第78話(あまあま注意報)
「な、名前ってここに書けばいいんだよな?」
「た、多分そうです。
わたしも初めてだからわからなくて」
その日の夕刻、時間外窓口が開いている時間ギリギリに区役所に飛び込んだ俺たちは、書類記載コーナーでひたすらオロオロしていた。
「そりゃ、カナおねーちゃんは初めてでしょ?」
「お、俺も初めてだぞ?」
「しってる。
ぱぱ、モンスターにばかりモテるもんね」
「ぐはっ!?」
キーファのツッコミが冴える。
「え、えっと……夫になる人は、俺っと」
「ひょおおおおおおおおっ!?
そ、それじゃ……妻になる人、欄にわたし」
「うおおおおおおおっ!?」
「ね、ねえケントおにいちゃん!
同居を始めた日っていつになるのかな!?」
「い、一か月前くらいでいいんじゃないか?」
「よし、100年前の1月1日という事で!
わたしとケントおにいちゃんの愛は前世紀から続いていたのだぁ!」
「まだ生まれてねぇ!?」
「……周りの人にめいわくだよ?」
ぺしん
キーファのツッコミが炸裂する。
そう、善は急げという事で俺たちは区役所に婚姻届けを提出に来たのであった。
*** ***
「ふひゅ、ふふふふ。
ぱぱとカナおねえちゃんらしくて面白かった~。
受付のおねえさん、笑いこらえてたよ?」
先ほどから助手席で笑っているキーファ。
婚姻届提出のドタバタが、よほど可笑しかったらしい。
「だって初めての事だしさ、他に準備する書類もよく分からんし……」
「だからって、本人確認書類として、プロダクションの名刺を出すとは思わなかったよ~ふふ、ふふふふ♪」
「いやあれはその、いるとは思わなくて焦っただけだっつーの!」
普通に免許証か探索者ライセンスカードを出せばよかっただけなのにパニックになってしまった。
「わたしは普通に学生証を出しましたけどね!!」
「カナおねえちゃん、かしこい!!」
「あ、こいつ! 裏切りやがったな!」
「ふふ、あはははははっ♪」
俺達の笑い声を乗せて、クルマは自宅へ向かうのだった。
*** ***
(へへへ)
いつもの駐車場、いつものマンション。
それなのに、緩む頬を抑えることができない。
今まではお客さん。
でも今日からは……。
「新居の候補は2つにまで絞ったんだけどな。
支払いの事もあるから引っ越しは来月になると思う」
「うんっ!」
「えへへ、楽しみだねカナおねえちゃん!」
《《3人分の》》食材を持って、自分の前を歩くケントおにいちゃん。
……あれ、おにいちゃんじゃなくてア・ナ・タ、って呼んだ方がいいのかな?
(う、うはっ!?)
垂れかけた鼻血を慌てて食い止める。
これからずっと一緒にいるのだ、妄想のたびに鼻血を出していては輸血が必要になってしまう。
「とりあえず客間をカナの部屋にするか~一応学生さんだし」
「一応じゃないです!」
「……中間試験そろそろなんじゃ?」
「うっ!?」
「さすがにカナの荷物全部はウチに入らないから、来月いっぱいくらいまではカナのマンションも借りとくか」
「そうですね……緋城プロダクションの社宅じゃないんで大丈夫だと思います」
これからの事を話しながら、わたしたちの乗ったエレベーターは大屋家のあるフロアに止まる。
大屋家は、エレベーターホールの正面だ。
「そうだ、あらためて」
「だねっ♪」
わたしの後ろを歩いていたキーファちゃんが、てててっとわたしを追い越していく。
かちゃ
玄関のドアをあけたケントおにいちゃんが、こちらを振り向いた。
ああ……。
物心ついた時、わたしは独りだった。
孤児院で友達も出来たけれど、本当の意味での家族はいなかった。
元義父……ジルに引き取られてからも、家族の形は書類の上でだけ。
でも、いま、ほんとに!
「カナ」
「カナおねえちゃん」
二人の輝くような笑顔。
「「おかえりなさい!!」」
こぼれる涙が止まらない。
暖かく幸せな、わたしの家族。
「ただいまっ!!」
万感の思いを込めて、ただいまを言うのだった。
*** ***
「やった~、これからずっとカナおねえちゃんと一緒だぁ♪」
「ふふっ、そうだね!」
晩ご飯を食べ終え、ソファーで寛ぐキーファとカナ。
……今日からはおねえちゃん、じゃなくて母親になるんだよな。
年の離れた姉妹のようだったから、ちょっと変な感じだぜ。
「ねえねえカナおねえちゃん、ぱぱの事ずっとおにいちゃんってよぶの?
