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ある男の不幸せな一生

作者: 瀬崎遊
掲載日:2024/05/09

寂しい男の一生です。

 ああ、私の人生はここで終わるのだと思った。


 生活水準は下の中くらいの家庭に生まれた。

 12歳年上の兄がいて両親の愛情を独り占めにできなくなって、その嫌がらせが私に向いた。


 TVの取り合いで私は兄の膝の下に押さえつけられて身動きできないまま時間が過ぎていく。

 兄が結婚していなくなるまでそれが日常だった。

 

 兄は爪を噛む。

 私が父の膝の上に座っていると。


 兄は貧乏ゆすりをする。

 私が母にお菓子を買ってもらうと。


 兄はとにかく理不尽だった。

 思い出すのは兄の理不尽な行いばかりだ。

 何一ついい思い出がない。


 私が中学生になった頃、兄に子供ができた。

 両親は初孫に夢中になった。

 両親は仕事の休みになると兄の家に行き、私の存在は目に映らなくなった。


 中学の時、骨折してギブスを1ヶ月巻いていたことがある。

 両親の休みの日、兄の家へ行った。

 20時過ぎても両親は帰ってこなかった。

 私はお腹が空いて卵焼きとご飯をよそって一人で食べた。


 両親が帰ってきたのは22時を回っていた。

 帰ってきて言った言葉は今も忘れられない。

「自分でご飯作れるのなら気にすることないね」

 そう言って笑っていた。

 それから父の休みの日は昼も夜も用意してくれなくなった。

 私がギブスを巻いていることは気にならないらしい。



 父の仕事が一般的なものではなかったので出勤が遅く、帰宅も遅かった。

 父に会うのは父の休みの日だけだった。


 母は私が幼稚園の頃から朝、起きてはくれなかった。

 兄が学校に行く前に私を起こす。


 朝食の用意は誰もしてくれないのでチキンラーメンにお湯を注いで食べていた。

 幼稚園から小学5年生になるまで365日毎日ずっと。

 5年生になって火を使うことに許しを得て、朝食に他のインスタントラーメンを食べられるようになった。


 高校卒業まで毎朝インスタントラーメンだった。

 あの頃はそれが当たり前だったから何も感じなかったが、今思い返すと異常なことだと思う。

 私も何故目玉焼きや食パンなどにしなかったのかわからない。

 ただ刷り込まれていたのだろう。朝食はインスタントラーメンだと。


 私が小学6年になると母が入院することが増えた。

 入院中は掃除に洗濯、食事の用意に父親の弁当の用意。

 母が入院する病院に行って洗濯物を取ってきて、必要なものを持っていく。


 1年の半分は入院していて主治医に説明したいからと言って父に行くように伝えると、仕事で行けないので私に聞いてくるように言われて私が主治医の話を聞いた。


 主治医に「こんな子ども一人来てどうするんだ?父親は?」と毎回言われた。

 今思うと平日が休みだったのだからその日に主治医と話せば済むことだった。

 

 父親は怖がりのヘタレだった。


 兄は仕事と家庭を理由に見舞いに来ない。

 なのに母は退院したら兄の家に行き、帰ってくると姪を連れて帰ってくる。


 兄嫁がよく許したものだと思うのだけれど、姪は生まれて半年ほどから姪一人で2週間泊まりに来て、2週間家に帰る。

 そしてまた2週間経つと泊まりに来る。

 そして母は具合が悪くなり入院する。

 兄も兄嫁も見舞いには来ない。

 家の中の手伝いは誰もしてくれない。


 中学高校と部活に入ることは諦めた。

 こんな家が嫌で高校を卒業したら直ぐに結婚した。

 高校を出て直ぐの私にそんなに稼ぎはなかった。

 

 それでも慎ましやかに生活していれば暮らして行けるはずだった。

 質素な生活を嫌がって妻はたった3年で出ていった。

 子供を残して。


 それからはもう大変な毎日だった。

 残業ができないので仕事は9時5時の肉体労働の仕事に変わるしかなかった。


 朝目覚めたら保育園へ連れていき、仕事をして保育園に迎えに行って、ご飯を作って食事させ、お風呂に入れて寝かしつける。

 週に一度しかない休日に溜まった洗濯と掃除をして1日が終わる。


 子供は状況が理解できているのか母親を恋しがることはなかった。

 それだけが救いだった。


 姪を可愛がる両親がいると思うだろう?


 両親は私の子供に一度も会いに来なかった。

 母はやはり1年の半分は入院して、春休み、夏休み、冬休みには姪が泊まっている。


 

 私の子供が中学生になると外泊が増えて家に帰ってこなくなった。

 結構仲が良かったつもりだったのでショックだった。


 一人寂しく食事することが増えていく。

 私の子供も家が嫌だったのか、高校卒業と同時に出行った。

 そして私と同じように早くに結婚した。


 私の子供には子供が3人できたが、嫁の実家にはしょっちゅう顔を出しているようだが、私の下には3年に一度くらい電話があるくらいだ。


 私の子供の顔を見る度に前回見た顔とは変わっていて驚く。

 私の子供も私を見て老けていくのに驚いているだろう。


 孫がどこの高校に入ったのか知ったのは孫が高2になってからだった。


 うちから車で30分ほどの距離に住んでいるのに孫に会ったのは両の手でお釣りが出る。


 私は妻と別れてからずっと一人のままだ。

 定年になって仕事を辞めなければならなくなった。


 家で一人、何をしたらいいのか解らなくてシルバーセンターに登録して仕事を回してもらった。


 自分が日に日に偏屈になっていくのが解る。

 人を受け入れられなくなって、仕事も辞めることにした。

 日がな1日テレビを見て眠りにつく。

 目覚めてもテレビを見てそれだけで1日が終わる。


 心臓がドキドキと脈打つ感じがして病院に行くと自律神経の問題だと言われた。

 運動をして規則正しい生活をするように言われた。


 医者に言われたとおりに規則正しい生活をして1時間程の散歩に行くようにした。


 散歩を始めてたった10日。

 ムシムシと暑い日の夕方、歩いていると心臓が握りつぶされるような痛みに襲われた。


 胸を押さえて前へ倒れるのが解ったが手が出なかった。

 ひどい痛みは一瞬だったのか。

 私の人生はここで終わりなのだと思った。

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― 新着の感想 ―
妻と娘視点で読みたくなりますねこれ
[一言] 人生を諦めず、でも対策を講じない、不満が溜まって偏屈になる悪循環 人生は諦めが肝心。何度人生をやり直しても性根は治らないから同じ結末になるだろう
[一言] ううむ、悲惨過ぎる…… こちらまで胸が苦しくなる気がします 死がせめて救済にならん事を
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