その④お茶にしましょう。
出家して財産も何にも持たない俺だったが、和平のために嫁いできた魔族のお姫様を1LDKの家具付きの賃貸に住まわす訳にもいくまいと、還俗と同時に領地も賜った。
「賜った」などと言っても、出家の際に修道院に寄進した土地を返してもらっただけなのだが。
そしてこの土地は、元は俺の死んだおふくろの嫁入りの持参金だった。
おふくろは平民出の妾だが、実家は緬羊の商いをしている商家だから、その辺の貧乏貴族なんかよりずっと裕福なのだ。
だから、元々は俺に縁のある土地でもあり、幼い頃に何度か訪れた事がある。
その大半を草地が占めていて、羊の放牧場に適しており、後は、見渡す限りのぶどう棚にオリーブ畑、それでおしまい、という、「ザ・田舎」といったところだが、意外にもエルセリア姫はこの土地を気に入ってくれた。
年頃の女の子のことだから、王都の華やかな生活を期待していたのかと思いきや、エルセリア姫はツノのない自分の見た目に相当なコンプレックスを抱いているので、社交界は大の苦手らしい。
俺に結婚を押し付けた義理の弟や役人どもに若くて(齢10万超えなので若くはないが。)可愛くてツノの無い嫁を見せびらかせないのは残念至極だが、俺だって決して社交好きではないし、静かなこの土地で二人ひっそり暮らすのも悪くない。
お披露目する機会だってそのうちやって来るだろう。
…………。
…………。
……どうやら、中庭で書物を読んでいたら居眠りをしてしまったようだ。
ふと、視線を感じ顔を上げると、エルセリア姫が手に茶器を乗せたトレーを持って遠慮がちにこちらを見ていた。
「これは、エルセリア姫。お歌の先生はお帰りになったのですか?」
「はい。とても上達したと褒めて下さいました。」
「それはそれは。いつか俺にもお聞かせくださいね。」
「い、いいえ。まだダメです。本当は全然下手なの。」
エルセリア姫は慌てて言った。
見栄なんかはって、ううう、かわいい。
人間の文化に関心を持ってくれ、俺を喜ばす為に人間の歌を習ってくれているのだ。
その心がけだけで有難くて拝みたくなってしまう。
「オズワルド様こそ、熱心に何を考えていらっしゃったの?」
「いや、えーと、草原の生態系のバランスを保ちながら資源を有効に使う最善の道を探っていました。」
貴女を見て悔しがる義弟達に勝ち誇っている自分を想像していましたとは言えず、適当にごまかす。
「まあ、素敵。ご立派でいらっしゃいますわね。」
「いや、なに。」
「でも、考えすぎは身体に毒ですわ。ひと休みしてご一緒にお茶にしませんこと?」
「そんな、姫自らお茶を……勿体無い!」
「まあ、私は貴方の妻ですよ。お茶くらい淹れさせて下さいな。」
エルセリア姫は、自分で発した妻という言葉に頬を染め、恥ずかしそうに、ふふふ、と微笑んだ。
シッポの所在も確かめていない俺なのだが、妻には変わりないようだ。
「そう言えば、お歌の先生のお見送りもしていませんでした。遥々王都からいらしていただいたのだから、ハーウィーに送らせますよ。ちょっと失礼。」
俺は中庭を出てハーウィーを呼ぶ。
二人だけでひっそり、などと言ってみたものの、実際にそんな事ができるはずもなく、この小さな屋敷にも何人かの使用人がいる。
その筆頭として挙がるのはハーウィーと言う男で、この土地をおふくろの実家が所有していた頃から屋敷の留守居役を代々務めてくれている家の者だ。
ムダに男前なのは気に入らないが、おっさんの俺より若輩ではあるものの世事に長け、長らくの修道院暮らしで右も左もわからぬ俺をよく助けてくれる。
「ハーウィー、どこだ? 用を頼みたいのだが……。」
屋敷内をウロウロ探していると、広間の重たいカーテンの影からヒソヒソと話し声がする。
「ハーウィー?」
俺はカーテンに足を向けたものの、ハッとして足を止めた。
「……もう行かなくては……主人が呼んでいます。」
「ここからお返事をなさったら良いわ。ふふふ、私は構いませんわよ……。」
「いけない子ですね。少々、おいたが過ぎますよ……。」
「きゃっ、怖い……。怒ったハビエル様も素敵……!」
…………。
こんな田舎住まいの魔族の姫の為に、王都の名のある歌の先生がやってくるのはおかしいと思っていたのだ。
まあ、見送りは心配ないな。
こっちも忙しいのだ。
何しろ勉強熱心のエルセリア姫の為に、この後、詩の先生と絵の先生と書写の先生が遥々王都から代わる代わるお見えになる予定なのだ。
どの先生方も王都で評判の才女達で、遥々こんな辺境までお運び下さるのだから有難い事である。
従って二人でお茶をいただく時間も貴重なのだ。
俺はエルセリア姫の待つ中庭へ戻った。