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第百十七話 「シュヴェルツの大聖堂」

「すごーい!!」


 マリィの歓声が、大聖堂の高い天井へと朗々と響いた。


 真昼の陽光を受けて、荘厳なステンドグラスが七色の光を礼拝堂内に降り注いでいる。

 その光が、マリィの白銀の髪と瞳に反射し、まるで祝福を受けた聖女のように輝いて見えた。


 本来ならば、こんなふうに観光気分で踏み入れられる場所ではないのだろう。

 だが──案内役のロータス神父が、大仰な仕草で係員に話しかけると、あっさりと門が開かれたのだった。


「ふふ、ロータス様は新任とはいえ、大聖堂直属の神父だったのですね」


 セレナが、気品に満ちた微笑みで説明を添える。

 その言葉どおり、俺たちは何の咎めもなく、荘厳たる大聖堂の心臓部にまで足を踏み入れていた。


 圧巻だった。


 ここまで豪奢で格式高い建築物を、俺はこれまでの人生で目にしたことがなかった。

 壮麗な柱が天空へと伸び、祭壇には純白の布と金銀の燭台が並ぶ。

 荘重な空気の中に漂うのは、静謐でありながら、どこか人々の祈りの温もりを感じさせる神聖な雰囲気。


 そして、何よりも目を引くのは──


「わぁ……そとでみたひと!」


 マリィが指さす先、ルドヴィク・グランチェスター。

 堂内にも、その堂々たる石像が鎮座していた。


 ただし、外にあったものとは異なり、この礼拝堂の像はより繊細な彫刻が施されており、ルドヴィクの鋭い眼差しや、たなびくマントの皺までもが精密に表現されている。

 手には荘厳な杖を携え、女神の光を宿した勇者として、その威風を余すところなく刻みつけられていた。


 さらにその周囲には──


「他にもあるわね、像」


 アーシェが歩み寄り、順々に見上げる。

 ルドヴィクの周囲を取り囲むようにして配置されているのは、彼と共に戦ったであろう英雄たちの石像だ。


 まずは、二体の竜を従えた双子の兄妹の像。

 竜の彫像までもが生きているかのような躍動感で、鋭い鱗の一枚一枚が光を受けて陰影を描き出している。


「……伝説の龍を操り、共に戦った双子」


 説明文が淡々と記されているが、そこに名はない。

 ただ、妙に気になるのは──双子たちの顔立ちだ。

 どこか、既視感がある。

 特に、片方の鋭い眼差しに、俺は何とも言えないざわつきを覚えた。


「気のせいか……?」


 首をひねりながら視線を移すと、続いては現代には失われてしまった古代魔術を操る青年の像が現れる。

 古代魔術……と聞くと偏屈なジジイの顔が浮かぶが、この男はそんな感じは微塵も感じさせないイケメンだ。


 そして、その隣。


 剣を構えた少女の像。

 細身の刃を両手で携え、足元には魔法陣が刻まれている。


 ──剣に魔術を乗せた少女。

 どういうことかと視線を巡らせると、剣身の表面に走る細かな刻印が目に入る。


「これが魔術剣か……」


 俺は思わず唸った。


 剣に魔術を付与する。

 俺のように魔力の少ない者にとっては、非常に理想的な技術だ。

 使うたびに魔力が枯渇してへばる俺としては、まさに喉から手が出るほど欲しいスキルだった。


「気になりますか? 魔術剣の彼女のことが……」


 耳元でロータスの穏やかな声が響く。


「ああ。古代魔術の男や竜使いの双子もすごいけど……」

「彼女もまた、生まれつき魔力は少なかったと伝えられています。持ち前の器用さと執念でそれを補い、結果として魔術剣が生まれたそうですよ」

「へぇ……」


 努力の果てに辿り着いた戦い方──どこか、他人事とは思えなかった。


「彼らは仲間というよりも、師弟の関係だったとも言われています。まあ、どちらにせよ英雄たちには違いありませんが」


 ロータスはそう続けたあと、ふと少しだけ視線を遠くに投げた。


「けれど、もしかしたら──この広い世界のどこかに、彼らの子孫が今も生きているのかもしれませんね」

「はは……まさか」


 笑って返そうとしたその瞬間だった。


「ロータス」

「ひぃ!?」


 不意に、鋭く冷えた声に、ロータスは俺たちが振り返るより早く悲鳴を上げた。


 そこに立っていたのは、藍色の流れるような髪を持つシスターだった。

 艶やかな髪はまるで夜の海を思わせ、頬を伝う一粒の泣きぼくろが、彼女の母性をひときわ強調している。  普段なら穏やかそうな瞳も、今は吊り上がり、非情な鉄の意志を宿していた。


