1最後の夜
夜。いや、深夜。俺はカップラーメンを食べている。疲れた体に濃厚な汁が染みわたる~。
おや、もうこんな時間だ。早く仕事を終わらせなければ。
そう、ここは実家より過ごしたオフィスである。都会のど真ん中のはずなのに、車の音がしない。それくらい深夜である。
俺は35歳、西岡博、男性だ。今日も一日社畜として働いている。
朝はいつも食べない。というより食べることができない。
なぜかって?理由は簡単、時間がないからさ。
じゃあなぜ時間がないって?社畜だからだよぅ。
俺の会社は世間一般的にいうところのブラック企業だ。
何度退職を願ったことか!何度辞表を握りしめて上司の机に向かったことか!その度に上司の圧に負けて辞表を握りしめた手が震えるんだ。
あぁ、これは洗脳だよ。絶対に会社を辞めることができないように教え込まれているんだ。
長くなったけど、夜帰るのが遅すぎて朝、起きることができないんだ。
なぜこんな会社を志望したのかなんてとうの昔に忘れた。
一応、就活で俺はこの会社を第一志望で面接を受けたんだ。心から願ってこの会社に入社したかったはずだ。あの頃の俺は。
いやいや、こんなことを考えている暇があったら手を動かせよ。お前ならできるはずだろう?この資料を25時までに終わらせることがよ!
よし!その意気だ!
今日はなんとしてでも隣のオフィスの石崎さんより早く帰るぞ!
「おー!」
誰もいないオフィスで振り上げた俺の右手だけが輝いていた。
思えばこれまでの人生、何にも成し遂げていない。
というより、人生で何かを成そうと試みたことがあるだろうか。
資料の作成がようやく終わり、パソコンの電源を落としながら考える。
幼少期はみんなと外を駆けまわり、たくさんの傷を作ったものだ。
小学高学年になると雲行きが怪しくなる。
上履きを隠されたり鉛筆がなくなっていたり。
俺はそれをただの遊びだと思っていた。
俺は地元の公立中学校に上がった。2つの小学校から生徒が進学していて、その数は半分ずつくらいだったのを覚えている。
俺は何気ない日々を過ごしていた。
そんなある日、誰かが言った。
「こいつ小学校のときいじめられてたんだぜ」
同じ小学校だったヤツだ。わりと仲が良く、遊びに行くこともあったヤツだ。
俺は衝撃を受けた。いじめなんてない、そう周りに言って回った。
そう、俺がいじめられていたなんてありえない。
しかし現実は悲しいものだ。
違うと必死で言うほど、俺が滑稽で醜く見えてくるのだ。
気が付いたら俺はクラスからいじめられていた。
上履きを隠され、シャーペンがなくなって。
いや、正確には初めていじめをいじめと認識した。
小学生の頃も同じことをされていたがそれは遊びだ、いじめではないと信じていた。
学校に行きたくないと思う日が増え、いつしか不登校になった。
親や先生は励ましてくれていたが、中学3年間の思い出は入学式とその後数日しかない。
高校、大学は通信制のところに入りそれなりに充実していた。
しかし、いつも横にあるのはいじめのトラウマであった。
何とか大学を卒業し、就活もうまくいった。
親は息子の自立に大いに喜んでくれた。
親には世話になった。
これからは新しい扉が開く。そう信じていた。
現実はそう甘くなかった。
まさか第一志望の会社がブラック企業だったなんて。
親になんて言えばいいんだろうか。
自立した息子を屈託のない目で見る親に言う勇気は俺にはなかった。
運命って何だかわかんねーな―。
俺はこれからどう生きていけばいいんだよ
自分に嘘ついて、親に嘘ついて、次はだれに嘘つけばいいんだよ
エレベーターは止まっている。
非常階段を下りていると遠くにスカイツリーの影が見える。
こんなことを聞いたことがある。灯台は漁師に行き先を教えてくれるもの。
暗闇の中、唯一の光が灯台であると。
何なんだよ、東京の灯台って
俺らのことを導いてくれるじゃないのか?
おい!
なんか言ってみたらどうだ、でっかい面してねえでなんか答えろよ!
頭に血が上っている。35歳の叫びが街に響き渡る。
もう、何にもやりたくない
俺は何者でもない
ただのモブだったんだ
今は何階だろうか。いつもより階段が長い気がする
あ、足がもつれる。手が勝手に動く。
そっちはだめだ。そっちに行ったら、もう
気が付くと浮いていた。
逆さのスカイツリーが見える。
あぁ、浮いているのではない。落ちている。
遠い地面がだんだん近づいてくる。
すべてが止まって見える。
走馬灯は見えない。
一瞬空に映る両親は笑顔だった
もう、終わりか
地面に衝突する
ああ、おわった
まだ意識はあるの
いつ逝くんだろうか
遠くのほうで声が聞こえる
男?いや、おじさんの声だ
女もいるな
また聞こえる?
視界が広がった
どうやら頭に何かが覆いかぶさっていたようだ
ここは、どこだ
ヨーロッパ?
あれ、体が動かないぞ
あれぇ、俺どうしたんだろう
子供が俺を指差して言う。
「ねぇパパ、あの種ほしい」
種?