表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

100/230

第九十五話 「かつての約束」

「──というわけで、古代魔術を復活させる手順はこの通りじゃ」

「…………」


 目の前の巨大なボードには、無数の資料が貼られていた。

 古代文字で書かれた羊皮紙、黄ばんだ書物の切れ端、錬金術に関する魔法陣の図解、そして何かの魔石らしき鉱石のスケッチまで。

 その中心には、転移魔術の発動過程を示したと思われる魔法陣が描かれている。


「これが錬金術の基盤であり、古代魔術を再現する鍵じゃ。錬金術とは、魔力を練り込み、物質の構造を変化させる技術のこと。例えば……」


 ブリーノが何やら難しい専門用語を並べて説明しているが、俺はほとんど聞いていなかった。

 理由は明白──


「俺の髪の毛……」


 俺は椅子の背もたれに寄りかかり、虚空を見つめる。

 目の前に広がる情報の海よりも、自分の頭皮のほうがよほど深刻な問題に思えた。

 人間、何かを失ったときに初めてその大切さを実感するというが、まさかそれが「髪」とは思わなかった。


「魔術を教えたんだから、ちゃんと働け!!」

「あれが教えた内に入ると思ってるのか?」


 俺たちの押し問答はしばらく続いたが、仕方なく話を本題に戻す。

 ブリーノの説明によれば、転移魔術を復活させるにはとてつもない魔力が必要らしい。


 ブリーノは自称「一流の魔術師」だが、それでも全く足りないほどだという。


「古代魔術は"古い記憶"のようなものを復元する作業じゃ。発動させるための情報は揃っておるが、それを動かす魔力が圧倒的に足りんのじゃ」

「ふーん……つまり、復活したら使うのに魔力はそんなに必要ないけど、復活させることそのものに大量のエネルギーが必要ってことか?」

「その通りじゃ!」


 なるほどな。言ってることはわかる。

 ただ、そうなると問題は「どうやってそんな魔力量を確保するか」って話になるわけだ。


「で、転移魔術を復活させるためには、大量の魔力を含んでいると言われている──」


 そう言って、ブリーノは本を開き、標本画を指差す。


「《エルミナの灯草》を採集してきてほしいのじゃよ」


 そこに描かれていたのは、幻想的な植物だった。

 細長い茎の先に、小さな花が咲いている。

 その花びらは淡く光り、まるで宵闇に浮かぶ小さな灯火のようだ。


「この草はな、古くから"魔力を蓄える性質"があると言われておる。夜になるとより強く輝くのが特徴じゃ。できるだけ、強く光っているものを取ってこい」

「へぇ……俺の頭くらい強く光るのか?」

「ええい、ちゃんと元に戻す方法も考えておるから拗ねるな!!」


 またもや口論になりかけるが、今はそれどころじゃない。

 しかし、ふと疑問が浮かんだ。


「…………今思ったんだけど、なんで自分で採りにいかなかったんだ? 魔術だって使えるし、魔物ともちゃんと戦えそうだけど」


 俺がそう言うと、ブリーノは急に神妙な顔つきになった。

 まるで何か言いたくないことを隠すように、目を伏せる。


「……ここを離れられん深ーい事情があるんじゃよ……。それができたら、出ていった息子を探しにも出ておるわ……」

「どんな事情なんだ?」

「……準備をしろ」


 ブリーノはそう言って標本図鑑を勢いよく閉じ、話を終わらせた。

 明らかに"これ以上話すことはない"という意思表示だ。


「なんだよ……」


 それ以上突っ込むのも気が引けたので、俺は渋々と素材集めの準備を始めることにした。

 すると、リュックの中から小さな気配が動く。


「わふ」


 マルタローが、静かに忍び込んでいた。

 どうやら一緒に行きたいらしい。

 ラドランの街を歩く際、マルタローを連れ歩けばリスクになりかねないが……。


 俺が感心していると、ブリーノが急に「ちょっと待っとけ」と言い、マルタローに向かって何か魔術を唱えた。


 すると、マルタローの姿がゆっくりと透け始め、次第に視認出来なくなる。


「うおっ……」

「ふっ……これでラドランの人に見つかる心配はないじゃろ」

「すげぇな……これも復活させた魔術なのか?」

「どうじゃ……面白いじゃろう?」


 ブリーノは満足げに笑いながら、片手を振る。


「魔術とはな、本来、なんでもできるものなんじゃよ」


 得意げに語るブリーノ。

 俺は初めてこのジジイを尊敬した。


「わふ!!」


 姿が見えなくなったマルタローが俺の体をよじ登り、頭に乗ってくるのがわかる。

 今までならマルタローのもふもふによるアフロヘアーというのが定番だった。


 しかし──


 透明になったマルタローでは、ただのハゲに変わりはない。


「ぶははははは!!!」


 またもブリーノが爆笑し始めた。

 何がそんなに面白いのか、もはや俺には理解できない。


 ──もういい、笑いたければ勝手に笑ってろ。

 こっちはこれから、魔術師の助手としての初仕事だ。


 ブリーノはまだ肩を震わせながら、俺に一枚の地図を差し出してきた。


