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第百七話 「魔術師見習い卒業」

 マルタローの眠るシュヴェルツへ帰る前に、もう一度だけラドランへと戻ることにした。


 今すぐにでも、あの子の隣へ帰りたかった。

 だが……筋は通すべきだろう。


転移魔術(オリナス)


 その名を小さく唱えた瞬間、俺の体は再び粒子へと変わり、空間に溶けていく。


 ──視界が揺れ、意識が跳ねる。

 次の瞬間、ラドランの街の片隅にある、あの木造の屋敷──いや、“研究所”の前に俺は立っていた。


 そして。


「ようやく帰ったか」


 真横から飛んできたのは、低く呆れたような声だった。


「うおっ……!?」


 完全に油断していた。

 転移したばかりで足元がふわついていた俺は、思わずよろめいた。


「まったく、試験的に使うって言った時、もっと近場で転移するようにと言ったじゃろうが」


 そう言って腕を組むのは、小柄な老人……否、爆発と激昂と変なポーズで構成された生命体・ブリーノ師匠その人である。


「ま、うまく帰ってきたなら良い。入れ」


 そう言われて屋敷の中へと入ると、前回爆発で吹き飛んだ書物や薬瓶たちが、嘘のように元通りに片付けられていた。

 ぐつぐつと煮立つ壺の中では、青白い光を放つ何かが泡立っている。

 天井からは新たに吊るされた標本植物。

 机の上には、無数の薬草と鉱石。


 ──何が恐ろしいって。


 爆発の痕跡が、一切ない。


「あれ? めっちゃ綺麗になってる……」

「当然じゃ。掃除(クリーニング・)魔法(エクスプロージョン)でな」

「……エクスプロージョンつける必要、あった?」

「ある。語感じゃ!」


 そう断言し、ブリーノは嬉々として分厚い古文書をめくり始めた。


「どうじゃ? 転移魔術は! 感動したじゃろう!? このブリーノ様の天才っぷりに!」

「ああ……マジで半端なかった!」

「ほっほっほ、当然じゃ!」


 嬉しそうに鼻を鳴らしながら、杖をクルクルと回すブリーノ。


 この男、天才かと聞かれれば、間違いなく天才の部類だろう。

 だが、それ以上に危険で、厄介で、混沌の申し子なのは残念なポイントだ。


「ブリーノ……やっぱあんた、すごい魔術師だったんだな」

「ぬわははは! 錬金術師と言え! では次の古代魔術、いってみようか!!」

「……次?」


 唐突に決めポーズを取って、俺の鼻先に杖を突きつけてきた。


「なんと、転移魔術とは別にもう一つ研究しておった古代術式があってな。エルミナの灯草の余剰魔力を用いて、先ほど完成したのじゃよ!!」

「いや、俺はもうマルタローのところに早く帰りたいんだけど。っていうか、その前にこの髪型をどうにかしてくれよ」


 言いながら、俺はバンダナを外した。

 サイファーリスペクトの、つるつるの波平ヘアーがあらわになる。


「約束だろ!? 元に戻してくれるって!!」

「ぬん!!!」


 俺の言葉すら遮って、ブリーノは高らかに構えた。


「おい!? 話を──」

「はぁあああああッ!!」


 魔力の渦が生まれる。

 古文書が勝手にめくれ、床に刻まれた魔方陣が薄く光り始める。


「いくぞッ!! セクェレシスッ!!」

「なっ、ちょっ……やば──」


 ──ゴォォォォォッ!!!


 部屋中を揺らす轟音とともに、俺の視界は白煙に包まれた。


「げほっ……げほっ……な、なんだコレ……」


 煙を手で払いつつ、足元を確認する。

 爆風はさほどでもない。

 服も無事だ。


 じゃあ──どこに術を放ったんだ?


