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第百四話 「転移魔術」

「おっそいわぁあああああッ!!」

「うゴッ!!」


 ブリーノが勢いよく扉を開けた瞬間、額に衝撃が走った。

 突き飛ばされるように後ずさり、ついでに小脇に抱えていた袋も宙を舞う。


「こ、こっちは命懸けたり色々──」

「む、お前さん、マルタローはどうした?」


 開口一番、ブリーノは真顔でそれを尋ねた。

 怒鳴り声の勢いはどこへやら、返事を待たずにエルミナの灯草が入った袋をひったくる。


「いや……それがよ、色々あって今はシュヴェルツの知り合いのところに預けててさ……」

「ふむ、無事ならよい」


 ──って、あっさりしすぎだろ。


 そう思う間もなく、ブリーノは袋を開け、エルミナの灯草を取り出す。

 すぐさま作業台へと向かい、その足取りはまるで跳ねるように軽やかだった。


「おお、これじゃこれじゃ!! これで行けるぞ!!」


 嬉々として、例の巨大な壺の前で花を掲げ、クルクルと踊るブリーノ。


 ……心配なんかしてたのか?

 今のテンション見る限り、たぶんしてないよな……。


 全身から溢れる無関心のオーラを察して、俺はそっと息をつく。

 まあ、元気そうでよかった。


「あ、そうじゃ。ホイ」

「ん?」


 無造作に投げ渡された小さな皮袋。

 中には、数種類の薬草がぎっしりと詰まっていた。


「ん? じゃないわい。お前さんから頼まれてた薬草の調合リストに書いてたもんじゃろうが」

「あっ、忘れてた……」


 素直に認めるしかなかった。

 あれだけの死闘と逃避行を越えてきたんだ。

 記憶が飛んでいても仕方ない。  


 とはいえ、リストにあった内容の物はしっかりと整っていた。

 さすが錬金術師ブリーノ、こういう仕事は抜かりない。


「では、早速転移魔術を蘇らせる。準備はいいか?」


 彼はエルミナの灯草を魔法陣の中心に据えられた巨大な壺へと放り込む。


 ぶぉ、と、空気が震えるような音。

 魔法陣の回路に魔力が走り、部屋の温度が一気に数度上がった。


 眩い蒼光が床に浮かび上がる。

 魔法陣は脈動するように明滅し、壺の中から立ち昇る魔力の流れが天井を撫でている。


 っていうか、唐突だな……。


 手当てをしてもらったとはいえ、戦闘で満身創痍の身。

 マルタローを置いてきた不安もあり、正直今すぐ転移魔術に乗り出すテンションではない。


「いや、マルタローも迎えに行きたいし、それからじゃダメなのか? それに、原理とかもあまり分かってないみたいな感じだったけど……」

「ふん……原理なんぞ、さきほど解読したところじゃ」


 涼しい顔でブリーノは杖を構える。

 床に描かれた魔法陣──かつて訪れたときにも見たそれは、どこか形が違っていた。


(……書き換えたのか?)


 錬金術は、魔力の構造を「別のもの」に変換する技術。

 つまり──エルミナの灯草が持つ濃密な魔力を、転移魔術へと最適化する。

 そういう仕組みだろうか。


「お前さんの頼みを聞いてやったんじゃ。こちらも聞いてもらう。そこの小さい方の魔法陣に乗れ」


 巨大な壺が鎮座する魔法陣の隣。

 そこには回路を折り重ねるように複雑な紋様が刻まれた、小型の魔法陣が輝いていた。


 この上に乗るということは、すなわち。


「転移魔術……いよいよか……。今では制限の強い転移のスクロールしか存在せんが、古代ではどこへでも行けたのじゃ。お前さんもそれを覚えたくて来たのじゃろう?」


 ブリーノが呟きながら尋ねてくる。

 

 その通りだ。


 西方大陸へ渡った理由。

 アステリアへの道が閉ざされた今、俺の"原作知識"が頼れるのは、この「転移魔術」の存在だけ。


 しかも本来、ゲーム本編ではブリーノがこの魔術を完成させるのは四年後。

 青年編の主人公エミルがここを訪れる未来だった。


 俺は、その"前倒しされた未来"に今、立っている。


 しかし……本当に、成功するのだろうか?

