2 平原香苗 Ⅱ
香苗の父親は単身赴任で家にいることが少なかった。
母親は何をしているのか知らないが、よく家を空けて夜遅くに帰ってくる。
寂しかった。
あたしはここにいるのに、お父さんもお母さんも自分のことばかり。
そんな日常を変えたかった。
自分のことを見て欲しかった。
普通に話をしようとしても、忙しいからまた今度とはぐらかされる。
では、どうすればいいんだろう。
怪我でもすれば気にかけてもらえるだろうか。
そういえば病院に行くような大きな怪我ってしたことがない気がする。そうすれば、お父さんも家に帰ってきてくれるのかな。
「……バカじゃん、そんなの」
そんなことを考えて自嘲の笑みを浮かべたその日は、香苗の十二歳の誕生日だった。時刻は十九時で、香苗はいつものように買い置きのカップラーメンを啜っている。
居間のテーブルにはいつも通りに母親からの書き置きが残されていた。いつもと違うのは、誕生日おめでとうという簡素なメッセージと一万円札が添えられていたこと。
最後に誕生日プレゼントなんてものをもらったのは、何歳のときだったろう。五歳? 六歳? もう覚えていない。
いつからか香苗の誕生日はプレゼントではなく現金支給になった。香苗がもらったプレゼントを気に入らなくて不機嫌になった翌年からだ。
だからって、現金が欲しいわけじゃない。
テーブルに突っ伏しながら福沢諭吉を睨む。
「あたしの本当に欲しいものって……何だろ……」
なんか、それは本当は何でもないもののはずで。
普通は誰しもが持っているような――そう、普通。
「……あたし、普通じゃないのかな」
親はいつも家にいない。寂しいけど慣れた。
友達はいない。それは欲しいとも思わないけど。
誕生日に面と向かってお祝いしてくれる人もいない。
一万円もらっても欲しいものなんて何もない。
それって、多分だけど普通じゃない。
「普通が欲しい」
じゃあ、お父さんとお母さんには家にいてもらわないと。だってそれが普通なんだから。
そのためには、やっぱり、心配してもらわないと。
心配してもらうためには――――
香苗の体は自動的に動いていた。
台所から持ち出した包丁を自分の左腕に突き立てる。痛くて、熱くて、傷口から流れ出てくる真っ赤な血を見てると、頭が真っ白になるのを感じた。
「あは。……あはは! あはははは!」
自分でも何で笑ってるのかは分からなかった。
スマホで撮影した血まみれの腕の写真を、父親と母親に送りつけた。すぐさま父親から電話が来る。
『香苗! 何してる!? お母さんは!?』
「いないよ。お母さん、もう何年もこの時間に家にいたことないよ? 知らないの?」
『なっ……い、いや、今はそんなことより……すぐに救急車を呼ぶからタオルを傷口に当てて待ってるんだぞ!』
「はーい」
お父さんがあたしのことを心配してくれている。
何これ、嬉しい。
嬉しい! 嬉しい! 嬉しい!
簡単じゃん、普通!
最初からこうしてればよかったんだ!