「これを持って行け。エルミナの灯草の群生地は、この"霧ヶ丘"の南西にあるはずじゃ」

「……ふむ」


 俺は地図を受け取り、ざっと目を通す。

 ラドランを出てしばらく西へ進み、そこから南へ逸れた先に"霧ヶ丘"と呼ばれる場所があるらしい。

 その丘のどこかに、魔力を宿した灯草が自生しているというわけだ。


「あ、そうだ。頼みがあるんだけど」


 出発する際、俺がそう言うと、露骨に嫌そうな顔をするブリーノ。


「なんじゃ……金なら無いぞ」

「ちげぇよ」


 金を借りられるとでも思ったらしい。

 息子によく言われたのだろうか。


 俺はポケットから一枚の紙を取り出す。

 気になったことがあったからメモしたものだ。


「これに書いてあるアイテムを集めてくれないか?」

「……薬草の調合リストか? ふむ…… まぁこれくらいならラドランでも集まりそうじゃな。お前さんが考えたのか?」

「いや、サイファーに教わったやつだけど。帰ってくるまでに頼めるか?」

「仕方ないの……。では、そちらも頼んだぞ」

「……あぁ、行ってくる」


 俺は踵を返し、ブリーノの家を後にした。



 ---



 ラドランの街を出る際、少しだけ緊張した。

 何せ、俺の頭には"透明化した魔物"が乗っているのだから。


 何度も周囲の人間の視線を確認する。

 だが、門番も、道行く人も、誰一人としてマルタローの存在を気にしている素振りはなかった。


 ちなみに、さすがにハゲ頭を晒すのも恥ずかしいので、布をバンダナのように頭に巻いている。

 そしてその上にマルタローが乗っかっている状況だ。


「わふ」


 俺の頭の上で、見えないはずのマルタローがぴょこんと動いた。

 ……バンダナの上で動かないで欲しい。

 余計に変な形になる。


 しかし、なんだかんだで、俺はマルタローを頭に乗せたまま、ラドランの門を抜けることができた。



 ---



 街を離れると、道は徐々に細くなり、やがて丘陵地帯へと入る。

 風は穏やかで、草の匂いが鼻をくすぐった。


「……こりゃ、いい場所だな」


 霧ヶ丘という名前から、もっと暗くてじめじめした土地を想像していたが、実際は違った。

 なだらかな草原が広がり、所々に白い野花が咲いている。

 丘の上へと続く道の途中には、ぽつぽつと岩が転がり、長い年月を感じさせる。


「わぅふ!」

「……あれか」


 目的地を見上げると、丘の頂には一本の巨大な木が立っていた。

 風に揺れるその枝葉は、まるで天空を抱くように広がり、堂々とした姿を見せている。


「……よし」


 俺はゆっくりと歩を進めた。

 木の根元に立つと、思わず息を呑む。

 目の前に広がるのは──草原の向こう、遥か遠くに続く海の景色だった。


 空と海の境界が曖昧になるほどの青。

 どこまでも続く水平線が、まるで世界の果てを見せているようで──

 言葉を失うほどに、美しかった。


「……すげぇ」


 俺は呟いた。

 心が、一瞬で奪われる。


 まるで、時間の流れさえも止まったように──

 ただ、ここに立っているだけで、世界に溶けていくような感覚に陥る。


「…………」


 この景色を見ていると、"あの日"のことを思い出す。


『……綺麗……』

『だろ? 俺はいつか教会を出て、冒険者になるんだ』

『冒険者?』

『あぁ、ここから見える草原より、もっと広い世界を見るんだ! 冒険者になって、いろんなとこを旅して……ワクワクしないか!?』


 幼い頃の、フェイクラントの声。

 そして──クリスの声。


 俺の記憶ではないはずなのに──

 懐かしくて、儚くて、温かい。


『じゃあ決まりだな。二人で一緒に冒険者になって、世界を見に行くか!』

『うん!』


 かつて交わした、"約束"。


 俺たちは、世界を見るために冒険者になることを誓い合った。

 どこまでも続く景色を、一緒に見て──

 この世界を、二人で旅するつもりだった。


(……もし、彼女がここにいたなら)


 そっと、目を閉じる。

 もし、今この瞬間、隣にクリスがいたなら──

 この景色を見ながら、どんな言葉を交わしていただろうか。


(……こんな風に、ただ並んで、空を見ていたのかもしれない)


 ……でも、彼女はもういない。

 失ったものは──戻らない。


「……っ」


 頬を伝う熱いものを、指で拭う。

 だが、涙は止まらなかった。


 こんなに美しい景色を前にしているのに、心はどうしようもなく寂しかった。


「……わふ」


 マルタローの小さな鳴き声が、俺の意識を現実へと引き戻す。

 気づけばマルタローは魔術が解けたのか、俺の頭から降り、肩の上でそっと鼻を押し付けていた。


「……大丈夫だ。ちょっと、昔を思い出しただけさ」


 そう言って、涙を誤魔化すように深呼吸をした。


「わふ……」

「そうだよな……お前だって、クリスと一緒に旅をしたかったよな」


 なぁ、クリス。


 俺は、まだお前と旅がしたいよ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