「ロータス。あなた、一体どこをほっつき歩いていたのですか?」


 優雅にして鋭利な口調。

 まるで慈愛の顔を持つ獅子のような気品が、彼女の全身から滲み出ていた。


「う、うぐぐ……いやその、私はただ新任の挨拶を兼ねて市民との交流を……」

「嘘を仰いなさい。昨晩から酒場で飲み明かしていたという報告はすでに受けています。いいですか? あなたのようなだらしのない、いい加減で嘘つきな酔っ払いは──」


 ぐさっ。


 と、言葉のナイフが容赦なくロータスの心臓を抉る。

「若者たちの情操教育に最悪です。あなた、自分がなぜここに左遷されたか、思い出してください」

「ち、違いますよ!? 私はシュヴェルツで迷いに迷っている迷子の羊であって、べ、別に飲んだくれてなど」


 神父よ、往生際が悪いな。

 こりゃ擁護できない。


「おお……神よ、以前の赴任先でもそうだったのですが……なんで私の周りにはいつもこういう──」

「なんです?」


 冷ややかなシスターの追撃に、ロータスは慌てて言葉を飲み込んだ。


「魅力的な、女性しか……いないのでしょうかねぇ……」

「……」


 否定できなかった。

 なぜだか、俺の周りも似たようなもんだからだ。


 思わず心の中で苦笑しつつ、目の前の二人のやり取りを眺める。

 ──だが、不思議だった。

 彼らは出会ったばかりのはずなのに、どこか旧知の間柄のような、深い絆を感じさせるのだ。


 あるいはこれが、神職者同士の「縁」なのかもしれない。


「まったく……困った人ね」


 藍髪のシスターは溜め息ひとつ。

 けれど、その横顔は厳しさのなかにも凛とした美しさがある。


「私はレイ・シルヴァリア。この大聖堂で教導官を務めています」


 滑らかな所作で裾を摘み、優雅に一礼するレイ。

 その動きは隙がなく、まさしく神の僕として相応しい品格を備えていた。


「アーシェ・グランチェスターよ。こっちはセレナ、従妹のマリィ」

「よろしくお願いします!」


 アーシェの簡潔な紹介に合わせて、セレナも優美に一礼し、マリィは両手でスカートをつまんでぺこりと頭を下げた。


「まりぃですっ!」


 その微笑ましい姿に、レイの表情が一瞬だけやわらぐ。


「ふふ、かわいらしい方々ね」


 柔らかな声音でそう言いながらも、すぐにレイの瞳はキリリと引き締まる。


「でも──この人は気を抜くとすぐに抜け出して、お酒を飲みに行ってしまうの。街で見かけたら遠慮なくひっぱたいて連れてきて構わないわ」

「そんなっ!?」


 ロータスが顔を真っ青にし、慌てて手を振る。


「お酒を飲むことは禁じられていないはずです! お酒は、ええと……そう、神に近づけるひとつの手段でありまして! 祈りと酩酊は隣り合わせと言いますし!」


 苦し紛れの言い訳が、堂内にこだまする。

 すると、ロータスはすがるような眼差しで俺のほうを振り向いた。


「フェイクラントさん! あなたなら分かっていただけるでしょう!? 壮年者として! 数少ない楽しみを奪われる、この切なさがっ!」


 なぜこっちに振るのか。

 俺は軽く肩をすくめた。


「いや……まぁ、お酒を飲むなとは言われてないだろ。仕事を終わらせてから行けばいいじゃないか……」

「なんとっ!? おおお、なんたる無知……なんたる罪……! 神よ、この哀れな男を許したまえ!」


 大げさに両手を広げ、天を仰ぐロータス。

 その芝居がかった所作に呆れていたその時だった。


「この自由な世界での楽しみ方を分かっていないだけなのです──おごふっ!?」


 ──バキッ!!


 乾いた衝撃音が鳴り響く。

 レイの拳が寸分の迷いもなくロータスの頬にめり込み、彼の体が後方へと吹き飛んだ。


 豪奢な大聖堂の石畳にゴロンと転がり、ロータスは虚ろな目で天井のステンドグラスを見上げていた。


「ふふっ」


 にっこり微笑むレイ。

 その笑顔は冷ややかな慈悲に満ちていて、むしろぞくりと背筋に寒気が走るほどだった。


「こうやってたまにバグるから、遠慮なく殴っていいのよ? 右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出すのが好きな人だし」

「ちょ、ちょっと待ってください!? 私の教義は平和と愛と寛容ですよ!? いくら何でも物理的に愛を教えるのは……!」

「それなら今のは愛の鉄拳ね」

「ぐうっ……!」


 無慈悲に告げられ、ロータスはぐらぐらと体を揺らす。


 俺は思わず眉をひそめたが、すぐに納得する。

 こりゃたしかに、街で見かけたら問答無用で引きずってきた方がよさそうだ。


「ふふっ、ロータス様。少しは懲りたでしょうか?」

「……ぐぅぅ……」


 セレナの呆れた声に、ロータスは観念したように小さく頷いた。


「わたしも、つれてくるね!」


 そんな中、マリィが無邪気に拳を握りしめて宣言する。


「ふふ、お願いねマリィちゃん。とくに酒場から出てこないときは、耳を引っ張ると効果的よ」

「うんっ!」


 無垢な笑顔で返事するマリィに、レイは慈愛に満ちた微笑みを返した。


 ──こうして、大聖堂の新任神父と教導官という新たな二人が、俺たちの日常に加わったわけだが。


(……大丈夫か、この二人)


 胸の奥に、ほんの少しの不安が芽生えるのを、俺は否応なく感じていた。

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