第85話
「キーファのライフポイントが、チャージできなくなるかもしれないって事ですか!?」
「正確にはチャージ効率が悪化している、という事じゃが」
驚きのあまり立ち上がった俺の背中を、治次郎さんの大きな手がポンポンと叩いてくれる。
「っと、取り乱してしまってすみません」
診察室に置かれた丸椅子に座りなおす。
何とか気持ちを落ち着かせようと努めるものの、背中は冷や汗でびっしょりだ。
「この兆候が見られたのは、ここ10日くらいの事なのじゃが……」
ヴンッ
診察室のモニターに、キーファの診断結果が表示される。
「ケント君のダンジョン配信が人気になるにつれて、どんどんキーファちゃんのLPは増えていった。途中、神狼へ変身したことで大きく減らしてしまったものの……全体としては順調じゃな」
「はい」
モニターに表示されたグラフを見て頷く。
フォロワーたちから沢山のダンジョンポイントを貰えているのはもちろんだが、LPチャージの儀式で、想定レートである1日/150ポイントを上回る成績を出すことも多い。
「ワシの推定では、カナちゃんの存在がキーファちゃんのマナ欠乏症の治癒にいい効果を与えていると思うんじゃが……あらためて、結婚おめでとう」
「ありがとうございます」
確かに、カナが家に来るようになってからキーファの体調はすこぶる良い。
以前にもましてよく笑うようになったし、メンタル的にもいい効果があるのだろう。
「……じゃが」
グラフの右端……つまり直近の結果を見た治次郎さんの表情が曇る。
「ここ10日ほど、LPのチャージレートが大幅に悪化している」
「……やばいですね」
直近10日間で、キーファのLPをチャージしたのは2回。
一度目は自宅で、二度目はキーファの定期検診を兼ねて治次郎さんの診療所で。
現在のLPは3500日分を超えており、スキルポイントの消費量をそこまで細かく気にしていなかったのだが。
「一度目は1日/280ポイント、二度目など1日/730ポイントじゃ。
念のためアミュレットも調査したんじゃが、特段おかしなところはなかった」
「もしかしたら、心身の成長が影響してるのかもじゃが、こればかりは症例がほかにないからのう。調査には時間が掛かると思う」
「……そうですか」
ただでさえワーウルフは希少な種族で、その上マナ欠乏症についてはいまだ分からない事も多い。
「ワシの方でも全力で調べてみるから、キーファちゃんにくれぐれも無理をさせんようにな」
「分かりました!!」
以前と違い、10年近い猶予がある。
狼への変身を絶対禁止にしておけば、治次郎さんが解決してくれるだろう。
その時の俺は、そう楽観していた。
*** ***
「わぁ~♪ きれい!!」
秋の高尾山。
遠足に着たキーファたち3年2組は、紅葉彩る里山の散策を楽しんでいた。
「ほらほら、シリンダちゃん!」
ひらひらと落ちてくる紅葉の葉をキャッチすると両方の頬に付けるキーファ。
鮮やかな朱色がすべすべのほっぺに散る。
「……んっ」
クールな表情を崩さず、キーファと同じ行動をするシリンダ。
心なしか、頬が赤く染まっている。
「えへへ~♡」
「なっ!? 何なのこの尊み満載空間は!!」
突如出現したエモエモ空間に思わず足を止める行楽客たち。
「っておい、あれってキーファちゃんじゃないか!?」
「え!? あのカリスマダンジョン配信者の?」
「もう一人ワーウルフの子がいるじゃん! おともだち?」
「黒髪の子もかわいい……もっふもふ!」
「おいみんな、分かってると思うが……Yes キーファちゃん、No タッチだぞ?」
「「「「もちろん!!」」」」
「んん~?」
お兄さんお姉さんたちが幸せそうに自分を見ている。
最近よくある光景だ……キーファちゃんねるのファンはお行儀が良いのだ!
「あはっ☆」
にこりと笑うと、右手と尻尾を振るキーファ。
ぴこぴこと狼耳が動いている。
「「「「「ぐはっ!?」」」」」
真っ赤な紅葉に負けないほどの鼻血が散った。
キラキラ……
「!!!!」
その様子に目を見開き、尻尾を逆立てるシリンダ。
キーファは気付いていないようだが、僅かな生命の光が取り巻きの人々から散り、キーファの方に流れていく。
(……やはり!)
リヴァーサの仮説は本当だったのか。
ならば自分がすべきことは……。
「ねえキーファ。
私、あそこに行きたい」
「ほえ……ダンジョン体験施設?
うん、いいよ!!」
「その前に焼きいもさん買って来るね!!」
シリンダの言葉ににっこり頷くと、焼いた芋らしき食べ物を売るキッチンカーにダッシュするキーファ。
突然カリスマ配信者に訪問されたキッチンカーの店員は驚いた表情を見せるがすぐに笑顔になり、彼女にオマケと称した沢山の芋を渡している
(なんで……ねえさんばかり!)
チヤホヤされるのか。
ちりりっ
嫉妬の炎がシリンダの小さな胸を焦がす。
これはリヴァーサから与えられた任務。
私情など挟む余地はないはずだ。
「はいっ、シリンダちゃん、おいも!!」
彼女の内心の葛藤など知らず、白い包み紙にくるまれた芋を手渡してくるキーファ。
「ん……」
訓練キャンプで食べていた味気ない芋の味が思い出され、思わず顔をしかめそうになってしまう。
(いけない、この子を信頼させないと)
ボソボソで塩味しかしない芋。
まあいい、これくらいなら我慢できる。
キーファから焼き芋を受け取ったシリンダは、芋を二つに割る。
ふわっ
(??)
手ごたえはとても柔らかくて、いい匂いのする湯気が立ち上った。
なんだろう、これは?
「……はむっ」
意を決し、ちいさな口でかぶりつく。
「!?!?」
その瞬間、芳醇な甘みがシリンダの口の中に溢れた。
「あっ、シリンダちゃんまた笑った~♪」
乱高下する感情に振り回されながら、キーファに手を引かれ子供向けダンジョン体験施設に向かうシリンダなのだった。




