第90話
「うそ……だろ?」
朝日が差し込むリビングで、俺は呆然と立ち尽くしていた。
『キーファは、ううんアタシは、いつまでも二人のかわいい人形じゃないよっ!』
キーファの放った言葉が頭の中で何重にもこだまする。
(キーファは……俺の一番大切な愛娘……それは間違いない)
(大切に大切に育ててきた)
(キーファが末永く生きられるように……泣いちゃわないように……笑っていられるように)
俺は間違っていたのか?
思わず頭を抱える。
(だがその愛情が……いつの間にか重しになっていたのか?)
(宝石のように大事にするあまり……キーファの自主性や成長を無視して?)
「ケントおにいちゃん!
ねえ、ケントおにいちゃん!!」
カナが俺の肩を揺さぶる。
だが、彼女の言葉はもやがかかってしまったように朧気で、俺の耳に入ってこない。
「……カナ……俺はキーファの事……知らず知らずのうちにペットのように、道具のように扱っていたのか?
……まるで、お前の元義父のように」
「!!!!!!」
ぱんっ!
乾いた音が、リビングに響く。
「…………え?」
カナに頬を張られた。
そう理解できたのは、しばらくたってからで。
ジンジンと痛む右頬が俺の意識をはっきりさせてくれた。
「そんなわけないっ!!
わたしの大好きなケントおにいちゃんは……わたしの愛する旦那さんは、義父とはちがうっ!!」
顔を真っ赤にし、涙を流して俺を叱責するカナ。
ああ、俺はまた……愛する人を泣かせてしまった。
「二人でお風呂に入ったとき。
キーファちゃんは嬉しそうに語ってくれた」
「自分が今こうしていられるのは、全部パパのおかげだって。
一生かけても返せない贈り物をもらったって。
だから、今度は自分がパパとママの子にたっぷりの愛情を注いであげるんだ~って」
「あ……」
カナと再会する前。
一つの布団で一緒に寝た日も。
3人で温かい食卓を囲んだ時も。
キーファは心の底からうれしそうに笑っていたじゃないか。
「絶対何か事情があるんだよ。
そのシリンダって子が……変なことをそそのかしたのかも」
そうだ。
キーファは頭のいい子だ。
何の考えもなしにこんな行動をするはずがない。
「キーファちゃんのことを一番信じてあげるのは、ケントおにいちゃん。
あなたじゃなきゃだめなんだよ!」
その言葉が決定打だった。
頭の中を覆っていたもやが晴れる。
「……ごめんカナ。
ありがとう!」
身体の奥から力が湧いてくる。
まずはキーファを連れ戻し、シリンダとその関係者のことを調べてやる!
「よし、カナ……行こう!!」
「うんっ!」
俺はカナと手をつなぎ、外に飛び出す。
……だが、数時間かけて町中を探しても、キーファの姿を見つけることはできなかった。
キーファはスマホのGPSを切っているらしく、見守りアプリで探すこともできない。
じーちゃんにも相談すべきか。
失意に沈んだ俺たちは、いったん自宅に戻る。
「ケントさん!!
シーヴァの……あの黒い魔狼のことが分かりました!!」
慌てた様子の桜下さんが訪ねてきたのは、そんなタイミングだった。
*** ***
「はあっ、はあっ!」
二人に追いつかれないよう無我夢中で街を駆け、キーファはシリンダから教えてもらった彼女の自宅近くにやってきていた。
「こんなところに、住んでるの?」
港湾地区に隣接する倉庫街。
住宅は見当たらず人通りもない。
(やっぱり……)
シリンダちゃんは、敵さんのメンバー。
凛おねえちゃんが言ってた”シーヴァ”なのかもしれない。
(だけど)
クレープを一緒に食べたとき。
思わずこぼれたあの笑顔は本物だ。
何より彼女と血を分けた自分になら。
変化した自分の病状を言い当てたことからも、シーヴァがワーウルフに関する詳しい情報を持っているのは確実だ。
言う事を聞くふりをして、自分の病気を治すための情報を得る。
そしてシリンダちゃんを説得して、ぱぱとままの元に戻るんだ。
だから、今だけはごめんね。
決意を胸に、誰もいない路地を歩くキーファ。
じゃりっ
「!!」
突然、脇道から黒い人影が現れた。
つややかな黒髪にモフモフのしっぽ。
見間違えるはずがない。
「シリンダちゃん……」
いつものサスペンダー付きの私服ではなく、全身にピッタリと張り付くボディスーツのようなものを着ている。
「…………」
自分とうり二つの青い両目がこちらを見つめる。
「言われたとおりに来たよ。
ひとりで」
「…………」
シリンダは何の反応も示さない。
「ねえっ!」
焦れたキーファが彼女に駆け寄ろうとしたとき。
バチイイッ!!
青黒い電光が、キーファの全身を絡めとる。
「……え?」
「よくやったわよぉ、シリンダ。
これで、我らの計画は……」
背後から現れたのは、見上げるほど背の高い女。
両耳はピンと尖っており、全身をどす黒いオーラで覆っている。
(だーく、えるふ!?)
じぃじが言っていた、シーヴァのボス。
(へ、変身をっ)
神狼の力を使おうとしたものの、体に力が入らない。
どさっ
抗うことが出来ず、地面に倒れこんでしまう。
(ごめんなさい……ぱぱ、まま)
意識を失う寸前、キーファは自分が最悪の選択をしてしまったと悟るのだった。




