第百十八話 「死者は甦らない」
「本日は、ご案内いただきありがとうございました!」
セレナが丁寧にお辞儀をする。
気づけば、空は茜色に染まりつつあった。
ロータスも恐縮したように頭を下げ──ふと、何かを思い出したように顔を上げる。
「あの……すみません。言い忘れていたことがありまして。少しお時間をいただけませんか?」
「俺に?」
振り返ると、彼の瞳はどこまでも真剣だった。
「はい。申し訳ありませんが。御三方、彼を少しだけお借りしてもよろしいでしょうか? 時間は取らせませんので」
「え? 私たちがいるとダメな話なの?」
アーシェが不満そうに眉を寄せる。
ロータスは少し困ったように笑った。
「そういうわけではないのですが……まあ、そういうことになるんですかね。ご理解いただけると助かります」
「男同士の話ってことだろ?」
俺が軽く言うと、アーシェは半目で睨みながら毒を吐いた。
「エッチな話じゃないでしょうね?」
「あのですね……アーシェさん。私は一応神父ですからね……?」
「巨乳シスターに叩かれて嬉しそうな神父様?」
「いえ、あの、それはですね……盛大に誤解されています!」
「もういいから、お前もいちいち絡むなよ」
手で払いのけると、アーシェは「ふんっ」と鼻を鳴らしながら踵を返した。
「じゃあ、なるべく早く済ませてよね。女の子三人も待たせてるんだから」
「わかってるよ」
その背中を見送りながら、ロータスは軽く肩をすくめ、俺にだけ聞こえる声で静かに言った。
「それで話というのは他でもない。あなたとマリィさんのことなのですが……お二人とも、生まれはこの街で?」
「……? 違うけど、それが何だ?」
いきなり予想外の質問に、若干だけ面食らった。
なんでわざわざそんなことを?
「俺もマリィも、ヴァレリア大陸から来た口だけど」
「旅人の方でしたか……いや、失礼。有名な話ですが、人攫いの件が、どうやら最近この大陸で増えてきたという報告が増えてきましてね……この大陸の生まれでないなら、と」
苦虫を噛み潰したような顔をして、ロータス神父は歯切れ悪く言葉を紡ぐ。
それはつまり──
「田舎に帰った方がいいんじゃないかって? 勘弁してくれよ」
「ですが」
「あぁ、悪い。ちょっとまって」
参った。
俺は頭を掻きつつ、何と返すべきか言葉を選んだ。
「帰ろうにも海路は魔物が激化していてどこも船は出ていないしな。それに、せっかくセレナやアーシェと知り合えたのに、俺たちだけでそんなことできないよ。心配してくれるのはありがたいけど、これでも一応Dランクの冒険者だし、用心はしてるつもりだ」
「一応とはどの程度で? 失礼ながら、認識が甘いように思われますが」
「……食い下がるなぁ」
少し意外だ。
なぜこんなに心配されているのだろう。
確かにマリィが人族の少女になってしまった以上、ザミエラたちによる人攫いの警戒もしなくてはならないが……。
「心配するなとは言わないけど、他人のことばかり気にしてるより、自分の身も守りなよ。見た感じ強そうには見えないし、これでも俺、そっちの心配もしてるんだから」
過度に心配されると、相手の方が気になってくる。
我ながら少し乱暴気味にそう語気を強めると、神父さんは困惑気味に笑みを浮かべた。
「参りましたね……私の古くからの友人にも、同じことを言われましたよ。彼は臆病な私にとって、憧れの対象でしたが……。残念なことに、そういう人ほど早世しやすい。生きる速度が、私のような者とは違うんでしょうねぇ。お陰でよく置いてけぼりをくらいます。ですから──」
「ちょっとストップ。やめてくれないか、そういうの」
まったく縁起でもない。
思い返せば、クリスと言いベルギスと言い、確かに心配性で全部背負ってやるぜな奴が死ぬのは早い気もするが……。
いや、ベルギスは今回は死んでないけど。
しかし、何を年寄りみたいなことを言ってるんだか。
俺をそんなタイプみたいに言ってくるが、なぜそんな風に思うのだろう。
これでも平和主義者なのに。
「俺は自分を第一に考えてるよ。卑怯者で、逃げ出すようなタイプだ」
「そういう人ほど、いざという時は自己を省みないものなんですよ。あなた一人だと逃げるかもしれませんが、危険な局面において、守るべき存在がいると自分一人でもなんとかしようとしてしまう。そう言う人物に見受けられますが、どうですか?」
「…………」
そりゃあ確かに、前科はあるけど。
「結局その……話っていうのはそういうこと? 悪いんだけど、説教ならミサの時にでもしてくれない? しばらくはこの街にいるし、なんだったらまた顔出すから」
「いえ、そうではなく、私はただ──」
「ちょっとフェイクラント!! いつまで話してんのよ!!」
ほらきた。
「ってわけで、なんか短気なお嬢様が怒鳴ってるから、その話はまた今度。神父様も俺の心配してる暇があったら、シスターにいじめられないように気をつけなよ。それじゃ」
どうにも堅苦しい雰囲気になりそうだったし、アーシェの短期を理由にこれ幸いと切り上げる。
ロータス神父もだいぶ変わった人だったけど、やはり神父だけあって説教がお好きなようだ。
俺はそういうタイプの人が、少々苦手だったりする。
だが──
「フェイクラントさん、では最後に一つ。あなたは先程、田舎には帰らないと仰った。でも、あなたの……マリィさんのご両親は心配しないのですか?」
「…………」
両親?