 不安がないとは言えない。

 だが、目の前のブリーノは、自信満々にニタリと笑っている。


「本当に……どこへでも行けるのか?」

「ふふ……もちろんじゃとも……」

「……楽しかったあの頃にも?」

「すまん、それはムリじゃ」


 即答だった。

 でも──バカみたいなそのやりとりに、どこか救われたような気がした。


 戻れないからこそ、今を生きる意味がある。

 過去を求めるのではなく、"帰る場所"を守るために進まなきゃならない。


「では、あとはこれを入れるだけ……行くぞ」


 ブリーノが小瓶を掲げた。

 中には紫がかった銀色の液体が、とろりと蠢いている。

 どこか現実離れしたその輝きは、見る者の神経を緊張させるような、不思議な圧を持っていた。


「ごく……」


 唾を飲み込む音が、やけに大きく響いた。

 ブリーノは慎重に、小瓶の中身を巨大な壺の口元へと傾ける。


 その瞬間だった。


 ──ドガァァァァンッッ!!!


「うおおっ!!?」


 爆音と共に、目の前が白く弾け飛ぶ。

 凄まじい衝撃波が部屋中を駆け巡り、あたりの棚がガタガタと揺れる。


「うごぉぉっ!!?」


 脚立に腰かけていたブリーノが盛大に吹っ飛び、ゴンッという生々しい音と共に床へと転がり落ちた。


 そして、あらゆる隙間からもくもくと濃密な白煙が立ち上る。  たちまち部屋の中は視界ゼロの状態へと変わり、床も壁も、何もかもが“灰”に覆われていった。


「げほっ……げほっ……なんだこれ!?」


 咳き込みながら、袖で口元を覆い、手探りで立ち上がる。

 鼻の中まで炭になりそうな勢いだった。


 しばらくして、ようやく煙が薄れ始める。

 漂っていた重い空気がゆっくりと流れ出し、ようやく視界が戻り始めた。


 ……と、その中で。


「やった……か?」


 痛がる素振りもなく、眼鏡のズレを直しながら、ブリーノがぼそっと呟いた。

 

 ──やれてないフラグの一言を……。


 俺は無言で辺りを見回す。

 体に異常は──ない。腕も足も動くし、服も焦げていない。


 というか、何かが劇的に変化した様子はまったくなかった。


 魔法陣は淡く蒼く光を帯びたまま、依然として脈動している。

 そして壺は──黒煙を吹き出しながらも、なんとか無事に鎮座していた。


「……おい、ほんとにこれ、成功してんのか……?」

「ふふ、試してみればわかる」


 ブリーノが指差したのは、床の隅に描かれた小型の転移魔法陣。

 さきほどより、いくぶん輝きが強まっているような気がする。


「……で、どうすんだ?」

「“オリナス”と唱えてみろ」

「え……詠唱は?」

「必要ない。この魔術は、詠唱によって発動するものではない」


 杖をくるりと回しながら、ブリーノが答える。


「転移魔術とは、“どこに行きたいか”という明確な意志を媒介とする、精神直結型の術式じゃ。魔力の濃度や呪文の難易度ではなく──“想い”がすべてを決める」


 想い……か。

 なんだか神威の発動条件のようだ。

 もしかしたら、昔は神威と魔術は似たようなものだったのだろうか?


「……どこでもいいんだな?」

「うむ。試験的に使うなら、たとえば目の前の廊下でもよい」


 行きたい場所か……。

 

 とりあえず、いきなり遠くへ行くのは怖いので、近くの場所をイメージする。

 そして──


「オ……オリナス……」


 その名を、静かに、呟いた。

 次の瞬間──


 ──ふわり、と。


 重力が消えた。


 いや、違う。

 自分の肉体の“重さ”が、消えていった。


 地に足がついているはずなのに、感覚が浮遊している。

 まるで空気になったかのように、俺の体が透け始めて──


「なっ……なんだっ!?」

「やった!」


 ブリーノの歓喜の声が遠ざかる。

 視界が回転する。

 音が消える。

 俺の足元から、全身が粒子となって宙へと溶け込んでいく。


 感覚はあるのに、どこか遠くに置いていかれたような奇妙な感覚。


 風もないのに、風の中を駆けるような。

 水もないのに、海底を泳ぐような。

 すべてが曖昧で、定まらない。


 やがて、意識がふっと薄れ──


「ん?」


 気がつくとそこは、どこか田舎っぽい……草原が広がる大地の上だった。


「……どこだ、ここ?」


 爽やかな風の音。

 湿った土の匂い。

 すぐそばには小川が流れ、その向こう側は山道になっている。


 そして、目の前には──

 あの日置いてきた"彼女の墓"が、静かに在り続けていた。

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