第89話
「りゅ、留学がしたい……だって!?」
ぽろっ
信じられない申し出に、手に持った箸を取り落としてしまう。
お料理対決の後、3人で仲良く1つの布団で寝た俺たち。
キーファは幸せそうで、正直安心していた。
だが、朝起きた時キーファの様子は一変していて……。
目の下にはクマができ、泣きはらしたような跡もあった。
慌てた俺は仕事をキャンセルしてカナは学校を休み、キーファのために消化に良い朝ご飯を作った。
ご飯をひとくち食べたあと、思いつめた様子のキーファから語られたのが冒頭のセリフである。
「りゅ、留学っ!? ど、どういうことなのキーファちゃん!?
ちゃんとお話を聞かせてくれるかな?」
慌てているのはカナも同様で、キーファの隣に座るとそっと肩を抱く。
「えっと、あのね……」
何度か逡巡した様子を見せた後、ゆっくりと話し始めるキーファ。
「キーファのクラスにやってきた、ワーウルフのシリンダちゃん。
パパとママは亜人族のけんきゅうしゃさんで。
ワーウルフのことについても、すっと調べてたんだって。
あっその、これはこないだの遠足のときに聞いたの」
キーファらしくない、歯切れの悪い説明。
キーファの小学校に転校してきた、ワーウルフのシリンダ。
同い年で同族の彼女とキーファは仲良くなり、一緒にクレープを食べに行ったよと嬉しそうに聞かせてくれた。
その両親が、ワーウルフの研究者?
治次郎さんの話では、ワーウルフは絶対数が少ないこともあって研究者の数は少ないという事だったが……。
治次郎さんに連絡を取るべきか。
その間にもキーファの話は続く。
「でね、シリンダちゃんもワーウルフ特有のとある病気にかかっていたんだけど、パパとママのおかげで治ったんだって。
それで、二人にキーファのマナ欠乏症のことを話したら、すごく興味を持ってくれて」
「!? 病気のことを話したのか!?」
キーファの体のことはまだわからないことが多く、神狼に変身できることを含めてみだりに他人に話さないよう言い含めていた。
「あう、ごめんなさい。
シリンダちゃん、キーファの病気のことに真剣になってくれて」
「…………」
「それでね、ちゅうおうアジアにあるパパとママの会社に一緒に来ないかってさそわれて。あ、そこにはすごい設備があって。
ネット授業もできるそうだから、その」
「…………」
なるほど、経緯は分かった。
思わず腕を組む俺。
「ケントおにいちゃん……」
(どう考えても怪しい)
じーちゃんと桜下さんから、日本に潜入したシーヴァの情報は手に入れている。
首領であるダークエルフの女に十数人のスタッフ。
その中にワーウルフがいたかどうかは確認が取れていないが、表向きすべてのダンジョンの排除を標榜する彼らは亜人族のことも研究しており非合法な研究所をいくつか持つという。
「あのな、キーファ」
治次郎さんから聞いた、LPへのチャージが不安定になっている件。
もしかしたらそれがキーファの体調に影響を与えていて、不安になっているのかもしれない。
「そこまで気にすることはないかもしれないんだが、こないだの診察の後……」
俺はその件を、詳しく話すことにしたのだった。
*** ***
「……治次郎さんは成長に伴う一時的なものかもしれないと言っていた。
以前と違い、今はたっぷりと時間がある。
無理せず、ゆっくり治していこう、な?
俺とカナも、全力で支えるから!」
「そうだよ! もし調子が悪くなったらわたしの愛情たっぷり料理で!」
「いや、それはどうだろう?」
「あれぇ!?」
キーファは二人の言葉を黙って聞いていた。
自分のことを最優先に考えてくれて、無限大の愛情を注いでくれる最愛の両親。
だけど……。
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氏名:大屋 キーファ
年齢:8歳
種族:ワーウルフ
LP:3600日(+4日)
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ぴっ
こうしている間にも、増えていくライフポイント。
間違いなく、吸収スピードが加速している。
このまま、二人に甘えていたら。
「キーファの病気のこと、一番分かってくれているのは治次郎さんだ。
キーファの考えも分からないことはないけど、俺は今の生活を続けた方がいいと思うぞ? ファンのみんなからスキルポイントをもらいながら」
「そう! ダンジョン配信が出来なくても、わたしたちのファンは大勢いてくれるよ!」
「おう! キーファが中学生になって、桜下総合学院の制服を着た日には……」
「日本中の配信サーバーが落ちますね! まちがいなく!!」
両側から自分の頭を優しく撫でてくれる二人の温かい手。
(あぅ……)
言わなきゃ。
ここで自分が決断しなきゃ、二人の命が。
「……ちがう」
「「……え?」」
心にもないことを、その小さな唇に乗せる。
「キーファは、ううんアタシは、いつまでも二人のかわいい人形じゃないよっ!」
ばばっ
二人の手を振り払い、ソファーから立ちあがる。
「き、キーファちゃん?」
「…………」
唖然とするぱぱとまま。
言ってしまった……後悔の念がキーファの小さな胸を押しつぶす。
でもこれが、二人の為なんだ!
罪悪感と後悔、二人への愛情がごちゃ混ぜになり、キーファの心をかき乱す。
「アタシは、病気を治して自分の思うように生きたいっ」
ばんっ
全力で床を蹴り、家の外に飛び出す。
「まって、キーファちゃん!」
「…………」
(ごめん、なさいっ!)
神狼の力を部分的にでも使えば、人間である二人が自分に追いつくことはできない。
きらり
キーファの相貌からこぼれた涙が、晩秋の頼りない日差しを反射して弱弱しく煌めいた。