やっぱり結婚したんだから、あの呼び方じゃない?」
「うっ!?」
いたずらっぽい笑みを浮かべたキーファの言葉に、ぴしりと固まるカナ。
「そ、それはその……まだ慣れないというかなんというか」
「れんしゅう、れんしゅう!!」
「あうう……」
キーファに煽られ、顔を真っ赤にしたカナがちらちらとこちらを見てくる。
(うっ!?)
頬が赤くなっている事が自分でもわかる。
洗い物に集中できない。
「あ……あなた♡」
(うおおおおおっ!?)
がしゃん!
破壊力満点なカナの甘い声に、思わず鍋を取り落としてしまう俺なのだった。
*** ***
「う、うん!
しばらくはこのままで行こう!
フォロワーたちへの報告も必要だし!!」
「そ、そうですね!
わたしもまだ学生ですし、卒業までは今まで通りという事で!!」
あまりの破壊力に鼻血を出してしまった俺とカナは、当面の方針を棚上げすることにした。
俺とカナは少し年も離れているし、いきなり夫と妻にはなり切れないのだ、うんうん!
(あっ……これいつまでも切り替えられないやつだ)
微妙にヘタレな両親にジト目を送るキーファ。
「……あ、そういえば」
くまさんクッションを抱いたキーファが、何かを思い出したとばかりに手を合わせる。
「客間をカナおねえちゃんの部屋にするからお掃除したいし。
尻尾のお手入れもしたいから……キーファ、今日は客間で寝るね!」
「「え!?」」
「じゃあ、あとはふたりでごゆっくり~♪」
ぱたん
にやり、と意味深な笑みを浮かべたキーファは、止める間もなく客間に入ってしまった。
「……はうっ」
「…………」
とたんに真っ赤になるカナと俺。
これは、キーファに気を遣わせてしまったな。
(ふおおおおおおおおっ)
(うおおおおおおおおっ)
内心焦りまくってしまうが、俺とカナはもう夫婦である。
毎回キーファに気を使わせるわけにはいかない。
「カナ、そろそろ寝室に行こうか。
君とその……愛し合いたい」
「!! はいっ♡」
俺は笑顔のカナの肩を抱き、寝室へと向かった。
*** ***
「ふふ、ぱぱとカナおねえちゃんが夫婦かぁ、素敵だなぁ!」
もともと掃除も完璧なぱぱである。
客間も綺麗に片づけられている。
娘として、大好きなぱぱとおねえちゃんの後押しをしただけなのだ。
「でも、これからどうしよう?」
カナおねえちゃんはお勉強も(一応)あるし、毎日客間で寝るわけにはいかない。
自分としても3人と一緒に寝たいときもあるし……。
「そーだ!
うさぎさん当番になって、30分早く学校に行けばいいんだ♪」
そうすれば、時間ができるじゃないか!
二人のらぶらぶ生活のため、知恵を絞るキーファなのだった。
「ふふっ」
当面の課題が解決し、ベッドにもぐりこむキーファ。
「あっ」
その時、ふと先日のTokyo-Zeroでの出来事が思い出される。
地上に現れた、漆黒の魔狼。
キーファと同じ、ワーウルフの子がいたのは間違いない。
ワーウルフは珍しい種族とは言え世界中に100人くらいはいるそうだ。
(でも……)
妙な胸騒ぎがキーファの小さな胸を締め付ける。
自分の出生について。
ぱぱが自分を拾ってくれた時は赤ちゃんだったし、その頃の記憶はほとんどない。
(いちど、会ってみたいかも)
じぃじに調査をお願いしてみようかな。
そう考えたキーファは、今度こそ眠ろうと目を閉じる。
『ふあぁ! ケントおにいちゃん♡』
『うおっ、カナ可愛い、愛してるぞ!』
『ふひゃああああああっ!?』
「…………」
ぴくぴくっ
寝室から聞こえる声に思わず聞き耳を立ててしまう。
わーうるふさんは耳も良いのだ。
(あうあうあう)
大好きな二人の初らぶらぶ♡の声が気になるキーファは、すっかり睡眠不足になってしまうのだった。




