に乗り出した。けれど、もっとも恐れられた──エルジーナという魔王が参戦した時、状況は変わった」


 その名が語られた瞬間、室内の空気がわずかに張り詰めたような錯覚が走った。


「彼女は……魔王でありながら、獣のような奴だったらしいわね。知性というより、“本能”そのもので動く、戦場の死神だったと書かれているわ」


 アーシェは頁を捲りながら、唇をきゅっと結ぶ。


「まるで稲妻のように戦場を駆け抜け、気づいた時にはすでに、数十の兵が肉塊となって横たわっていた。そう、“通った場所には死体の山が築かれる”。そう表現されている」


 語る声が次第に熱を帯び、空気が張り詰めていく。

 冗談や妄想ではない。本に刻まれた“事実”が、過去の戦火を呼び戻す。


「軍が壊滅したという記録は、一度や二度じゃない。どれだけの術師が魔術を放とうと、どれだけの騎士が剣を振るおうと、彼女には通じなかった。何をもってしても攻撃が当たることはない。それが、エルジーナ」


 本の頁を、アーシェは一枚だけ間を置いてめくる。


「そして……ここからが肝心。討てぬと悟ったルドヴィクは、仲間たちの犠牲を背負いながら、ある選択をするの」


 アーシェは本を傾け、マリィとセレナにも見えるようにする。


「──錬金術。書にはそう記されているわ。彼はその禁術の一端に手を染め、自らの魂と引き換えに、聖なる器──“壺”を作り出した。たとえどれほどの速度を持ってしても捉えられなかったエルジーナを、空間ごと圧縮し、そこに封じた」


「けれど……」と、彼女は目を伏せる。


「封印は完全ではなかった。“いつか解ける”。そう書かれてる。そして──“後は、頼んだ”。と、超無責任よね」


 静かに、けれど呆れたようにアーシェは呟く。


 セレナは、何も言えずにそのページをじっと見つめていた。

 マリィだけが、ページの挿絵のような、壺に絡みつく鎖の図をじっと不思議そうに眺めていた。


「だ、大丈夫なんですか……!? それって、いつ封印が解けるか分からないってことじゃ……!」

「まぁ千年も大丈夫なら、今さらって感じでしょ? それより私は、魔術大学に入ったらマリィちゃんと遊べなくなる方が深刻よ!」


 ずるっと体重をかけてマリィに抱きつき、ぎゅううと頬を寄せるアーシェ。


「きゃっ、アーシェ……くすぐったいよぉ……」

「うー、今のうちにチャージしとかないと……!」

「もう、わ、私も……怖い話を聞かせないでください」


 話を聞かされたセレナは目を伏せて不安を隠しきれない様子だったが、あまりにも緩い従姉の空気感に気おされ、三人は寄り添い、午後のひとときを静かに過ごしていた。


 ──その足元で、閉じられた書物の背表紙がわずかに震えたように見えたのは、気のせいだろうか。

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