表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

113/227

 幕間 「ラドランの灯」 【三人称視点】


 ラドランの街。


 そこにある一軒の家──木造の二階建て、質素だが、整った外観を持つ門番・アルドの住まい。

 昼過ぎの陽射しが、すりガラス越しに柔らかく差し込み、家の中に淡い光を広げていた。


 居間の奥、寝室の一角。

 そこには、一人の少女が眠っていた。

 静かな寝息と、かすかに動く胸元。

 その傍らには、アルドが椅子に座っている。腕を組んだまま、目を閉じていた。


 テーブルの上には、小さな小瓶。

 澄んだ緑色の薬液が、淡く揺れていた。


「本当に治るのか!?」


 ドアが乱暴に開き、荒い足音と共に現れた男が、感情を隠さずに声を荒げた。

 門番・ランス。

 フィーネの恋人であり、アルドの同僚だ。


「……静かにしてろ」


 アルドは、低く、しかしはっきりとした声で言った。

 目を閉じたまま、それでも隣の少女の眠りを乱すなと、語気に込める


 事の発端は、二週間ほど前だった。


 フィーネがどうしても見たいと言った花があった。

 エルミナの灯草。

 青白く光る、幻想的な花。霧ヶ丘に自生しているというそれを、少女はどうしても一度この目で見たかった。


 反対したはずだった。

 けれど──優しい兄と、恋人は、少女の願いを無下にはできなかった。


 だからこそ、アルドとランスは護衛として同行したのだ。


 帰り道。

 霧が深まり始めた丘の途中で、突然の羽音とともに現れたのが──眠禽グライオスだった。


 巨大な鳥のような魔物。

 青灰色の羽、鋭い爪、そして──口から放つ、濃密な催眠ガス。


 なんとか撃退はした。

 だが、フィーネはその時のガスを吸い込んでしまった。


 ……それ以来、ずっと目を覚まさなかった。


 医師に見せても、薬師に頼んでも、これだけ長く眠っている理由は分からないと言われた。

 誰にも、どうすることもできなかった。


 ランスは、それから変わってしまった。

 夜に酒場に入り浸り、荒れた口調と態度。

 部下に怒鳴り、物に当たり、そして何より、自分を責め続けた。


 魔物を、より激しく憎むようになった。


 仕方がないことだった。

 ラドランという街は、代々、魔物の脅威と戦い続けてきた街だ。

 壁の外にある森も丘も、そこに巣食う獣も──人々にとっては敵以外の何物でもない。


 その中で、たとえ理屈でわかっていても、“魔物のせいで恋人が目を覚まさない”という現実は、容易に怒りへと変わる。


 アルドは静かに、小さな瓶を取り出す。

 中には、青白く淡い光を放つ薬液が満ちていた。


 小さなスプーンで、フィーネの唇へと薬を運ぶ。

 数滴。

 ほんの数滴を飲ませると、彼女の胸が小さく揺れた。


 二人は息を呑む。


 時が止まったような静寂の中──


「……ん……」


 長いまつげがふるえ、少女の瞳がゆっくりと開かれた。


「……おにい……ちゃん……?」


 寝起きの声は、どこかけだるげで、夢の続きを引きずっているようだった。

 けれど、それでもその言葉は──あまりにもはっきりとした、生の証だった。


「気がついたか!! フィーネ!!」


 兄の隣に立つランスの声に、フィーネが思わず瞬きする。

 目を丸くする少女を、ランスは何も言わずに強く抱きしめた。

 声が震えていた。

 肩も、指先も、堪えきれないほどに震えていた。


「きゃっ……!? ランス……? ど、どうしたの……?」


 やがて、顔を上げたランスの頬には、久しぶりの笑みが浮かんでいた。

 それは、どこか少年のような、無垢で、まっすぐな──久しく見ていなかった、彼本来の笑顔だった。


「やったなアルド!! この薬、いったいどこで手に入れたんだよ……!!」


 ランスが叫ぶようにして問う。

 アルドは、静かに答えた。


「……街のみんなが、血眼になって探していた人からだよ」

「……ッ!?」


 その言葉に、ランスは言葉も出なかった。


 グランティスから旅してきたという、どこか抜けた雰囲気の男。

 彼は魔物を殺さず、言葉で叱って追い返していた。

 当然、ランスは彼に不信と警戒の目を向けていたというのに──恋人はその男によって救われたと言われると、反応に困る。


「まさか……この街に魔物を連れ込んだっていう、あの……?」

「そう。あの人だ」


 ランスの顔から、笑みが少しずつ消えていく。

 そして、その代わりに複雑な表情が浮かんだ。


 アルドは立ち上がり、窓の外に目を向ける。

 遠くの空に、青い風が流れていた。


「なあ、ランス……僕らの街は、昔から魔物と戦い続けてきたよな。俺だって魔物は怖いし、憎いって思うこともある」


 拳を、強く握る。


「でも……ああいう人まで、退けてしまったらいけないんじゃないか?」


 ランスが、黙ったまま視線を逸らす。

 そして、ゆっくりと──けれどはっきりと、言った。


「……その考えは、間違いだ。アルド」


 その声には、迷いがあった。

 感謝と信頼と……そして恐れと、正しさを守ろうとする、頑なさ。


「今回のことは、心から感謝する……でも……魔物と関係を持つ人族を、信用するわけにはいかない。今回のことがすべてじゃないんだ。そこを間違えるなよ……」


 その言葉に、アルドは微かに目を伏せた。


「……間違い……か」


 呟くように言ったその声には、揺るぎない思いが滲んでいた。


「街のルールに縛られていたら……妹は……フィーネは、目を覚ますことはなかったかもしれないんだ……」

「…………」

「それでも間違っているのか……僕の考えは……」


 その言葉に、ランスは何も返せなかった。


 風が、窓の隙間から吹き込んで、カーテンを揺らす。


 静かな午後。

 目覚めた少女の声と、薬瓶の中の光が、ただ淡く、部屋を照らしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