────なんだ、それは。
「心配も何も、会ったことないよ。元々孤児だったし、親代わりの神父もいたけど、もうこの世にはいないしな……」
「そうですか。これは申し訳ない。失言でしたね」
「いや……」
ロータス神父は静かに頭を垂れる。
その仕草は誠実さに満ちていて、嘘偽りは感じなかったが……。
けれど、彼はふと思い出したかのように顔を上げると、穏やかな声でさらに続けた。
「では……逢いたいとは思われますか? もしそれを叶える術があるとしたら」
「……は?」
ロータス神父の言葉に、俺の息は反射的に止まった。
死者と……再会?
もし、そんなことが可能なのか──?
胸の奥が、ひやりと冷える。
マリィは、クリスにそっくりだ。
その笑顔も、声音も、無邪気な仕草も。
でも、それでも──彼女はクリスではない。
けれど、彼女はクリスの魂を受け継いでいるだけの、俺の家族だった“マルタロー”の延長線上にいる存在であって、
決して──クリス本人ではない。
昨日から一緒にいて、ふとした拍子に彼女を“思い出す”ことはある。
けれどそれは幻影のようなもので、本物の彼女がそこにいるわけじゃない。
俺は、クリスを失った。
目の前で、確かに。
そのあと何ヶ月も、毎晩悪夢にうなされた。
暗闇の中で響く、クリスの泣き声と悲鳴。
顔のない“何か”に引きずられていく姿が、焼きついて離れなかった。
その夢の中で何度も手を伸ばした。
届かず、何も掴めず、彼女は──泣いたまま、消えていった。
……もし、本当に“あの彼女”と再会できるというのなら。
「どうですか? フェイクラントさん」
神父が再び問うてくる。
俺は、無理やり首を振り、その想いを必死に打ち消した。
いや待て、落ち着け。
死者と再会なんて、ありえない。
そんなものは絵空事だ。
相手は神父だ。
こういう「生と死」に関する問いは、聖職者がよく使うものだろう。
信仰心を試したり、人生観を問うような……そういう“儀式”的な問いかけだ。
乗せられるな。
考えるだけ無駄だ。
あの子はもういない。
そうだろう──
死者は、甦らない。
それが常識だ。
まったく、一つだけと言っておきながら、質問が増えてるな、神父さん。
苦笑しつつ、俺は肩をすくめる。
俺は、静かに、そしてはっきりと答えた。
「…………死者と再会なんて……そんなことは、思わないし、願わない。……狂おしいほど愛しているとかはわかる……けれど、そういうのを望む奴は、死を軽く考えすぎてる」
生きる者と死者は交わらないからこそ、美しいのだ。
命とは、戻らないからこそ輝く。
「亡くして、取り返しがつかないから、人はそれを大切に思える。そうじゃないのか?」
たしかに願ったことはある。
今はマリィの中に魂があるとはいえ……もう一度あいつの笑顔を見られたらと。
けれど──
それは、生きていてこその願いだ。
墓の中から引きずり出してまで叶えたいとは思わない。
「墓から這い出てくるのは、なんであれゾンビ──アンデッドだよ。親でも、友達でも、恋人でも……そんなものには変えられないし、変えちゃいけない。俺はそう思うけどな」
言い切ったあと、ふと神父を見る。
ロータス神父は、一瞬だけ怪訝そうな顔をした。
だが──すぐにいつもの柔らかな笑みに戻る。
「なるほど……ふふ、なるほどですね。確かに、あなたの仰る通りかもしれません」
まるで何かを飲み込むように、ゆっくりと頷く。
「重ねて失礼しました。こうして迷子の果てに出会えたご縁です。あまり無粋なことは尋ねるべきではありませんでしたね」
「まぁ、いいけどさ」
思わず肩をすくめる。
言い争うほどのことでもないし、これで終わるならそれでいい。
「それではまた、ミサに来ていただけるなら、その時に続きを」
ロータス神父はにこりと微笑み、優雅に一礼した。
その表情には、どこか吹っ切れたような潔さがある。
俺は苦笑しながら手を軽く振った。
「気が向いたらな」
「ええ、気が向いたらで構いません。ですが、あなたならばきっと訪れることになるでしょう」
何気ない口調だったが、どこか確信めいた響きを孕んでいた。
それに気づきつつも、俺は深く考えず背を向ける。
「じゃあな。シスターに叱られないうちに戻れよ」
「はは……気をつけます」
軽い冗談に苦笑を返すロータス。
その背後で、藍色の髪を持つシスターがじっとこちらを見ていることに気づくと、俺は小さく手を振り、アーシェたちのもとへと足を向けた。
もう一度だけ振り返ると、ロータス神父は遠ざかる俺たちを見つめながら、静かに胸に手を当てて祈るような仕草をしていた。
──なんだかんだで、変な人だったな。
けれど、その分だけ妙に印象に残る神父でもあった。
そう思いながら、俺はマリィたちが待つ場所へと歩みを進めた。
──本心を隠しながら。