 視界が晴れ始めた時、俺はブリーノの様子に気付いた。


 ──固まっていた。

 その目は、俺のほんの少し上をじっと見据えている。


「お、おい……ブリーノ?」


 俺も無意識に手を頭へやる。

 ふわり、と指先に触れたのは──もふもふ。


 もふっ、ふさっ、ふかぁっ。


「…………」


 鏡はない。

 だが、感触だけで分かった。


 これは──アフロだ。


 おそらく人生最大級の、完璧すぎる球体アフロが、今、俺の頭に……。


「その……なんじゃ……」

「……………………」

「ぷっ……くっ……き、きっとマルタローなら……その……お前のことを……」

「……何だよ」

「くく……親か何かと勘違いして、ついて回るぞ……モフの一族だとでも思って!!」


 その瞬間、俺の拳が振り抜かれた。


「ぬあぁあああああッッ!!」


 ブリーノ・爆☆殺──


「……はぁ、付き合ってられるか……」


 師匠は天井を叩きながら綺麗に床へ沈み、そのまま動かなくなった。

 ため息をつきながら、俺は家を出ていく。


 俺は、魔術師見習いを辞めた。



---



 日差しの下に出ると、木の葉が揺れる音がやけに心地よく感じた。

 街のざわめきが、まるで祝福のように聞こえる。


 ラドランの空は、今日も青い。


「……気を取り直して、マルタローのところに帰るか」


 そっと懐の中に手を差し入れ、セリエスさんからもらった転移のスクロールを指先で確かめる。

 ちなみに、俺の魔力不足なのか、転移魔術は1日に3回も使えなさそうだった。


 ──その時だった。


「あっ……フェイクラントさん!!」

「へ?」


 背後から声がかかる。

 不意を突かれて振り返ると、そこにいたのは……見覚えのある門番だった。


 初めてラドランに来た時、親切に道案内までしてくれた、優しい方の彼。


「どうしたんです……?」

「こっちへ」


 門番は顔をこわばらせながら素早く周囲を確認し、俺の腕を軽く引いて裏路地へと誘導する。


「えっ、ちょ、何かあったんですか……?」


 人目を避けるように歩く彼の様子は、明らかに只事ではなかった。

 やがて人気のない石壁の間にたどり着いた時、彼はくるりと振り返り、まっすぐに俺を見据える。


「フェイクラントさん……街の中に、魔物を入れましたか?」

「!!」


 その一言で、心臓が跳ねた。

 冷たい何かが背筋を走る。


 マルタローはもうここにはいない。

 けれど……この街に連れてきていたのは確かだ。


 まさか、バレていた──?


「えっと……それは、なぜ……?」

「……昨日、アルス・マグナ教団の布教者が……あなたと“魔物が会話しているところを見た”と、言ってきました」


……あいつらか。


 厄介な布教者たち。

 かつて、門前で出くわした時も宗教に勧誘してきた。


「『彼は魔族の手先だ』とも言っていました」

「そんな……! 俺は魔族なんかと関係ありません!」


 自分でも驚くほどの大声が出た。

 思わず手で口を塞ぎ、周囲を確認する。

 誰も聞いていないようだ。

 

「……で、でも……」


 俺はうつむき、言葉を探した。

 ここで彼に嘘をつくべきじゃない。


「魔物を連れ込んだことは……事実です。すみません。でも、マルタローは悪いやつじゃないんです。あいつは……俺の、家族です。今は別の街に預けていますが……」

「しっ──」


 門番は口元に指を立て、視線で俺を制した。

 その目は、路地の向こうに向けられている。


「……おい、いたか?」

「いや……」


 数人の男たちが、声を潜めながら街の裏路地をくまなく歩いているのが見えた。

 手には棒のような長物を持ち、ただの市民とは思えない物々しさを感じる。


 俺を……探しているのか?


「……フェイクラントさん。急いで街を出た方がいい。見つかったら、何をされるかわからない……」


 その言葉には、紛れもない警告の色があった。


「残念ですが……この街では、“魔物を街に入れた”という事実だけでアウトなんです。良いか悪いかではない……それが、この街のルールです」

「……じゃあ、あなたは。なぜ俺を?」

「……俺は、フェイクラントさんが“何かを企んでる”ようには見えなかったからです。それに、あの教団の言うことを全部鵜呑みにするのも……ね」


 彼の瞳はまっすぐだった。

 まるで、俺のことを信じると、そう言っているような眼差し。


「さあ。こちらへ」


 そう言って案内されたのは、裏門──屋敷や市場を抜けた先にある、緊急用の小さな通用口だった。


「いえ、大丈夫です。俺には転移のスクロールがありますので」


 そう告げて、懐から羊皮紙を取り出す。

 魔術回路の刻まれた一枚の札──“シュヴェルツ”へと帰るためのスクロール。


「……そうですか。なら、なおのこと急いでください」

「ええ。案内もしてくださって、ありがとうございます」


 俺は、深く頭を下げながら、懐から小さな袋を取り出した。

 中には、ブリーノに集めてもらったアイテムを調合した薬を入れてある。


「これは……?」

「俺が調合した薬です」

「薬……?」


 戸惑う門番に、俺はゆっくりと説明した。


「これを使えば……以前言っていた、もう一人の門番さんの恋人を目覚めさせることができるかもしれません」

「えっ……!? 本当ですか!?」

「ええ。グライオスの催眠ブレスは、人によっては長期的な眠りを引き起こすことがあるんです。原因がそれならこれで……」


 門番の目が見開かれ、ほんのわずか潤む。


「……ありがとうございます。本当に……!」

「あと、レシピも同封してあります」

「……ありがとう」


 俺は深く頷くと、転移のスクロールをそっと広げた。

 風が流れる。

 魔力が軌跡を描き、世界がひとつ、形を変える。


「じゃあ、俺は……家族のところに帰ります」

「ええ、お元気で」


 微笑んでそう言った瞬間、視界が淡く揺れた。

 まるで、空気そのものが波打つように。


 世界が崩れ、再構成されていく──


 別れ際の門番の顔は、俺への信頼で溢れていた。

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